3 均衡の環(わ)

 悠久ゆうきゅうの時をへて、北の火龍ストラグルはある魔法使い、いや、満月の巫女みこと取引をした。

 彼女ら夫妻は、龍の願いをいつかかなえると、そう約束したのだ。


 龍をしばるいにしえからの呪い。

 その痛みからのがれようと、かつて龍は悪行の限りをつくした。

 このんで月の巫女みこしょくした。顔の黒石、埋め込まれたマリスの痛みが、やわらいだのだ。

 龍の願いとは呪縛じゅばくからの解放。

 それまでは、魔法使いの『子供返こどもがえり』で小さな赤いトカゲに身をやつした。


 しかし術がとけた今、その巨躯きょく大灯台だいとうだいの外に出る。

 龍は、エルフの火がかした壁に首を突っ込み、氷柱に隠れるもの咆哮ほうこうした。


 マリスを動かす、古代こだいもの

 それをめっすれば、火龍は『均衡きんこう』から抜け出せるかもしれないのだ。


     ◇


 氷柱から、古代こだいひとが顔をのぞかせる。

 すっかり狼狽ろうばいし、老人のあごが落ちた。


「ストラグル? なぜ……一体いったいどうして」


 巨大な火龍の顔が爬虫類の瞳を細めると、灯ろう中に渋い声を響かせた。


「久しいな、メディオクレス。

 われらの心躍こころおどる悪事を語りたいところだが、もう時間がない」


 龍は、古代こだいひとをはじめの名で呼んだ。

 そして、茶目っ気というには恐ろしいさまで、片目をつぶる。



 仲間は一斉に身を引いた。

 かくれるはずもない体を氷の壁にピタリとつけ、目を閉じ気配を消し去るバール。

 白く燃えるアカネの背にかくれるマルコ。二人はゴクリとつばを飲み、足運びもぴったりに後ずさりした。


 反対の壁際に、アルとエレノア。抱き合って歯をガチガチ鳴らし、驚愕きょうがくした目を龍から離せない。


 人の身ではただ、成り行きを見守ることしかできない。

 神の悪意に染まった魔者まものと、何者もかなうはずのない巨龍との邂逅かいこうなのだ。 



 古代こだいひとはこの難局を逃れようと、必死に頭をめぐらせる。

 いてなお、親しげな笑みを浮かべた。


「時間がないとは、ご冗談を!

 私達には永遠とも呼べるときがある。お忘れかな?」


 そして老人は、さげすむように見回す。


「この短命で浅慮せんりょな者らとは違う––––」


われの仲間だ」


 龍が答えると、古代こだいひとはあわて出す。

 先に、龍が語り出した。


われも残念なのだ。

 だが知っての通り、最大の善意が消えた。

 なんじの集めた悪意とともにな」


 龍はそう言って、巨大な黄色の瞳で老人を見つめた。

 ふと、アルとマルコに交互に首を向ける。


「魔法使いの善意は、異邦人のたまご均衡きんこうを得た」


 語る龍の口からもれる炎を見ると、アルもマルコも震えて泣きそうになる。

 だがマルコは、『均衡きんこう』という言葉を前にも聞いたことを思い出し、はっとした。

 混沌の神官長アエデスが、そう言った。



 古代こだいひとは信じられない表情で首を振る。


「まさか、そんな……」


 龍は申し訳なさそうに弁明。


「終わりにしたいのだよ、メディオクレス。

 我をしばるくさりを。今なら––––」


「有り得ません!」


 突如、老人はひどく興奮して叫んだ。


貴方あなたのそれは祝福なのです。

 私が力になりましょう。さらなる神の石を見出し––––」


「だからそれが、困るのだ」


 あきれたように龍が言うと、古代こだいひとの目が鋭くなる。

 彼は慎重に、後ずさりした。


 龍は気づかぬふりで、まるで謝るようにげた。


われ均衡きんこうを抜ける間、次なる神の石はらぬ。

 だからなんじに、由緒ある古い火をささげよう。

 われも残念なのだ。その良い声が好きだったからな」



 刹那せつな、老人の影は素早く舞う。

 日がさす床を避け階段口を目指す。

 が、龍の口から真紅しんく猛焔もうえんが襲った。


     ◇

 

 さいはての海を見下ろす崖の上。

 驚愕きょうがくした顔で大灯台だいとうだいを見つめる、第一の民がいた。

 さまよえるエルフたちだ。


 女王、七色なないろきみ

 エルフの水、碧髪へきがみのアオイ。

 ふたりは共に長い髪を揺らし、不安げに手をつなぐ。

 背後では緊張した顔のエルベルト。

 第一の民らがかたずをのんで見守る。

 大灯台のとうろうに、巨大な龍の体がしがみついている。尻尾はうごめき、首は中に突っ込んでいる。


 それより前、氷雪から白い炎が吹き出したときエルフたちは歓喜したものだ。

 だが、突如あらわれた赤い巨龍に度肝どぎもを抜かれた。


 しばらくたって。

 待ちきれなくて女王は、娘の手をにぎる。


「我らの精霊よ。どうしたことでしょ––––」


 とたん、轟音ごうおん

 アオイの瞳が赤く反射した。


 真っ赤な火柱が、とうろうを飛び出し海をはしる。

 灼熱しゃくねつの閃光が海面にうつる。

 まるでよみがえった、灯台のだ。

 壮大な火炎かえんは、灯台の屋根をおおう氷雪までかした。


     ◇


 視界をうめる炎にマルコは取り乱す。

 だが白い炎が包むアカネがふり向き、微笑んだ。

 すると、マルコの身体からだ白炎はくえんが包み、熱がやわらぐ。


 ふいに叫ぶ者がしがみつく。


「あぁぢぢぢッ!」


 マルコが目を落とすと、真っ黒な顔のバールがいた。



 アルは、エレノアが唱えた水の球体の中にいた。

 火の粉は飛ぶが、水が絶え間なく周りを流れ、なんとかしのげる。

 ふうと一息ついて、巫女みこに目をやる。


 だがエレノアは、胸をおさえ赤面。


「リリーって……オトナだったのね」


 アルは、前に龍を胸に抱いた彼女をうまくなぐさめる言葉が浮かばず、頭をかいた。

 ふと鋭い目で叫ぶ。


「マルコ! 終わった!」



 マルコとアルたちは、炎がんだ柱に急ぎ駆け寄る。

 魔の氷はけ、篝火かがりび置き場はむき出しだがまだれている。

 炎が吹いた雪壁はなくなり、灯台の柱の間から青空とあおい海が見えた。


 古代こだいひと痕跡こんせきは全く、なんの跡形あとかたもなく消えていた。


 仲間はみな、呆然ぼうぜんとした顔を、巨大な龍に向ける。


「さあ、帰るぞ」


 火龍ストラグルは渋い声を響かせ言った。

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