17 いくさのはじまり、いくさの終わり

 時を戻し、ヌーラム近くの王都大橋。


 マルコたち3人が訪れた時とうって変わり、石造りの橋の上には、数えるほどの王立軍人しかいなかった。


「ここで待つように」とエルベルトにきつく言われ、アカネが木陰こかげに座っている。

 ハーフエルフが、軍人と話すさまを遠くからながめた。

 やがて、肩を落としたエルベルトが戻ってくる。

 せっかちなアカネは、橋を渡る交渉がうまくいかなかったであろう彼に、「残念だな」とかける慰めを心に浮かべ、その次の言葉を発した。


「仕方ないから、今夜、わたっちゃう?」


 確かめもせず交渉失敗の前提で話しかけられ、エルベルトはどうしても苛立いらだった。

 しかし冷静に目を細めると、これでもかと険しい目つきでエルフの少年をにらむ。


「第三の民は、川の賊とのいくさ最中さなか

 こういう時は、事をくべきではない。

 なぜなら––––」


 大橋を指し示して、エルベルトはさとすように丁寧に説明を続けた。

 だが、赤髪の少年は途中から聞いてはいなかった。

 ピクッととがった耳をそばだてる。


「自由なさとと違い、人間の住まう所は––––」


 と話しエルベルトは向き直る。

 こちらに背を向けるアカネに驚いた。


「な? 人の話は––––」


「シッ!」とアカネは制し両手を耳にかざす。

 川上をじっと見つめる。


「……向かってくる。ここはちる」


 そう聞いたエルベルトは、「まさか」という言葉を飲み込む。

 しかし目の前の赤髪を見て、少年がただのエルフではないことを思い出した。

 自らも目をらし、森と同じように、感覚をませる。



 大河の上流、はるか彼方かなたで、なにかがらめいている。二つ、三つ、もっとある。

 はただ。

 ほんのかすかに、金属の低い音が鳴った。

 戦いの銅羅どらだ。

 蜃気楼なのか。茶色の船の舳先へさきがわずかに見えて、エルベルトは驚愕きょうがくして我に返った。



 となりで、赤髪の下からアカネがじっと見上げている。


「もう行こう。街を守らないと」


 その決意にも驚いたが、エルベルトはあわててたしなめた。


「あなたは、ほぼ不老と言えるが、不死ではない。目覚める前にそんな危険な––––」


 子どもっぽい笑顔を見せて、アカネが口をはさむ。


「エルベルトと一緒だから大丈夫!」


 言うと、風のように走り出した。


「そうだった」とエルベルトはまた思いだす。

 昔から変わらない、正義感。

 赤髪のアカネに情熱の火がともるとき、それはもう誰にも止められない。

 しかし、だからこそ、放ってはおけない。

 顔を上げ、エルベルトもけ出した。


 アカネが、走りながら軍人に叫ぶ。


「ドラのが聞こえたら、必ず逃げろ!

