4 大河をのぼる

 ヌーラムで、残暑の日がかげる。

 安宿のその屋外席は、大人数が座りぎゅうぎゅうだった。

 道ゆく人が次々とふり返る。指をさして、コソコソ話す者もいる。

 人々が注目するのは二人のエルフなのか、それとも月の巫女みこ長サチェルと巫女みこエレノアなのか、マルコにはわからなかった。

 

 だらだらと汗をかきながら、アルが弁明する。


「巫女長様、すぐにうかがうつもりだったのです。ですが奇遇にも、こちらの友人と落ち合いまして」


 輝くメダルを胸に、背筋が伸びた老女、月の巫女長サチェルは、すずしい顔でお茶を傾ける。


「魔法使いの約束なんて期待するものじゃない、とこのには前から言ってるの。

 探求の旅に月の巫女をともなうとは、どこまでナサニエルをしたうのだか」


 そう答える老女のとなりでは、エレノアがほおを染めて、もじもじと下を向く。

 すかさずエルベルトが話に加わった。


「満月のメダル所持者にお会いできるとは、光栄です。

 直々じきじきにお越しになったのは、探求者アルフォンスの支援ですか?」


「まさか! 私は確認で付き添っただけ」


 巫女長はちらりとマルコを見た。が、窮屈な席で向き直り、アカネに顔を向ける。


「こんな機会もうないでしょうから。まずはエルヒノア。

 何十年ぶりかしら。本当に、全然変わらないのね」


 心から懐かしむように巫女長は言った。

 そして、ふっとかなしそうな目をしてアカネを見つめた。

 しかしアカネは、口のものを飲み込むと、まっすぐに巫女長を見返す。


「サチェルも、全然変わってないよ」


 老女は呆気あっけにとられ、それから顔を赤らめると、少女のように笑い出した。


「やだ! 相変わらず、ひとをあたためるのね」


 巫女長とアカネは、まるで幼なじみの子ども同士のように話し出す。

 マルコは、年老いた女がふと若返り、少年と同じ年ごろの少女に見えて、あわてて指で目をこすった。

 しばらくして、満足したようにサチェルはひと息ついた。


「それじゃまた院にも寄ってね。

 今は、思い出語りがごちそうなの」


 サチェルがアカネに片目をつむると、赤髪のエルフもいたずらっぽい笑顔でうなづく。

 そうして、巫女長は今度は真っすぐにマルコを見つめた。


「さて、と。あなたが……そうなのね」


 深い瞳で見つめられて、マルコはあわてて背筋を伸ばす。

 サチェルの胸もとで、満月のメダルが午後の光をまばゆく反射した。


     ◇


 その翌日。

 大河マグナ・フルメナにかかる王都大橋を横目に見ながら、マルコは馬を速歩はやあしで進めていた。

 うしろには、若ドワーフのバールがしがみつく。

 大橋の上は軍人が並び、前より物々しい。


「やっぱり……まだ渡れそうにないね」


 アルの馬がとなりに並ぶ。その背中には、エレノアもいた。

 アカネとエルベルトが先導して、前を駆ける。

「よく疲れないな」とマルコは感心した。エルフたちは、ヌーラムを出てからずっと走りづめなのだ。


 一同は昨日、瓦礫がれきの中の安宿で、大河をさかのぼることに決めた。

 まずは偵察ということで、狭い道も進める馬での旅だ。


「きのうは奇妙な会合だったな!」


 背中からバールが大声を上げた。

「本当にそうだ」とマルコは思う。

 月の巫女長サチェルに見つめられてからの事が、今朝からぼんやりとしていた––––。


     ◇


 マルコの記憶は、断片的に駆け巡る。


「異界から来て、記憶が曖昧あいまいだとか?」


 巫女長サチェルが言い、マルコは答えられない。


「神の悪意の石を、王都へと運ぶ。

 でも、そのあとのことは?」


 サチェルの疑問に、アルが必死に説明している。しかし、サチェルは目を閉じ、残念そうに首を横にふった。

 アカネが顔を上げ、その瞳が燃えるように光る。


 だが最後には、サチェルは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、マルコを祝福してくれた。


御身おんみの進む道を月の光が照らさんことを」


 サチェルが手で仕草をすると、マルコの視界に白い光があふれる。

 驚愕きょうがくするエレノアの表情が、最後には消えた––––。


     ◇


 向かって左へ伸びる大河と、南へと向かう街道の分かれ道。


 エルベルトとアカネが手をふって、こちらを呼んでいる。

 ここから歩きかと察し、マルコは手綱たずなを引いた。馬から降りて、うしろから来る馬上のアルへふり返る。

 魔法使いの表情は暗くげっそりしていた。

「気が進まないのかな」とマルコは思うが、前を向くと、エルフたちが満面の笑顔で手招きしている。

「危険な事が、怖くないのかな?」と彼には不思議だった。


 同じ気持ちなのか、エレノアが声をかける。


「前も川賊に立ち向かったそうだから、こういうの平気な人たちなのかもね」


 はっとマルコは、昨日の事を思い出した。

 別れぎわにサチェルは、二人のエルフに深々と頭を下げていたのだ。


「街を救ってくれて、本当にありがとう」


 巫女長はそうささやいて、微笑ほほえんだ。

 すると、遠巻きにながめていた人々が、少しづつ歩み寄ってくる。

「行こう」とアカネが立ち上がり、「それでは明朝」とエルベルトがアルの肩を叩く。

 二人は風のように駆け出し、驚く群衆の間を走り去った。


 もっとよく思い出そうと、マルコは頭を横にふった。


     ◇


 大河の岸をしばらく歩くと、先頭のアカネが皆を制した。ふり返って静かに告げる。


「あの紅色べにいろ。サルスベリの花だ。

 前はあの岸辺に船があった」


「今はない」とエルベルトが応じる。

 しかしマルコには、どこのことを言ってるのかさっぱりわからない。

「もしや、はるか向こうのあの赤い点?」と思った時、アルがおびえた声を上げる。


「その上は? 山の上には何が見える?」


「……屋根。ちたやかたの屋根」


 遠いまなざしで、アカネがつぶやいた。


「やはり……そうだ」


 ふり返ったアルの顔には恐怖の表情が張りつき、エレノアをいつまでも見つめていた。

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