2 西区の宿で

 翌日。曇り空の王都。

 南北にはしる通りに面した、宿の屋外席。


 マルコは、鮮やかな群青色ぐんじょういろのマントにくるまり、ため息をついた。

 向かいの席で、若ドワーフのバールが長い荷を背負い座っている。彼は、マルコが出かける気になるのをずっと待っていた。


 アルとエレノアは、朝から魔法学院アカデミーへ出かけている。

 神の悪意の石マリスの処置について、研究長コーディリアの助言を得るためだ。

 アルは「私の魔法のことも」と、ぼそぼそつぶやいていた。


 マルコは再び、ため息をつく。


「はあぁ……。がっかりだよ。王都にくればなんとかなると思ってたのに」


 そう聞いても、バールは無言でお茶を飲むばかり。

 マルコは大通りをながめる。

 目の前を、つかれた町びとが牛車を引いて通る。その荷車の向こう遠くは、明るい衣装トーブの商人たちが笑いながら歩いている。

 さらに彼方かなたには、夕べ訪れたとんがり塔がそびえていた––––。


     ◇


 昨夜。

 魔法学院アカデミーの研究室で、アルは懇願した。


「この暗い袋、ニーグラム・プレトリウムを開発した魔法学院アカデミーだ。

 南のマリスも保管できるよね?」


 だが研究長コーディリアは帽子を脱ぐと、スミレ色の頭をふった。


「この魔法図マジア・ヴィズムで見てたの。手紙の内容もふまえると……。アル、気づいてるでしょ?」


 探究者アルは、無言で下を向く。

 コーディリアはマルコを真っすぐに見た。


「異邦人いえ、マルコ様。あなたはすでに、そのマリスのあるじと思われます」


「へ?」


 マルコはわけがわからない。

 研究長は魔法図マジア・ヴィズムのテーブルの周りを歩き、続ける。


「神の善意と同じなのです。

 王都のグリーは、王がそのあるじ

 アルが持つグリーは、探究者の彼があるじ

 あるじを得た神体は意志を持ちちからを発動––––」


「あの! あ……」


 うろたえて声をもらすマルコに、みな注目した。


「でも……僕がその、あるじだって証拠は……」


 コーディリアは立ち止まる。


「神体はあるじを守る。他にもあるけど、これはあるじである彼が一番わかるでしょう」


 そう言って彼女は、アルを真剣なまなざしで見つめた。

 ぐっとのどを詰まらせ、アルはそろそろとマルコへ顔を向ける。


「マルコ……妙なことを聞くと思うかもしれないが。

 君はその、マリスの『声』を聞いたことはあるかい?」


 ハッ! とマルコの表情が一変した。

 アルは泣きそうな顔でうなだれる。

 研究長の瞳が開く。


「やはり……。

 あるじと離せば、マリスは特に危険なのです。

 さらに特別な神体ともなれば––––」


 マルコはもう、研究長の声が遠く、聞こえなくなっていた。

 旅の目的を失ったことがわかり、ただただ頭の中が真っ白になった––––。


     ◇


「そろそろ、立ち直ったか?」


 テーブルごしにバールが淡々とたずねる。

 魔法学院アカデミーでもらったマントを、マルコは強くにぎる。


「そんな! 言い方ないだろバール。

 こっちは希望がなくなったんだ」


「う、うん……」


「ここにマリスを届けて、南へ戻って、それからかえるはずだったのに」


 バールは、太い指でこめかみをかく。

「……第三の民はこれだ」と口からもらし、あわてて手でおさえる。

 それから若ドワーフはテーブルに身を乗り出して、マルコを真剣に見つめた。


「マルコ。自分のちからだけで解決できないことを、あれこれ思い悩んでも仕方ない」


 そう聞くと、マルコは呆気あっけにとられた。

 としはどうあれ、自分が面倒を見るつもりでいた若いドワーフにたしなめられ、驚く。

 風が吹いて、寒さでくしゃみをした。


 バールは、得意げな笑顔になる。


「それだ! いま解決すべきは、服!」


 マントで鼻をこすり、マルコはしぶしぶ「取引ね……」とうなづく。

 バールが嬉しそうに指先を向ける。


「そう、買い物! まず東区の店に––––」


 とその時、屋根からなにかが飛び降りて、テーブルに着地。

「ぅあ?」とのけぞるマルコを、少年エルフのアカネがにらむ。


「アルとエラは?」


 マルコはたじたじと答える。


「今朝話したろ? もう出かけたよ」


「そうか! じゃあ俺ら三人で行こうか! エルベルトと妹探し」


 バールがあわてて口をはさむ。


「な! 取引が先だ。前からの約束だ」


 アカネは、意地悪そうな笑顔を若ドワーフに向ける。


「商品は逃げないからいいだろ? こっちはどこ行くかわからない奴らを––––」


「い! いい、いいや商品だって、逃げる!

 大事な商機というものが––––」


 むきになり、バールも立ち上がった。



 王都で最も大きな通りのかたわら。

 宿の屋外席で、年若いドワーフとエルフは喧嘩けんかをはじめた。

 バールはテーブルを持ち上げ、投げ飛ばす。

 アカネはよけて飛び跳ね、悪口と石を投げ返す。


 西区の庶民は、何事かとおそれ、回り道をした。

 通りの向こうでも、東区の金持ちが騒ぎに気づき、人が集まる。


 マルコは椅子に座るまま、はらはらした顔を右に左にふる。

 だがドワーフとエルフはお互い、物を投げ合ってもよけ、または器用に受け取るので、傷一つ負わない。

 見るとおかしくて、やがて、彼は笑い出す。


 自分のちからだけでは解決できない。

 マリスの問題も、目の前の喧嘩けんかも。

 だから、悩むことをあきらめて、マルコは笑い飛ばそうと思った。


 そして、こうも思った。

 神の悪意を処理できないと聞いた時には、一人だけわざわいを押しつけられたような恐怖を感じた。

 だがしかし、マルコは今、笑うことができる。

 それはきっと、目の前で子どものように争う、自分とは違う種族の仲間が、そばにいてくれるからだ。

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