 なんとかしようと思うなー、大軍でどうにもできないぞー」


 橋上の軍人たちは、ほら吹き少年のたわ言と思って、呑気のんきに笑っていた。


     ◇


 再び漁村、ピスカントルの砂浜。

 海辺の篝火かがりびに照らされ、白身の魚に赤い筋がさす。

 マルコが柑橘かんきつをしぼり、果汁をたらす。


「そうそう。こうやって食うのが格別で」


 ひげのイアンが壺から黒い香辛料をふる。

 バールは目ざとくそれを見た。

 マルコは竹箸たけばしで刺身を口に運ぶ。


「うまいっっ!」


 マルコが叫び、焚き火を囲む人々はどっと笑い声をあげた。

 ピスカントルは、ホスペスの人々を招き、終戦を祝う盛大なうたげをひらいていた。


 ホスペスの長老と、ピスカントルの長老、そしてキースは笑顔で酒を酌み交わす。

 果物や香辛料が入った山ほどの籐籠とうかごの前で、言葉もわからないのに、バールがホスペスの女たちから話を聞いている。

 エレノアは、焚き火で焼いた魚をふうふうと頬ばると、ニッコリ。

 ただ一人、心なし浮かない顔のアルがいた。


「ほい! 旦那だんなお望みの魚介煮込みですぜ」


 イアンが、ひげいっぱいの笑みを浮かべ大鍋を運んできた。

 マルコとバールが歓声を上げ、エレノアも駆け寄る。

 旅の仲間は大鍋をのぞき込んだ。

 ほんのり赤いスープに、大きな大きな赤いタイが浮かび、アサリやムール貝などたくさんの海の幸に囲まれている。


 息子イアンが笑顔で魚を切り分ける。

「召し上がれ!」と彼が言い、さっそくマルコとバールがはしでつつく。嬉々として、エレノアもおたまで椀にそそぐ。

「さいっこう!」「出汁だしが美味しいよねぇ」と、みなが笑顔を見せ合った。


 しかしアルだけは、冷や汗を浮かべ巨大な魚の頭を見つめたままだ。


「どうしたの?」


 箸を止め、エレノアが聞いた。

 アルは小さなアサリを、そっと箸でつまむ。

「それだけ?」と巫女みこは心配した。


「あんな門をくぐったから。

 体調悪いのか?」


 バールはそう言うと、タイのおかしらをむんずと手でつかみ、アルの目の前でバリバリと食べはじめた。

「や、やめて……」とアルは恐怖の顔で、手のひらを向ける。

 タイの目玉がアルを見ている。


 彼は、感情のないあの魚男のまなざしが、心の傷になっていたのだ。

 そうとは知らず、バールは目玉もムシャムシャとする。


「バカーっ!」


 そう叫び、アルは泣きながら海岸へと逃げ去った。


     ◇


 たらふく食べ、マルコが波打ち際で休んでいると、声がかかった。


「悪かったな」


 キースがとなりに腰をおろす。

 マルコはほっとほおをゆるめた。

 戦人いくさびとは言いづらそうに語る。


「一人で……戦わせてしまって。

 用兵には人並み以上の自信があるが……、まさか魔物とはな」


 そう言って、キースはもの問いたげに青い目で見つめる。

 マルコは、彼を元気づけたいと思った。


「大丈夫。前も……ああいう事あったから」


 キースは目を見開いたあと、海の遠くを見つめた。


「さすが『魔の国』、アルバテッラだな」


 今度はマルコが、じっと戦人いくさびとを見返す。

「あの––––」と言うと、キースはかぶせた。


「俺はこの地の者ではない」


 その言葉に、マルコの胸の鼓動が早まる。もしや自分と同じ、と考えた時、期待は裏切られた。


「白の山脈の向こう、砂漠生まれの、しがない軍人だ」


「そう……」とマルコはうつむく。

 海を見たままキースは続けた。


「聞かなかったことにしてほしい。俺もお前のことを聞きはしない。だがな……それでもまだ、気がすまんのだ」


 苦しげなその横顔を見て、なぜかマルコもいたたまれなくなった。

 そわそわしてふり返ると、村のはしっこで馬たちも干し草を食べうたげを楽しんでいる。

 ふとマルコはたずねた。


「キース、馬にも乗れるの?」


「ん?」とキースもふり返る。

 そして気づくと、晴れやかな笑顔になる。


「馬術も戦士のたしなみ。

 マルコ殿、指南してしんぜよう」


 おどけてキースが言うと、マルコはさわやかに笑った。


 二人は海岸から村のうたげをながめた。

 篝火かがりびが陽気にはねる影をうつし出し、笑いが絶えない。


 バールとイアン親子を、ホスペスの民が囲んでいた。

 ドワーフが充分で公平な取引成立の時にするように、彼らはお互いのこぶしを握りしめていた。

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