10 無謀

 ナサニエルは今日も湖面こめんをながめ、となりの単眼巨人キュクロプスの子の髪をなでた。


 背中から声がかかる。


「あの子たち、うまくやってるかしら」


 ルアーナがたたずんでいた。白い前髪と、後ろでとめた房が風にれる。

 首を回し妻を見た老人は、いくらか安らぎを得た。


「探究者も先導者も立派になった」


「見込みどおり?」


 妻は無邪気に微笑ほほえむが、夫は首をふる。


「彼らが道をひらく……」


 老人は「きゅるるる」と鳴く一つ目の子を見つめた。

 ルアーナは期待する。


「お兄さんも、救ってくれるといいわね」


 その言葉に、彼もうなづく。


子供返こどもがえり』をかけたこの子の名は、兄弟の真ん中の『雷光らいこう』。

 弟の『雷鳴らいめい』は、北の探究者だったナサニエルが殺してしまった。

 グリーを駆使すれば、古代種とも渡り合えたのだ。



 日を置いて崖下に降りた時、ナサニエルは骨となった『雷鳴らいめい』の頭を見つけた。

 巨大な頭蓋骨は人とは違い、真ん中に大きな一つの眼窩がんかがあった。

 その神秘に、彼は心を奪われた。

 同時に、二度と生まれない古代種の命を絶ったと気づき、打ちのめされた。

 彼はひとりで探究する自信を失い、それから月の巫女みこに助けを求めたのだ。



「兄の『落雷らくらい』は悪意にとらわれた。

 だがあいつらは、ひとりじゃない」


 そう言って、老人は瞳をあげた。


     ◇


 闇をちぎる音がして、天が落ちる衝撃。

 バチバチッ! と鉄塔が赤紫に光る。


 マルコは、稲妻が落ちた塔を思わず見た。とたん重たい風を感じ、衝撃波でココが倒れそうになる。

 手綱たづなを握るアカネが身を乗り出して、なんとか転倒を防いだ。


 上から見ると、稲光いなびかりはじける塔の周りを、騎馬のマルコがぐるりと回る。

 その先の崖から、巨大な腕が伸びる。

 単眼巨人キュクロプスは、今にも登ろうと大地に首を出していた。



 離れた場からアルが唱える。


かげのもの退しりぞけ。さんぜんたる初日はつひ


 瞬間、巨人の大きな顔の前にあらわれる、まばゆい光球。

 大気にとどろく叫び。巨人は目を閉じ、まぶしそうに手をあげた。

 だが怒りに燃える瞳が開くと、またも天がまたたく。


 しかし、新たな鉄塔が瞳の前に生え、雷は地から出るとげに落ちた。


 嵐のなか、ユージーンが携帯杖ワンドを手に息を切らす。


「まだ……出せる」


「無理しないで」と横からアルが気遣きづかった。



 ほかの仲間は馬車から見ていた。

 髪が風で舞うレジーナは、何ができるわけでもないが、御者台でただ待つのが辛い。

 遠い目のエレノアは、出番は戦いのあとだとわかっていた。だが、落雷が誰かを直撃したらあやうい。こみ上げる不安を押し殺した。

 その胸元から赤いトカゲが首を出す。鳴くこともなく、狂った古代種をじっと見ていた。


 おもむろにバールが馬車を降りる。

 エレノアが止める間もなく、歩き出す。

 片腕に数本の槍を抱え、もう片方の手には細長い金属器が光っていた。


     ◇


 軍馬ココがまたも突進。

 マルコは前方の巨大な頭に右手を伸ばす。

 その左耳、影の中にマリスはある。


 頭の中で『たまご』の声が響く。通じ合って、マルコは狩りにのぞんだ。

 震えるアカネを背に、崖ぎわを疾駆。跳ね上がる巨大な腕の下をくぐる。

 手綱たづなを引いて無理にココを止め、見上げると目の前は巨人の顔。

 彼は右腕を大きく回した。


「マリ! いっけええぇぇ」


 マルコの右手首に巻きつく黒い糸が伸び、卵が宙を飛んだ。それは、ぱっとムササビのように開き、空をすべり巨人の耳に張り付く。

 影の中をもぞもぞ動き、探しものに届くと耳の肉ごと噛みちぎった。


