5 いまむかしの別れ

 晩夏のセミが、鳴きやまぬ王都。

 騒がしい声が響く廊下を、王女レジーナが大股おおまたで歩く。

 一歩うしろを、政務補佐官のユージーンがついていく。


 白い礼服に身を包む王女は、足もとではたのようにすそをひらめかせる。

 頭には大きな真白の帽子。黒髪は隠されていた。

 レジーナの白いうなじを見ながら、ユージーンは報告する。


「先日の魔軍防衛について。西門周りの城壁は、来月までに修復可能です」


「進めよ!」


「南の川賊討伐について。中流第二の陣営が残党を捕捉しました。進軍攻勢の許可を」


「許す。進めよ!」


 指示するレジーナは勇ましい。

 だがユージーンには、王女の細い首を流れ落ちる汗が見えて、なんだかはかなげに思えた。


 言葉が途切れた補佐官に、少女がたたみかける。


「『これまでなかったマリス』の件は?」


 我に返ったユージーンは、放心したことなどおくびにも出さず、即答する。


「前回からの続報はなく、ヌーラムの東にあるままかと」


 ふと、王女の歩みが止まる。

 ユージーンの耳に、セミの多重奏がこだまする。

 うだる暑さの中、目の前の事が非現実的で幻に思える時が過ぎた。


 ふり返ったレジーナは、不安げにユージーンを見上げる。


「南の探究者のその後は聞いているか?

 神の石が集まるのは、まずいのでは?」


 少女の指摘に、ユージーンははっと顔を上げる。即座に思考し、答えた。


「研究長へ状況確認。

 ものの調査に協力しましょう」


「良い! いま、進めよ」


 そう言って、王女はまた歩き始めた。

 不意をくらったユージーンは、立ち尽くすまま。

 するとまたふり返って、レジーナがひそひそと話す。


「私の事は案ずるな。王との謁見えっけんだ。補佐官が迎えに来るまで、玉座の間で待とう」


「ハッ!」とユージーンは背を向け、さっそく研究長のもとへと向かうフリをした。

 ノロノロ歩いてから見返す。


 見つめる廊下の先で、王女が一礼し広間へと入る。

 白い旗のようなすそが消えるまで、彼は鋭い目で見守っていた。


     ◇

 

 中庭を過ぎて、魔法学院アカデミーの門。

 なつかしさがこみ上げ、ユージーンは息をのんだ。


 門の両脇から、石の壁が湾曲して続く。

 くぐった先には、目がくらむほどの高さの、とんがり塔がそびえている。

 敷地の樹木は緑豊か。

 残暑の中、サルスベリの木の花、紅色べにいろ、桃色、そして白が咲き誇っていた。


「城のサクラも見事だが、この花は格別だ」と、ユージーンは感嘆の息を吐く。


 彼は、探究者となったアルを、コーディリアと共に送り出した日を思い出していた。


 10年前。

 魔法学院アカデミーのグリーは、やせっぽちの田舎者に託された。

 その旅立ちの日。

 ユージーンとコーディリアがいつまでもついて回ると、ほおを赤らめたアルは不釣り合いな大杖をふり上げ叫んだ。


 その時アルがなんと言ったのか思い出せない。

 しかし、門で大杖をふり回すともと、頭上に咲く鮮やかな桃色を、ユージーンは昨日の事のように思い浮かべた。


 くもりなく笑い合えた日々。

 その思い出にはげまされると、ユージーンは顔を上げて、母校の塔へと入っていった。


     ◇


 大河マグナ・フルメナ、王都大橋の上流。

 友人同士の、魔法使いとハーフエルフは、激しく言い争っていた。


 マルコらほかの仲間は、草をむ馬と一緒に木陰こかげから遠巻きにしてながめる。

 長い背をのけぞらせて、アルが顔に手をあてるのが見えた。


 にやにやしながらアカネがもらす。


「どうしたって、エルベルトは妹を探しに行くと思うぜ」


 エレノアの顔が、ぱっと明るくなる。


「妹って、この前一緒に踊ってた可愛い子?

 似てるよね」


「……双子だからな」


 頭のうしろで手を組み、はにかむようにアカネは答えた。

 マルコは水上料理店で花火を見たあの夜、目の前で見つめ合ったエルフの少女を思い出す。心がなぜか、騒いだ。

 バールが、たどたどしくアカネに聞く。


「なんで、街に出てきたんだ? お、王都以外にエルフがいるのは、珍しいだろ?」


「関係ないだろ? イロイロあるんだ。

 面倒くさいことが」


 気になるマルコがさらにたずねようとした時、アカネは組んだ手を離した。


「お。話し合いが終わったようだ。

 さあ、どっちが勝ったかな?」


 意地悪そうなアカネの笑顔から目を離し、マルコはふり返る。


 肩を落とし、とぼとぼ足を引きずるアル。

 片手を上げ、ほがらかな笑顔で近づくエルベルト。

 勝者は、一目瞭然だった。


     ◇


「ここで私は別れ、アカネ様の姉君あねぎみを探しに行く。夜を待って、ひそかに橋を渡る」


 はずむように、エルベルトが切り出した。


姉君あねぎみ?」とマルコはつぶやき、エレノアとバールも一緒に、白い目をアカネに向ける。

 アカネはソッポを向いて、口笛を吹いた。

 いぶかる3人の様子には気づかず、ハーフエルフが続ける。


「アカネ様を頼む。私よりよほど手練てだれだが、あやうい時は、必ず一緒に逃げてほしい」


 アカネは横を向いたまま。

 変なお願いだと思い、マルコは思わず吹き出した。

 つかれた顔で、アルが口を挟む。


「この世で最も高貴な、長命の王子だよ。

 責任重大」


 そう聞いて驚くマルコに、エルベルトが近づき肩を握った。


「マルコ、もう私の加護は必要なさそうだ」


 マルコは、南の森でエルフの加護を幾重いくえにも受けた顛末てんまつを思い出し、ふっとまた笑顔になる。

 エレノアが、訳知わけしり顔で片目をつむる。


「今は、すっごい月の祝福も受けてるしね」


 なんのことかわからず、笑顔のままマルコの瞳だけ戸惑う。

 しかし旅の仲間はみな、あたたかいまなざしでマルコを見つめた。

 アカネも首だけ向けて、興味深げに異邦の人をながめた。


 おだやかな午後の木陰こかげで、マルコはこの時、夢にも思わなかった。

 長命の種族も越え、この世のはじまりからいる、悪そのものとあいまみえることになろうとは。

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