5 「主(あるじ)かえ」の術

 数日後。

 アルバテッラ王城の夕べ。


 露台ろだいに座る老人の背に、声がかかる


「お体が、えてしまいます……」


 侍女のいましめにも耳を貸さず、老王は天守の塔オベリスクの白い輝きを見つめる。

 アルバテッラ王サノスレジムはまだ、神の善意にすがっていた。

 どうすればよいのかわからず、ただそれしかできない。

 新月から、胸騒ぎはおさまらなかった。


「このような事態、あってはならぬことだ。

 いや……実のところ、さして変わりはないのでは?」


 白髭しろひげを震わせ、眼下の街並みに目を落とす。

 大通りから左は、確かに変化はない。万の屋根が夕暮れに赤く染まる。

 しかし通りの右、西側には何もなかった。むき出しの赤い大地が、わびしく横たわる。


 大通りには無数の小さな炎がつらなる。

 多くの民が、今夜も寒空の下で震えるのだろう。

 かろうじて、老王もその程度ていどは思いめぐらせた。


 細く白い指が伸びる。

 グリーの光に指輪が重なる。

 だが、宝石と見立てるその遊びをしても、老人の気は晴れなかった。


     ◇


 この年、最後の満月の夜。

 星空のした、王都グリーが輝く天守の塔オベリスク


 マルコは、思いもよらぬ人々と再会した。驚いて叫ぶ。


「アエデス様? いったいなんでここに?」


 剃髪ていはつで真っ白な作務衣さむえの男らが、指を組み顔を赤らめた。

 その真ん中で、小柄な老婆が目を見開く。


「お……? おぉそなた、マルコか?

 なんと、立派に……」


 南のいにしえの町で出会った、テンプラム神官長、アエデス・ヴィルジニアスだ。

 彼女は感嘆のまなざしでマルコを見つめ、群青色の法衣ローブ姿の魔法使いにも気づく。


「ふむ。新たなよそおいじゃな。

 げた者。南の探究者よ」


 アルはれ、「いやぁ」と頭をかいた。

 再会を喜ぶ3人を囲み、神官らも乙女おとめのようにはしゃいだ。



 それをほほえましくながめる者がいる。

 先導者ユージーンが、革帽子をかぶる王女にげた。


「アルとマルコは、南の混沌祭こんとんさいを手助けしたそうです」


「うん」とレジーナはうなづき、もう一人に問う。


「リア。あの方が、混沌をべる術者だな?」


 暗がりから「はい」と答え、つばの広い帽子があらわれる。


「神の善意と悪意の両方に通じるひと

 その術で『発動』も可能かと……」


 帽子の影の下から、王立魔法学院アカデミー研究長、コーディリア・ヴェネフィカは言った。


     ◇


 神官らを外に残し、一同は塔の中の浮遊石で上昇していた。

 アエデスが、気遣きづかうように異邦人に聞く。


「マルコや。それで、マリスは無事かの?」


「はいっ!」とマルコは答え、腰の暗い袋を取り上げて見せた。

 丸い袋は、ニワトリの倍、ガチョウの卵ほどの大きさにふくらんでいる。


 瞬間、さっと老婆の顔は一変。ぎらりと探究者をにらむ。


「この始末はアル、そなたのつとめよの!」


「は、い。もちろん」とアルはあせり、話題を変えた。


「そ、そういえばアエデス様、今日は飲んでないのにキレ、覚醒してますね」


「話をそらすでない! 今日は特別じゃ。

 あらかじめ術はほどこしておるわ……」


 老婆はふうとため息をついた。

 場を明るくしようと、マルコが見当違いの助けを出す。


「あのーアエデス様、よかったら今のマリス見ますか?」


 とごそごそ袋をいじり出す。

 神官長は心底ひやりとした。


「あー、よいよい。ここで出さずともよい!

 マルコ、やめいっ!」


 動きが止まったマルコは、袋に手を入れたままキョトンとする。

 アルが口を手で隠した。王女とユージーン、コーディリアは背を向け、忍び笑い。

 目をつむる老婆は何度も首を横にふった。



 頂上の展望台。

 主柱おもばしらで輝く、人の頭より大きい神の善意、グリーが一同を白く照らす。


 アエデスがただす。


「研究長に問う。

 この術をせずとも、サノスレジム王がみずから王都を守る『発動』をすればよいのでは?」


 口を開くコーディリアを制し、レジーナが前に出る。


「神官長。それが……難しいのです」


「なぜ?」


 片眉を上げにらむ老婆を、王女は真っすぐ見返した。


「百年間、王は一度も発動してないのです。

 ただ、かがやめぐみをうけるだけで……」


 とたんアエデスは両腕を回し、次々と印を組む。

 王都グリーを見上げ詠唱。


 彼女の術が、はじまった。


 だが白い光はわずかに増すだけ。

 老婆はわめく。


「なるほど。あるじと同じく、この石は心を固く閉ざしておるわ!

 アル! 揺さぶろうぞ!」


「はい!」とアルは、さっと大杖の袋をはずし唱えた。


魔法学院アカデミーグリーにぐ!

 王都のグリーに干渉する。

 神官長へそのちからを発動せよ。

 ただし、召喚術は継続」


 刹那せつな、杖のグリーから白い雲がき出し、アエデスの周りを取り巻く。

 彼女はにやりとした。

 ふっと息を吐くと、雲はいく筋も王都の石を囲む。


 光が揺れ風がまく中、老婆は叫ぶ。


「マルコ!」


「はい?」と驚くマルコ。


うずが足りぬ! たまごも出せいっ!」


 マルコは、片手でなんとかつかめる黒石を袋から出した。

 神の悪意が、ひどく震える。


 白と紫の雲が渦巻うずまいて、塔の上でつむじ風が舞う。

 王女と先導者、コーディリアは青ざめた。

 本当にこれでよかったのか?

 自信を失い、自分が何者かも曖昧あいまいになる。


 その時。


混沌魔法こんとんまほうあるじかえ、れり!」



 神の善意、グリーと呼ばれる王都の石は、百年ぶりの輝きをはなった。

 秘めたちからはあふれ出し、あるじを求める。


 その雲の光が向かう先は、帽子から黒髪がはみ出る少女。

 彼女の体を、白い雲がいくえも取り巻き、まばゆくなる。


 ロムレスが持ち帰った神の善意は今、彼の子孫、レジーナ・ロムレス・ウルヴズハートをあるじと認めた。

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