16 塔屋の戦い 結

 10年前。

 嵐の夜でも暖かく、豪奢ごうしゃな内装の部屋は、血の匂いに満ちていた。


 奥の壁で、古代の人が陽気な声を上げる。


「素晴らしい余興! モーテム殿」


 だが、ふっくらした顔の男は、められても戸惑った。突如、蛮人がうたげに乱入し、客に怪我けがをさせたのだ。

 もちろん、その不届き者は、すでに前菜となってはいるが。

 モーテムは言い訳する。


「私が手配したわけでは––––」


 その時、うたげを邪魔する三度目の扉が開き、杖を手にする青年が姿を見せた。

 神の善意、グリーの白いかがやきをともなう。

 真に探究者となったアルだ。


     ◇


 かつてナサニエルは、北の探究者として、北の魔の掃討そうとうをつとめた。

 新米探究者のアルは、召喚術で南の不穏ふおん、すなわちマリスを取り除くのがつとめのはずだった。

 ナサニエル、ナット先生とそう約束した。

 しかし青年アルはこの夜、この場の掃討そうとうを探究のはじまりと決めたのだ。

 たとえ失敗しても、かまわないと思った。



 扉を開いたアルの前に、むさぼる紳士淑女がいる。

 隙間すきまから、喰われるフィーロックスのまなこがのぞく。


「無に帰せ。そらの暗球」


 アルが唱え、白い光に手をかざすとグリーは即座に詠唱。

 むさぼるやから狂戦士バーサーカーは、半透明の黒い球体に閉じられた。

 そして耳をつんざく轟音ごうおん

 部屋の燭台や、足を取られた客も巻き込み、吸い込む。


 球体の者らは、出ようと必死に手足を外に出すが、骨も肉もこわす音がひびく。

 たまはみるみる小さくなり、ふっと消えた。


 奥からながめる古代の人は、ほおに指をあてる。


「魔法使い! 脳髄のうずいが珍味」


 しかしモーテムは気が気じゃない。高貴な方を招いた大事な日なのに。

 彼はあおった。


「皆様! 次の品は魔術師。ご賞味あれ!」


 その声で、魔の客たちが扉に殺到する。

 しかしアルは、すでに次を唱えていた。


「転移門。観念動力かんねんどうりょく


 彼の指が、青い光の線で弓形にそった門を描く。

 光の門がすうと動いて、彼をくぐらせると、突進した魔者まものは扉に激突した。


 壁の中央。

 気を失った少女エレノアが、吊り下げられている。

 そのかたわらに、アルは立っていた。


「最後の守護。倍掛け、さらに倍、さ––––」


 彼が大杖をふるうたび、エレノアの周りを赤いまく幾重いくえにも包む。

 膜が少女の姿をかくした。

 客の一人が、赤い膜のかたまりに爪を立てると、腕ごとけて絶叫した。


 貴族の服を引き裂き、もはや本性をみせる悪の存在たち。

 両脇から同時に魔法使いに襲いかかった。


 その時、アルの唇は奇妙な形にゆがむ。


「つらぬ、燃やせ、け稲妻、火球、の光束」


 グリーの輝きが増し、右手の大杖から稲妻の閃光せんこう、左手から炎のかたまりを同時に放つ。

 右の光線は魔者まものがし、壁もつらぬき、穴をける。

 モーテムは外まで飛ばされ、真っ黒になって絶命した。

 左のものは、炎に焼きつくされた。



「二重詠唱?」と思い、嫌な記憶がよみがえって、古代の人は顔から指を離す。


 魔法は続く。


「裏返しの守護。観念動力かんねんどうりょく。倍掛けさ––––」


 部屋の宙に、朱色の丸い膜があらわれる。

 客は浮かび、次つぎと放り込まれた。

 しかし古代の人だけは、魔導は感じても、身体は動かされない。


 巨大な朱色のかたまりが、宙に浮かんだ。

 けて見える中では、異形の者が苦しげに手足を動かす。


そらの暗球」


 黒い球体がそれを包み、全てを吸い込む風を起こす。

 アルと古代人こだいじんの髪がなびいた。

 縮んで黒い玉となったそれは、ふっと消える。

 何事もなかったように、部屋は片付いた。



 ふううと息を吐き、魔法使いアルが向く。


「……残り、あなた一人ですね」


 真っ赤な口が、古代の人の顔半分になる。


「歴史上の魔法はきかない。私は––––」


古代人こだいじんだから。だけどこれには火傷やけどした」


 探求者の杖を見て、古代人こだいじん驚愕きょうがくした。

 はるか昔、あの魔術士は死んだはず。

 唯一、彼を焼いたあの無色むしょくほのおが、いま、杖の先からゆらめいている。

 謎の炎で、青年の瞳があやしくきらめく。


「このグリーは覚えてるんです。元はデメスンのものだから。

 古代魔法、はじまりの火」


 瞬時、古代人こだいじん露台ろだいに飛び出す。

 刹那せつな露台ろだいの壁は爆発。

 無色の炎が、塔屋とうやから飛び出した。


 夜空で羽ばたきながら、焼けた足の痛みにも耐え、だが彼は知りたかった。


何者なにものだ?」


 外に面した露台ろだいに姿をあらわし、アルは、白い光をかかげる。


われは、狂気のバーサーク––––」


     ◇


自焼じやきを唱える。われは、狂気の攻撃魔術師バーサーク・ソーサーラー


 瞬間、古代人こだいじんに10年前の痛みがよみがえる。

 手には黒い石、王城で『これまでなかったマリス』と呼ばれる石をにぎりしめる。

 反射的に、彼は飛び下がった。



「いま」


 マルコの頭に、はっきりと声がした。

 だから彼は、手で黒石を取り出すと、それを相手に向けた。


 神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、今はニワトリの卵そっくりの形をしていた。

 ほんの一瞬だった。

 それは異邦人の手から、形を曲げ伸びる。

 牙ある小さな口となって、古代人こだいじんの指先とマリスの端をかじりとった。


 絶叫というより、産声うぶごえの痛ましい叫び。


 露台ろだいの前から、彼は消えていた。


 マルコの右手で動く何かが「ムシャッ! グシャ!」とさかんに咀嚼そしゃくしている。

 やがて、盛大にげっぷをして、落ち着いた。

 が、マルコは動けない。


 露台ろだいの空から声がする。


「あの炎の匂い。

 それと『たまご』を持つ、この世にない匂い?

 今日はなんて日だ!」


 旅の仲間は、みな固まる。


 それは、羽ばたく姿を見せた。


「……そう、か。異界のものか。ならば今、お前の世界へ飛び、みな喰ってやろうか!」



 マルコが目を開いた時。

 となりで、魔法使いがへなへなと座り込む気配がする。

 露台ろだいからのぞく空は、黒い雲から、灰色の雨雲に変わり、明るかった。



 異邦人の右側に、若ドワーフが立つ。

 おだやかな顔でマルコの右手に手を添える。

 硬直したマルコに代わり、卵のマリスを、暗い袋に戻してくれた。


 左から、「大丈夫か?」と赤髪のエルフが気づかう。

 彼が左手や腕、背中をさすってくれる。

 するとマルコのこごえた血はあたたかくなって、再び流れ出し、彼は生き返った。

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