6 西への旅

 快晴の空の下の王都。

 魔法学院アカデミーの塔の屋根が、きらりと日の光を反射した。


 とんがり塔の上層にある研究室では、大きな歓声がき上がっていた。


「はなれてますっ! 見て下さい、研究長!

 マリスとグリーが、西へ、離れて行きます!」


 群青色の法衣ローブ姿の研究者が、興奮した笑顔で指差す。


「ハイ……見てますよ……ハイィ」


 魔法学院アカデミーの研究長コーディリアは、壮年の研究者が指差す先をうつろにながめた。

 卓上の魔法図マジア・ヴィズムは、地形を精巧に再現した縮尺模型の上に、無数の光の粒が浮かぶ。

 四隅にはコーディリアが開発した魔蛍石まけいせき、通称『お守りタリスマン』が浮かぶ。

 模型の水色の筋に沿って、紫の光と白い光が、のろのろと動いていた。向かう先には深い青のまりがある。


「人の少ない海へ避難ひなんしようということですね。さすが、探求者様です」


 若い女性の研究者が感心すると、コーディリアは思わずジロっとにらんでしまう。

 しかしマントに手を入れると、なんとか作り笑いをした。


「とにかく、最悪の事態はさけることができそうですね。私は、ただちに王女へ報告します」


 そう言って、コーディリアが研究室をあとにすると、多くの研究者が羨望とため息とともに、彼女の後ろ姿を見つめた。


     ◇


「ちがうっ! ちがうっ! 私は手紙に『南へ避難して』って書いたのに」


 片手をマントに入れたまま、コーディリアはぶつぶつつぶやき、王城の廊下を歩く。

 通り過ぎる人が「研究長!」と挨拶すると「ハイィ……」とあわてて笑顔を返した。


 豪華な扉の前に着くと、静かに息を吐く。

「うっし!」と気合を入れて、静かにノックした。


     ◇


 廊下に戻って扉を閉めると、コーディリアは「はああぁぁぁ」と深いため息をつく。


 川族討伐の作戦会議が続き、王女の私室は緊張感が増してくばかりだ。

 今日は『先導者』のあいつもいた。久しぶりに会ったが元気そうでなにより。

 アルが戻って仲間がそろえば、きっとまたとんでもないことがはじまる。

 彼女はそう思った。


     ◇


 とんがり塔の私室へ通じる中庭。

 コーディリアはマントから小さな携帯杖ワンドをとりだす。握りの先についた魔蛍石まけいせきが青白く輝いた。

 これで、人疲ひとづかれをいやすのが彼女の日課だ。

 一息ついて、元気に毒を吐いた。


「おそらく、手紙は届いてない。そしてあのアルが、周りに気を配って動くなんてありえない!」


     ◇


 外から見ると、とんがり塔の縦に長い窓が開く。

 窓の下の方から、コーディリアの小さなスミレ色の頭が飛び出し、深呼吸する。

 そして高窓に吹きすさぶ風に向かって、彼女はえた。


「アルは、海のものが食べたいだけえええぇぇぇ!」


 スカッとしたコーディリアは、昔、先生に引率された、臨海学校のことを思い出した。

 あの時も、探求者になるずっと前のアルのせいで、とんでもない目にあったのだ。


     ◇


 大河に沿って、東西にのびる石畳の街道。

 おんぼろ馬車が、ゴトゴトゆられて進む。


 麦わら帽子の下から、バールはとなりのアルを横目で見ていた。

 魔法使いは、先ほどからニヤニヤと顔をゆるめ、しきりに口もとを手でおさえる。

 馬車の手綱たずなをふりながら、バールは聞いてみた。


「む、向かう先の村へ、行ったことは?」


 アルは、びくっとして御者をつとめる若ドワーフを見た。

 我に返ったがまた、遠い日の幸せを思い出す。


魔法学院アカデミーの頃にね。……おいしかったなぁ初めて食べた、魚介煮込みアクアパッツア


 でも先生の言いつけを守らない生徒がいてね。変な魔法を試して、海岸にクラーケンを呼び出してしまったんだ」


「クラーケン? そ、それは何?」


 バールは問いただした。

 アルが遠い目をする。


「海の怪物。巨大なイカ? タコかなぁ……そんな姿をしていた」


 瞳を大きく開き、バールは想像を絶する化け物を思い浮かべた。

 アルは続ける。


「もう、みんなで! 先生も一緒に魔法で攻撃して……なんとかたおした。

『せっかくだから食べてみたい!』なんていう生徒がいてね。焼いて食べてみたら、それがもう不味まずくって! ……楽しかったなぁ」


 バールはぐっと口を結ぶと、様々な思いを頭にめぐらせる。

「作り話でからかっているのか?」とか「行く先は、そんなに危険なのか?」とか、「ゴードンおじさんは、彼らのどこを『立派』と思ったのだろう?」とか。

 いろいろ考えたのだが、とりあえず今は、馬車を前に進めることにした。


「チッチッ。チッチッ」


     ◇


 馬車の屋根から、マルコは道の先をぼんやり見ていた。

 すると前から、つばの広い麦わら帽子が飛び出して、エレノアが顔を出す。


「あ! またここにいた! お話しましょ」


 そう言って、いそいそと屋根によじのぼってきた。

 マルコはあわてて視線をそらし、真面目な顔をして川の流れに目を向ける。

 いまマルコが一番困っているのは、エレノアの薄着うすぎだ。暑いからとはいえ、両肩は露出し、切れ目の入った上衣は肌がのぞく。

 胸の丸みが、まるで透けて見えるようで、とここでエレノアと目が合ってしまい、あわててマルコは横を向いてゴマカした。


「そ、そういえば! アルとはどんな風に知り合ったの? というか、いったいどこにかれたのかなあ? なんて……」


 マルコのとなりに座ったエレノアは、ほっと一息つくと、首飾りチョーカーに手をあてる。


「う〜ん。どこから話そうか。

 私ね……、一度、死んでるの」


 瞬間、マルコはエレノアに顔を向け、まじまじと見た。

 彼女は首飾りチョーカーをさするばかりだ。


「その、死んだようなものだったんだけど。その時、アルが助けにきてくれたの」


 マルコは聞きたいことが山ほど浮かんだが、ぐっとこらえ「ふ、ふうん……」と相槌あいづちをうった。


「今度くわしく話すね!」と言って、エレノアは夏の日差しで輝く笑顔を見せる。


「私は、マルコに本当に感謝しないと!」


「へ? な、なんで?」


 突然の言葉に、マルコは呆気あっけにとられた。

 エレノアは笑顔のまま話す。


「アルに聞いたよ。

 召喚に、こたえてくれたんでしょ?」


 マルコは何も思い出せなかった。

 考えこんで、目を落とす。

 エレノアは意外に思って、真剣なまなざしでマルコを見つめた。ふと、笑顔に戻る。


「……私、あきらめてたの。彼を支えたいとずっと思っていたけど。探求のつとめに時間がかかる、そう言われて。

 だけど今、あなたがいてくれて、私たちは前に進むことができる」


 そう言って彼女は、静かにマルコを見つめた。

 マルコは、なんと答えればよいかわからず戸惑とまどう。成り行きでここまできて、綺麗きれいなひとに、感謝されている。

 しかしなぜか、感謝にこたえたいという気持ちもわいてきた。

 自分のつとめを思い出すと、やっと瞳をあげた。


「ああ。あの時の彼と、同じ目をしている」エレノアは、ひそかにそう思った。

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