17 夏の終わり

 王都の夕べ。

 虫の音が涼しげな、とんがり塔。


 魔法学院アカデミーの研究室では、三人の若者が魔法図マジア・ヴィズムの前でたたずむ。


「もう一度確認したい。川賊の動向を」


 んだ声だが、姿はまるで町の悪童。

 王女レジーナが言った。

 彼女はいま、くたびれた上衣に、はげた皮の帽子をかぶる。耳垂みみだれから黒髪があふれ、顔は透き通るように白い。

 瞳は、世界を知ろうとする探究心でかがやいていた。


 研究長コーディリアは、横目で王女を見ながら思う。

 おしのびのあと、とは聞いていた。

「でもなんで男の子みたいな格好?」と不思議で、なぜかほおを赤らめ、ちらちらとのぞき見した。


 卓上の地図に、黒鉄手甲くろがねてっこうが伸びる。

 銀髪の補佐官、ユージーンが指し示した。


「中流域のここ、王都の南東で、賊は壊滅かいめつ。ですので、この下流のやかたには戻れないはず」


 地図をながめ、レジーナは首をかしげる。


「うん……。リア、あなたはどう思う?」


 急に問われて「ひゃっ?」と驚き、コーディリアはあわてて答える。


「あっ『これまでなかったマリス––––」


「そして『また見失ったマリス』」


 すかさずユージーンがちゃかした。


 赤面してコーディリアは補佐官をにらむ。が、レジーナはあきれ顔。手をあげて続きを促した。


「先ほどのマリスの動き。

 西の橋まで、すーっと移動し消えました。

 はやくなったのです。

 つまり運んだのは、人ではない、のかと」


 帽子を握り、研究長は恐るおそる答えた。

 しかしほかの二人は、真剣に考えている。


 沈黙を、レジーナが破った。


「問題は、行き先だ」


 すかさずユージーンが応じる。


「大橋の真西、ヌーラムの密偵は異常なし」


 そう言って彼は、したり顔で胸から携帯杖ワンドを取り出す。

「さっそく活用してる」と、コーディリアは驚いた。


 魔法図マジア・ヴィズムから目を離さず、王女は自らの指をむ。


「……となると」


 先導者でもあるユージーンは、予測した。


「研究長の言う、はやまる直前の方角の先は、ここ」


「……王都の西」


 レジーナのつぶやきに、先導者は、大きくうなづく。二人を見つめ訴えた。


「王都をゆるがす、西の魔軍に持ち込まれた可能性があります。

 次にすべきは現場にいた探究者へ尋問じんもん! っと先走りました。

 まずは異邦人も含め、王と謁見えっけんでしょう」


 だが王女は、指をんだまま。

 ふとコーディリアが顔を上げると、喜びをかくせず、ユージーンのほおがゆるんでいた。


     ◇


「はあっくしょん!」


 アルが盛大にくしゃみをした。

 エレノアが背中をさする。


 もう日も暮れようというのに、旅の仲間はまだ塔屋とうやにいた。

 みな、彼のことを待っていたのだ。

 巫女みこが、露台ろだいに顔を向け立ち上がる。


 外に面した露台ろだいに、マルコはひとり、腰をおろしていた。



 マルコの背中に近づきながら、エレノアは腰の暗い袋に目を奪われる。

 何をしでかすかわからない神の悪意、マリスを封じる袋。

 元は、神の善意を人目からかくす魔道具。

 エレノアには、思い出の品だった––––。


     ◇


 10年前。

 やかたを遠くにのぞむ森の小道。


 朝日を背に歩く魔法使いに遅れまいと、少女エレノアは必死に草をむ。

 青年アルは立ち止まり、頭をかいてふり返った。


「ごめん、早かったね。おんぶしようか?」


 少女は顔を真っ赤にして首をふる。

 なので青年は、となりに並んで歩いた。

 ふいに、エレノアがたずねる。


「あの……なんで助けてくれたんですか?」


 少女の瞳を見たあと、青年は口に手をやり考え込んだ。

 やがてぼそぼそ答える。


「当然のことを……したまでだよ」


 だが少女は、その答えが気に入らず、唇をとがらせ下を向く。声が大きくなる。


「ちゃんと、教えてください。いつかまた、来てください」


 紅潮した顔の少女を見て、アルは「元気になった」とほっとし、優しい笑顔になる。


「私はね、ずっと南でやらねばいけない事があって、そうは来れないけど。

 必ずまた会いに行くよ」


 少女の顔は落ち込んだり舞い上がったり、目まぐるしい。つい、心の声がもれた。


「なにか持ち物ちょうだい」


「え?」とアルは怪訝けげんな顔をした。だが素直に法衣ローブや荷物をまさぐり、予備の袋を持ち上げると、眉をひそめる。

 少女はおした。


「あずかるだけだからっ」


「じゃあ、これ。いつか返してもらうけど。

 そうでなくてもたずねるから」


 こうして、ふたりの季節ごとの交流がはじまる。

 この時エレノアは、暗い袋を初めて見た。見つめていると、夜空のように視線が吸い込まれる気がした––––。


     ◇


「乗り切った……よね。ありがとう」


 エレノアが、マルコのとなりに腰を下ろす。

 二人は露台ろだいの端に座り、目の前で暮れゆく赤い空と、下の暗い森をながめた。


 ぼんやり空を見るマルコは、いろんな事があり過ぎて、まだ心がえてる気がした。

 しかし巫女みこの「ありがとう」が耳に入るとふと、感謝されるのは二回目だと気づく。


 異邦人は、首を右に回し、彼女を見た。


「……こっちこそ。

 月の守りがなければ、終わってた」


 そう聞くとエレノアは、首飾りチョーカーに触れる。その仕草で、マルコは思い出した。


 海へ向かう途中、「一度、死んでるの」と彼女は言った。それを助けたのがアルだと。

 あの古代人こだいじんは、アルのことを覚えていた。


 頭の中で点と点がつながり、はっとマルコは顔を上げる。


「ここで助けてもらったの? あの相手?」


 驚くマルコに、エレノアはかすかな笑みでうなづく。

 だが、決然と瞳を上げて言った。


きずついても。こおる思いをしても。

 私たちは、共に乗り越えられる」


 彼女の言葉がしみて、マルコの胸はほんのりとあたたかくなった。


 やがて巫女みこは、「あぁ、蒸し暑くて」と首飾りチョーカーを取り外す。

 細い首をマルコに向けて、瞳がれる。


「どうかな?」


 マルコは、エレノアの首筋に、うっすらと横に入る切り傷の跡を見た。

 しかし、彼は答える。


「きれいだ」


 とたんエレノアはニコッと微笑み、首飾りチョーカーを思いきり放り投げた。

 裏庭のどこかに、それは消えた。


 次いで、さあと音をたてる晩夏の夕立ち。

 ふたりとも、生ぬるい雨に濡れるがまま。

 マルコは体もあたたかくなり、ついに顔を上げた。



 雨が止むと、森でいっせいに虫が鳴き出す。

 遠くで、「カナカナカナ……」とヒグラシの鳴く声がする。


「もう……夏も終わりだね」


 となりで、エレノアがつぶやいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る