9 王都防衛戦1 魔軍侵攻

 その夜、アルバテッラ王サノスレジムは、なかなか寝つけなかった。

 寝室のあかりが消えたとき、彼は急にさみしくなった。

 いつもなら、とこに入ると頭に響く優しい声が、なぜか今夜は聞こえてこない。

 生まれて初めて、自分はこの世でひとりだ、と感じる。

 起き上がり、「露台ろだいへ」と侍従じじゅうを呼ぼうとした。一刻も早く、天守の塔オベリスクで輝くグリーが見たかった。

 しかし今夜は新月と気づき、思いとどまる。

 魔軍とのいくさなど、人にまかせて自分は見たくもない。

 そして、これも初めて、すべてのことがなんだか面倒めんどうになった。


 そうして老人は、現実を見ることはなく、自ら大事にかかえる夢の中へ、入っていった。


     ◇


 王都の西に広がる壮大な陣を、王女の頭上にあらわれた雲が見下ろしている。

 白い雲は、王女レジーナの姿をした巨大な幻影だった。


 兵はおそれるがしかし、雲から目をそらすことはできない。

 レジーナと雲が、語り出す。


「まずはともに思い出そう。

 我らはみな、第三の神テテュムダイの祝福でこの地に生まれ、喜びをえた」


 どうということはないその言葉は、軍の兵一人ひとりの胸にささる。

 ある者は王都西区に生まれ、まだ生き残っている自分に驚き嬉しくなった。

 またある者は辺境で生まれ、居場所を求めさすらいながらも、これまであったわずかな楽しみを思い出した。


 貴族もそうでない者も、傲慢ごうまんな軍団長でさえ、おのずと笑顔が浮かぶ。

 アルとユージーンは、初めの成功を喜び微笑ほほえみあった。



 エレノアは、人々をはげますレジーナがほこらしかった。まるで古代の、偉大いだいな王がよみがえったかのようだ。

 ふと、涙がこぼれる。

 さすらう旅で、少女はいちど死んだはず。

 その命が、こんな形で花開いたと思うと、巫女のほおに涙がとめどなくこぼれおちた。



 神の善意の雲は続ける。


今宵こよい、魔が我らをほろぼしにくる。

 しかし我らは、和をもって、敵をかえちにする」


 兵は一斉に、歓声を上げる。

 あの神々しい雲が言うのだから、当然そうなるとみな思った。

 となりの者と笑顔を交わす。

 絶望を分かち合い、共に立ち向かう、勇気がみなぎる。


 

 キースは、「そうだ!」と片腕を上げる。

 いとおしいように、ドワーフの神官戦士、ゴードンに抱きついた。

 ゴードンは目を白黒させ驚く。

 人間たちがきらきらとした目で見る先は、ぼんやりした影しかないのだ。

 だが彼は、「また、アレか」と思い出す。

 南での混沌祭こんとんさい。神官やアル、そしてマルコと力を合わせた。

 第三の神を感じることはできなかったが、彼も笑顔になった。



 最後にレジーナは、こう締めくくる。


「我らには、神の善意による、加護がある。

 だがそれは、みずからにめるものではない。それはそとに発し、笑顔を生み出すもの……。


 ひとよ、かみ善意ぜんいを、発動はつどうせよ!」


 荒れ地をおおう軍勢は、静まり返った。


 しかし、溶岩が裂け目をうかがうように。

 波がうねりしおが荒ぶるように。


 第三の民の思いが、ほとばしる。


「発動せよ!」


「善意を発動せよ!」


「神の善意を発動せよ!」


 王都防衛軍のときの声が、月なき夜にひびき渡る。

 それは篝火かがりびの炎をゆらし、無数の火の粉が宙に舞う。

 人の熱が舞い上がり、王女の雲は吹かれ、かき消えた。



 傭兵隊長メルチェは、小柄な体に似合わない大音声だいおんじょう


「カーッ! ヒトよゼンイよ発動せよっ!」


 おとなしい副長も、太い腕をふり回し、まわりの兵があわてる。


 エルフのアカネと、ドワーフのバールは、それを唖然あぜんとながめた。

 アカネが大興奮の兵らを指さす。


「これ……グリーのちからか?」


 小刻こきざみにうなづくバールも、驚きをかくせない。

 先ほどまで逃げる話ばかりしていた傭兵隊が、突然やる気に満ちたのだ。

 だが思うまま、エルフに語る。


「きっと、彼ら人間はまだ、んだ。

 うらやましいことだ」


 そう言って彼は、出撃準備のため、馬をつなぐ天幕へ歩き出した。



 話し終えたレジーナは、ふり返り、ほっとした笑顔をマルコに見せた。

 マルコもさわやかな笑顔でうなづく。そして王都グリーを戦車の台座にのせ、落ちないようにしっかりひもで結びつけた。


 ふたりは、顔を上気させ、き立つ隊列をぐるりと見渡す。

 魔軍の侵攻をひかえ、軍の士気は最高潮に達した。


     ◇

 

 王都の大通りに近い、とんがり塔。

 今夜も魔法学院アカデミーにひかえる研究長コーディリアは、窓から外をながめていた。


 光る携帯杖ワンドを手に、ひとり言。


「へえぇ……本当にあんなことできるんだ」


 王女の巨大雲があらわれ、兵を鼓舞こぶした。

 神の善意は、兵の一人ひとりに加護をさずけたのだ。

 なのだが、アルとユージーンの勝手な思いつきを、術につむいだのは彼女だ。

 あれほどうまくいくとは、彼女は思ってなかった。


「さて……これから本番」


 軽く携帯杖ワンドをふり、『遠眼鏡とおめがね』をかける。

 西区が壊滅かいめつした今となっては、彼女の私室からは遠く西を見下ろせた。

 そのまま荒野の果てまで見えるが、術をかければその先の森まで見える。


 緊迫きんぱくしたひととき。


 やがて枯れた森で、松明たいまつらしきあかりがちらちらとした。

 コーディリアは、素早く携帯杖ワンドに語る。


「こちら物見ものみ。魔軍を確認!

 本陣へくり返す。魔軍、侵攻!

 ……え? 数はちょっと……とにかく……地平をおおうほど!

 あぁ……そんな」


 思わず彼女は、携帯杖ワンドを机に落としてしまった。



 窓越しに呆然ぼうぜんとする魔女から遠く離れて、西の彼方かなた


 散らばるが、赤い肌をてらす。

 まるで大地そのものがうごめく上を、青い稲光いなびかりが飛び交う。

 黒い影が、いくつも飛翔ひしょうしていた。

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