16 西門防衛戦

 真の闇を、マルコはこの時初めて知った。

 何も見えない目の前、ココが鼻を鳴らす。

 背後に息づかいを感じる。

 隊列の兵と、馬だ。

 先頭で彼も愛馬にまたがり、寒さに震えてそのときを待つ。


 やがて荒野の遠く、炎が一つゆらめいた。


 すると周りがどよめく。

 斥候せっこうが、燃える松明たいまつを手に戻ってくる。

 騎兵も、長い松明たいまつに次つぎ火をともした。

 赤い炎に照らされたならず者たちの顔は、どれも緊張でこわばる。


オーガだ……オーガが来る」


 おそれて誰かがささやいた。


 マルコも松明たいまつを兵につけてもらう。

 とその時、何かがマルコの背中、マントの中にもぐり込んだ。


「な? ちょっと!」とマルコは声がもれたが、あの十六夜いざよいの森の香りがしたので、彼の心は安らぎ思わず笑みが浮かぶ。

 首を後ろに向け、人目を忍びささやく。


「どういうつもりだ? アカネ」


 マントの下から、くぐもった返事。


「守るって言ったろ!

 ココも許してくれたから平気だ」


 そう聞いてマルコはあきれ、認めたくはなかったが、はげみをもらえた。


 後ろの騎兵が「大丈夫ですか?」と問う。

「問題ない」とマルコは手をふった。しかし後ろの騎兵たちは、マルコの背中がこんもりしているのを変な目で見た。


 ふと遠くで、何かの気配がする。

 大軍勢の、音が向かって来る。

 地をゆらすオーガの軍。星明かりの下、マルコは懐かしい巨人の影を見た気がした。


     ◇


 城壁前の陣営。

 数百の傭兵歩兵隊が列をなすが、座る者もいて、まだ戦いの気配はない。だがなぜか、良い食事と給金が奮発されていて、兵の士気は高かった。


 アルは、荒野の闇を遠く見つめている。

 エレノアが不安げにバールに目をやると、若ドワーフは前に出て、二人にふり返った。


「僕らの計画は単純だ。ここで戦い、情勢が悪ければ、隊も一緒に壁の南へ避難しよう」


 アルが驚く。


「そんな! ここで持ちこたえないと、もしマルコが––––」


「マルコなら大丈夫だ」


 落ち着いてこたえるバールに、アルはまた驚いた。

 だが巫女みこは、どういう事なのかを知りたいと思い、若ドワーフに微笑ほほえみ続きをうながす。

 バールは語り出した。


「マルコには炎を使うエルフがつく。

 あなた方ふたりは僕が守る。どちらも充分に戦い、もし負ければ、何があっても生きて逃げ帰る。

 そう……アカネと取引した」


 アルは、目の前の若ドワーフにもはや敬意さえいだいた。第二の民と第一の民の若者は、作戦を考え尽くしたようだった。

 全ては、仲間を守るために。


 素直に喜ぶエレノアは、身をかがめる。

 バールと目線を合わせ、彼女はたずねた。


「それって……いつもの?」


「充分で公平な取引だ」


 そう告げると、バールは前方に向き直る。

 まるで荒野を切り裂くように、ブンッ! と長槍ながやりを横にはらった。


     ◇


 王都の西方、荒れ地となった平原に、この新月も魔軍が侵攻した。

 魔軍は明かりを一切使わず、数は数万なのかもわからない。

 人より大きいオーガは、知性が乏しい。なので軍を成すなど、城の官吏かんりにも謎だった。


 戦場の荒野を上から見ると、暗い大集団が西から城壁を攻める。

 上方北側は、上級騎馬軍団と神官戦士団が応戦。

 中央は歩兵軍。

 そして下方の南側では、城壁に向かう魔軍の側面、南から傭兵騎馬隊が突撃する。

 騎馬の隊列は数個の円を描き、左に大きく回った。



「訓練通りの距離で! 火で威嚇いかく!」


 軍馬ココの上で、マルコは声も枯れんばかりに叫ぶ。

 右手の長い松明たいまつを敵にあて、反撃をよけ疾駆しっく

 炎が照らす怪物は、赤みがかった肌で目は黄色に光る。よだれを散らし、鋭い牙をむくオーガだ。