 とたん巨人は悲鳴をあげ、マルコの顔に無慈悲なみが浮かぶ。

 巨大な手が、狂ってばたついた。



「なにが……起きてるんだ?」


 ユージーンのとなりで、レジーナがつぶやいた。

 驚く先導者は、巨人を襲う不可思議な光景と、王女の安否を思う気持ちで混乱した。

 一方、アルのそばで若ドワーフが叫ぶ。


「マルコをにがす!」


 バールは、金属器のへこみに投げ槍をつがえると、振りかぶる。

 そのあまりに力強いかまえに気をとられて、アルが問う。


「それは?」


投槍器アトラトル。古代のものには、古代の武器で」


 巨人に狙いをさだめ、ドワーフは答えた。

 アルのまなざしが鋭くなる。


「待って! あれを殺すな!」


     ◇


 あばれるココの上で、アカネは必死だった。

 鬼火をいくつも出して、涙をこぼす巨大な瞳に投げつける。

 青い炎が大きなまつ毛をがし、巨人が頭をそらす。


「遅い」ともらして、マルコが馬からすべり降りた。

「おい?」と驚くアカネ。

 マルコは「先に逃げて。ココ行け!」と馬の尻をたたいた。


 あっという間にココは駆け、アカネの瞳にうつるマルコがみるみる小さくなる。

 アカネは泣きそうな顔で叫んだ。


「ばっかやろおおぉ!」


 マルコは腕を回し、『たまごのマリス』を引っ張っていた。


     ◇


 単眼巨人キュクロプスの長兄『落雷らくらい』は、久々にすっきりしてまばたきをした。

 これまで、頭の中を何かの声が埋め尽くしていた。

 その間のことは思い出せない。


 だが今わかるのは、耳の痛みだ。

 目を落とせば、黒髪の小人がいる。盛んに動く血のかたまり手繰たぐり寄せている。

 巨人は怒りがこみ上げた。

 痛みの元凶であるそれを、にらんだ。


     ◇


 まだ咀嚼そしゃくする大きな卵を、マルコはやっとつかんだ。

 しかし彼のかげの向こう、バチバチッ! と輝く目がおりてくる。


 首を回すと、猫のように縦に長い、巨大な瞳が視界を埋める。

 刹那せつな、彼は地に伏し背中の盾を引き上げた。


 天から落ちる衝撃。


 まぶたの裏を火花が散り、身体からだが跳ねる。

 一瞬のしびれと熱。

 仰向けに転がるが息が苦しい。鼓動が早まり口から心臓が飛び出そうだ。そのまま体はひくつき、そして、止まった。


「バール……嘘つき」


 言葉にならぬつぶやきを最後に、マルコは息絶えた。



 痙攣けいれんするマルコを唖然あぜんとながめるアルのとなり、風を切る轟音ごうおんが過ぎ去る。


 バールが放った投げ槍は、神速で飛び巨人のひたいに刺さった。

 頭をもたげとどろく巨人の雄叫び。


「こっちを見るぞ!」


 叫ぶユージーンは、レジーナを抱き寄せてかがみ、詠唱。

 しかし少女は、頭の上で響く震えた声が、間に合わないと直感でさとる。

 横を見ると、二投目をつがえる若ドワーフと、グリーは輝くが立ち尽くす探究者。

 だから王女は、先導者の剣を引き抜いて、自らの剣も取り素早く立ち上がった。


 巨大な瞳が、こちらに向かって開く。


 前に出る少女は、泣いて叫ぶ。


「忘れないで!」


 呆然ぼうぜんとするユージーンの前。

 両腕でかかげる2本の剣から少女の身体からだを、紫の落雷がつらぬいた。


「レジーナ!」


 叫ぶ先導者の横を、轟音ごうおんが切り裂く。



 その光景は、アルの目に焼きついた。

 バールの槍が単眼巨人キュクロプスの目もとにささる。

 巨大な手が崖から離れ、巨人は崖下に消えていった。


 崖ぎわにピクリともせず横たわる異邦人。


 そして手前では、真っ黒になった細い身体からだが、どさりと音をたてて倒れた。

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