15 塔屋の戦い 転

 10年前。

 塔屋とうやの扉の前。

 嵐の夜に不似合いな、明るい笑いが響く。


「ハハッ! なんだってこんな……。

 ああ。テテュムダイも人がわりい。

 あ、神が悪い、か?」


 狂戦士バーサーカーのフィーロックスは、心底楽しげに血だらけの顔に笑顔を浮かべた。

 しゃがむ青年アルの顔を、たくましい両手でつかむ。


「この鋭い目。族長のぼん、生きてたか。

 ……おい、あれはあるのか? 神の石。

 あれさえありゃ、もう一旗ひとはたあげられる!」


 アルはその手をふり払って、無言で背中を向けた。

 男の声が続く。


「……ない、か。南でやられたってなぁ」


 アルは、なんと言葉をかけるべきかわからなかった。

 ただ、今を乗り越えるため、一人でも救うためにできる事を考える。

 若い魔法使いは、ふと、右手に持つ大杖の先、白く光る石を見上げた。

 とその時、背中に衝撃を感じ、彼は通路で吹き飛ばされた。


 うしろから野太い声が届く。


「必ず逃げ切れ! 森で夜明けを待て!」


 そして再び扉が開き、しっかり閉じる音。

 雄叫おたけびの声。


 アルはれた頭を上げ「ナット先生ごめんなさい」ともらし、立ち上がる。

 瞳を上げて扉を見ると、正式に唱えた。


「デメスンよりロムレスのものとなりし神の善意、魔法学院アカデミーのグリーよ。

 現世うつしよあるじたるわれが命じる。

 探究のはじまりとして今、そのちからを、発動せよ」


 魔法使いの右手の先、白い光がまばゆく、まばゆくかがやき出した––––。


     ◇


「あーもぅわかったよ! じゃ一緒に探そ」


 手に持つ暗い袋に向かって、マルコはひとごとをいってるように見えた。

 ほかの仲間は、そう思った。


 だがマルコは、頭に響く言葉にならない声に苛立いらだっていた。

 声の求めをだんだん理解していることに、この時のマルコはまだ気づいていない。

 仲間に手をふり、さらに遠ざけると、彼はとば口を開け、袋に手を突っ込む。


 ゴロゴロゴロ……。


 遠くで、雷が鳴った。

 背中から、どこまでも良く通る声がする。


「お取り組み中、失敬しっけい。通りますよ」


 袋に手を入れたまま、マルコがふり返る。

 いつの間にか、マント姿の男が壁の額縁をいじっている。

 外はみるみる暗くなる。

 ガチャッと音がし額縁が開くと、男はほっとした。


「あぁ良かった! 忘れるところでした」


 マルコが見ている前で、男は壁の穴から、大きな黒い石を取り出した。

 そしてそれを上に放り片手で取ると、鼻歌をうたいご機嫌に歩き出す。

 目を細め、親しみ深い笑顔を見せる。


「お邪魔……おや?」


 ふと男は、マルコの足もとの衣服に目を落とした。


「モーテム? あぁ。可哀想かわいそうなモーテム!

 人の身でありながら我らの眷属けんぞくとなるも、先日は血肉を失い、今日は魂まで失うとは」


 なげきつつ男は露台ろだいまで歩き、立ち止まる。


「このまま、というわけにもいきませんね」


 妙な感じがして、マルコは首を回す。

 肩に、アルが手を置いた。指先は震えて、目は男を凝視する。

 背中に、仲間が集まる。


古代人こだいじん……」


 かすれた声で、アルがつぶやいた。


 はっとマルコは見た。け物がいる。

 顔半分が真っ赤な口。

 上下に並ぶ白い牙。

 人でない眼球は浮き出し、ふり上げた爪をマルコの目に突き刺した。


 目を閉じたマルコは、しかし、恐るおそる瞳を開く。本能をゆさぶる恐怖で、目はうるみ唇は震える。


 だが男は、露台ろだいの前にころがっていた。


「我がちょうは、これを予見していた……」


 片方の手のひらを男に向け、巫女エレノアが涙を流している。


 アルは見た。

 マルコを包む巫女長サチェルの大きなまぼろし

 エレノア同様片手を向け、古代人こだいじんこばむ。

 そして、仲間みんなを守る、とうといひかり。


「……月が味方ですか」


 男は、黒石を持つ手で口をぬぐい、立ち上がる。

 あまりに長い年月、あまりに多くの称号を得たので、彼はただこう呼ばれている。

『古代からいる人』。


 その背後、露台ろだいの向こうは黒々とした雲が広がる。

 さっきの青空が嘘のように、雷雨が近づいていた。



「ではここで、半月、待ちましょう」


 旅の仲間を包む、淡い光が届かぬ床を歩き古代の人は言った。


 アルは、エレノアがくやしそうに唇をむのを見た。

 彼は、月の守りだけに頼れないとさとって、希望を失った。


 だが古代の人は、手中の黒い石を見つめ、「今日は急ぐ日だった」とつぶやいている。


 その姿を見て、マルコは不思議だった。

 いつもは敵の思いを感じとり、次の動きを読む。

 しかし目の前の男が何を考えているのか、次に何をするのか、想像もつかない。


 やがて男は、ヒクヒクと鼻を動かす。


「それにしても、おかしな組合くみあわせですね」


 良く通る声を上げて、アカネを見た。


「なつかしい、あまりに懐かしい森の香り」


 次にエレノアを「食べそびれたごちそう。今もかぐわしい」と指さす。

「岩の匂い。歯応はごたえが美味」とバールを。

 そしてマルコを見て、動きが止まる。

 しきりに鼻で、すう、すうと匂いをぐが首をひねる。


「一度も、いだことがない?」


 そう言うと古代の人は、異邦の戦士へ首を伸ばす。

 アルが大杖のグリーを向けて叫んだ。


「近づくな! 去れ! でないと」


 古代の人は、笑顔で指をふる。


「魔法使いの匂い! なじんだものです。

 特にあなたは、……狂人デメスン?

 いやいやそんな前じゃない」


 そう言って彼は、なんとか思い出そうと、頭を抱えた。


 杖を向けたままアルは、旅の仲間に謝る。


「みんな、ごめん。……策がないんだ。

 アカネ、バール、あなた方は森へ逃げて。奴は第三の民だから、どうにか身をかくして。

 エラ、私たちは……」


 エレノアのほおを、涙がとめどなくつたう。泣くまま笑顔を見せ、何度もうなづいた。

 アルは目を閉じると、マルコに涙声でささやく。


「マルコ、本当にすまない。無事に帰せるかわからな––––」


 とその時、古代の人が大声を上げた。


「あぁ! 前にここで! この間の––––」


 言葉は途切れ、アルを見る男の目がみるまにけわしくなる。

 探究者は、良く通る声で言った。


自焼じやきを唱える。われは––––」


 あろうことか、古代人こだいじんの顔に、恐怖が浮かび上がった。

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