18 魔法学院の友

 すっかり月は細くなり、また三日月の夜。

 アルバテッラ王城。


 先ほどから男は、ひそむように陰に立ち、無言で戸惑いを伝えた。

 王女レジーナの高い声が玉座の間に響く。


「案ずるな。リアと調べて、ここが一番安全なんだ。灯台もと暗し、と言うんだろ?

 続けよ、補佐官」


 補佐官と呼ばれた男は軽く嘆息して、昼間の続きを報告した。


「上流での主力の戦果は昼にお伝えした通りです。ですが、あれは陽動と思われ、賊の狙いは、下流のヌーラムでした」


「王都大橋か。それで?」


 ますます理解力を高める王女に舌を巻き、補佐官は要点に絞る。


「ヌーラム陥落、という最悪の事態は回避。多種族商業ギルドの傭兵ようへいが、防御の主力でした。被害は甚大じんだい––––」


「待って」ともらすと、レジーナは胸に手をあて息を整える。

 窓からの明かりが、おびえる少女の横顔をてらした。


「そんな……あわや王都まで侵攻される危機を、商人の傭兵が救ったと?」


「良い質問です」


 ついうっかり、かつて王女の家庭教師をしていた頃の口癖で、男は答えてしまった。

 だが動じることはなく、しばらく、文書をめくる音だけが広間に響く。ある頁で、彼の黒い手甲てっこうが止まった。


「先に事実のみお伝えすると、川賊の船は、早くから炎上したもよう。いくつもの火矢が目撃されました。

 また、賊を指揮する者はことごとく射抜かれたとのこと。弓の手練てだれが現場にいたことは確かです。

 そしてこれは……うわさでしょう。

 恐ろしい弓使いはエルフだったと……」


「何人だ? あの街でエルフ軍など、目立ったであろう」


「軍隊との証言は一つもありません。

 姿を消せる大勢だとか……二人とか––––」


「バカな!」


 興奮して王女レジーナが声を荒げた時。

 扉が開き、研究長コーディリア・ヴェネフィカがそろそろと顔をのぞかせた。


「きたな」とレジーナはほっと笑顔になる。

 しかしコーディリアは、こわばった顔で言った。


「緊急のお知らせが……」


     ◇


 コーディリアが退出すると、なぜか補佐官も後を追ってくる。

 ふり返りもせず、彼女は声をかけた。


「久しぶり。

 お元気そうでなにより『先導者』。政治の仕事も順調そうね」


 今度は『先導者』と呼ばれた男は、素っ気ないコーディリアの態度を気にする風もなく答える。


「先に仕事を済ませよう。先ほどの『これまでなかったマリス』について。なぜこれまで調査に引っかからなかった?」


「それも調査中……だけど、素早く運ばれた可能性がある。

 魔法図マジア・ヴィズムは、あまりに速いと追えないから」


「誰が運んだ?」という当然の疑問は出ない。

 補佐官であり先導者である男は、ただコーディリアのうしろを、鋲底靴びょうぞこくつの音をカツカツと鳴らしながらついてくる。

 根負けして、顔を赤らめるコーディリアがふり返った。


「あぁもお! 悪かったわよ。

 アルからの知らせ、言うのが遅くなって」


 廊下にそそぐ月光が、男をてらす。

 白いマントの内側から黒鉄手甲くろがねてっこうがのぞく。

 黒い筋が混じる銀髪は長く、ひたいからうしろへ流されている。

 顔は冷たいほどに端正で、左頬に薄く傷跡がある。

 だがしかし、コーディリアを見下ろすと人懐ひとなつこくニヤついた。


「水臭いじゃないかぁ、総代そうだい

 アルが帰ってくるなんて、まず真っ先に俺に言うべきだろう?