 マルコの背中でアカネは、手や武器を伸ばすオーガに次つぎ火矢を放った。

 そして敵から離れ、左に大回り。一周して再び敵へ攻撃を繰り返す。

 つかず離れず、兵を極力減らさぬこの戦術が、メルチェの『くるまじん』だった。


 隊長メルチェがマルコの100人隊にも巡回。

「夜明けまでの長丁場ながちょうば! りきむな!」と大声でがなりたてる。

 だがその直後、彼は命令を変えた。


「全軍……全速後退! 巨人だ!」


 指示しようと上げたマルコの右腕を、闇から伸びる風がなぎ払う。

 驚いてマルコがふり向くと、右手の松明たいまつは吹き飛ばされ、目の前に巨人がいた。

 炎が照らした岩の顔。

 かつて苦しめられた岩鬼トロールだ。


「俺がとってくる。ココ、行け!」


 アカネが叫び、地面を転がる松明たいまつの火を目指して跳び降りた。

 ココは猛然と疾走。

 みるみる離れる少年エルフが、巨人とオーガに囲まれるのを見て、マルコは絶叫した。


「アカネーーッ!」


     ◇


 城壁前、歩兵隊の陣営。

 整然と並ぶ隊列の間に、アルたち三人もいた。

 目の前は、アルがかかげるグリーの輝きを反射する、千もの黄色い目。

 オーガ軍がせまる。

 前列の歩兵がいっせいに叫んだ。


「オーラッ!」


 すると兵は丸い盾を地面につけ、ザッ! と長槍ながやりを前に向けかがむ。


 双方が衝突する、その時。


はらいの陽射ひざし


 魔法使いが左手に青い携帯杖ワンドをかかげた。

 瞬時、日の光が侵略軍の全面に放射。

 オーガは顔に手をあて次つぎ倒れる。

 魔軍は大混乱になり、歩兵隊は敵を串刺しにした。


 巫女みこエレノアは安堵あんどし、アルを見上げる。

 アルも汗しながら笑みを返す。すると、前のバールが首を回して二人に告げた。


いくさは朝まで。この槍でも引き受けよう」


 そう言って若ドワーフは、最前列に出るとオーガを右に左に槍でなぎはらった。


     ◇


 遠くの炎を目指し、マルコは猛烈にココを走らせた。

 まっすぐ前に、松明たいまつを手に渦巻うずまく炎をあやつるアカネがいる。

 それしか目に入らず、風を切って疾駆する。


 とその時、頭の中に声が響く。


「み、ぎ!」


 腰から動かされるように、マルコは身体からだを右に落とす。

 マルコのかぶとを、岩鬼トロールの腕が弾き飛ばした。

 直撃を回避できて、彼は思わず感謝する。


「ありがと! マリ……」


 言葉は切れて、長剣スパタオーガを切り払ってなお進む。

「まり?」とマルコは考えそうになったが、首をふって頭の声に耳を傾ける。

 神の悪意の石、マリスの指示に従い、彼は何体もの岩鬼トロールが暴れる混戦を、右に左に馬を進めた。


 その先には、目を見開き驚きと笑みが入り交じるアカネの顔が、もう目の前。


 マルコは長剣スパタを投げ捨て右手をのばすと、すれ違い様に彼を拾い上げた。


     ◇


 新月の闇が明けて、アルバテッラの東、雪壁の山から日がのぼる。

 空が白むころには、魔軍はしおが引くように西へと退却した。


 アルは、薄明かりの城壁をふり返る。

 突破されて、岩鬼トロールに破壊された場所もあるが、おおよそ守れた。

 かたわらには、折れた槍を抱き、座って眠るバールがいる。

 彼がいなければ、無事では済まなかっただろう。

 若ドワーフを見て、アルはつくづくそう思った。


 巫女みこは、今が本番のように働いている。

 傭兵隊の手当てが済むと、中央の歩兵軍のもとへ向かった。


 朝日が山から昇ると、荒野の先から日に照らされる。

 必死に遠くを見つめるアルの、すすと傷が残る顔が、笑顔に変わった。


 朝の光の中、黒っぽい馬の上で黒髪が風になびく騎兵。その肩に手を置いて、立ち乗りしている赤髪が見えた。

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