 あぁ、でも嬉しいよな。俺たち三人がまたそろうなんてさ。まさか、あのアルがこんなに早く探究を成し遂げるなんて。ナット先生、ボケてたわけじゃなかったんだな––––」


 一方的にまくしたてる男をさえぎり、コーディリアは目を閉じ一喝。


「うるっさい、ユージーン! アルは遊びで帰るわけじゃないんだからっ!」


「あぁそうだな。南のマリスを運んでくる。

 あの、狂気の攻撃魔術師バーサーク・ソーサーラーがな」


 そう言って、ユージーンと呼ばれた男は、今度はゾッとするほど恐ろしい笑みを浮かべた。


 コーディリアは、相変わらず振れ幅の激しい、この旧知の学友の迫力にたじたじとなりながら思う。

 きっとまた、とんでもないことがはじまる。


     ◇


 夏も盛り。

 大河マグナ・フルメナに沿った街道がしらむほど、太陽が照りつける。

 街道に青々とつらなる並木はどれも、セミの声が騒がしい。

 その道を、二頭立てのおんぼろ馬車がゴトゴト進む。


 御者台の若ドワーフは張り切っている。

「チッツ! チッツ!」と舌を鳴らし、馬をき立てる。

 となりに、竹製の日傘をさす巫女みこがいる。

 エレノアは、うだる暑さにほとほと参っていた。

 荷台に魔法の冷気を作り、我慢できない時は、狭い隙間すきまで身を涼めた。


 馬車の荷台は、様々な食料が満載だ。

 ピスカントルの干し魚や乾物、塩。ホスペスの新鮮な果物や黒胡椒くろこしょうなどの香辛料。

 旅商人ゲオルクのおいバールは、取引で得た収穫に興奮した。

 あとはこれらをヌーラムでうまくさばけば、伯父おじに認められるのは間違いないのだ。


 馬車の上では、マルコが籐製とうせいの寝椅子に、だらしなく寝そべる。

 頭の上に、竹の大傘が開いている。

 あふれる商品でいよいよ荷台に居場所がなくなり、屋根には特等席が設けられていた。


 夏の風を楽しみながら、彼は期待する。

 休憩になれば、また馬に乗れる。

 その前に、わらで汗をふいてあげたい。

 戦人いくさびとキースに馬術を習って以来、マルコは馬の愛らしさに夢中だ。


 そして、となりの寝椅子には、魔法使いのアルがいた。


「マルコ……今さらなんだけど、あの時は本当にすまない」


「えぇ? 何のこと?」


 マルコはゆるみきった半笑いの顔を向ける。

 だが、仰向けに寝るアルの横顔は真剣だ。


「あの魚の魔物と、一人でたたかわせたこと」


「あぁ……」と相槌あいづちを打ちながらマルコは、確かに今さらだなと思いつつ、アルが今も気にしていることが意外だった。

 アルは続ける。


「あの時は、エラとバールがいたから何とかなった」


「アルの巻物スクロールにも助けられたよ!

 だからその……ひとりでたたかったわけでもないし、気にしないで」


 マルコはそう、慰めた。

 だがアルは、鋭いまなざしをマルコに向ける。


「王都は大河の向こう目の前だけど、これから何がおきるかわからない。

 仲間の中で、私が一番、戦力不足だ」


 心からマルコは驚いた。

 ルスティカで岩鬼トロールと対決した時も、彼は気絶してアルの壮絶な魔法を目にしなかった。

 だから、アルが戦力という発想が浮かばなかったのだ。

 なので曖昧あいまいな励ましが精一杯。


「アルは、グリーを使わなきゃだし……これまで通り、しめるとこでしめてくれれば大丈夫だよ!

 おいしいもの教えてくれるし––––」


 アルは思わず苦笑いした。

 ふんわりした慰めの言葉を並べるマルコを見て、おかしかった。


「悪気は、ないんだよなぁ」と思いながら、自らの思い出にふける。

 こう見えても昔は攻撃魔法が得意だった。

 そうでないと10年前、エラを救い出すことはできなかった。

 誰かに、変なあだ名をつけられたこともある。

 何でもできたジーンだ。彼はバーサークがどうのこうのと言っていた。

 最初言われた時は、狂戦士バーサーカーの子孫だとバレたのかと思い、本当にドキリとした。


 しかし今は、召喚術に魔力を注いでいる。危険は増すのに、マルコを充分に守れない。

 手紙を送ってはみたものの、リアは力を貸してくれるだろうか。

 アルは悩み、つぶやく。


「はぁ……なんとかしなきゃ」



 大きな日傘が付いた馬車は、日の光を白く反射する街道を東へ進む。

 おんぼろ馬車を追い越して、大河の流れをさかのぼると、遠くからでも青々とかがやく街路樹が平和に続く。

 商業の街ヌーラムの手前までは。


 ヌーラムの河岸は、まだ戦火の跡が黒々と残る。

 水上の舞台は消えて無くなり、料理店の広い甲板かんぱんには、多くの群衆が殺到さっとうしていた。

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