18 王城と、思い出の野営

 三日月が照らす、アルバテッラのみやこ


 城壁塔がいくつも並ぶ城の横に、とんがり屋根の塔が一棟そびえている。下は三角屋根の建物群。西には、低く形の悪い家々の影が浮かぶ。

 とんがり塔の高みで、縦に細長い窓が開き煌々こうこうと明かりがもれていた。


「今日も……わたしは、かごの鳥」


 王立魔法学院アカデミーの若き研究長コーディリア・ヴェネフィカは、窓際の椅子で足を組んでいた。

 紅色べにいろ法衣ローブから、白い脚がももまであらわになる。細い腕と肩には、群青色ぐんじょういろのマントをしっかり羽織る。帽子の広いつばのした、耳の下で切りそろえられた髪は、青みがかった紫のスミレ色だ。

 

 三日月をながめながら彼女は、10年前に学院を首席卒業してからの軌跡をふり返る。

 専門研究は成果をおさめた。

 蛍石ほたるいしに、神の善意グリーの力を保持させた魔蛍石まけいせきの開発。研究室では『お守りタリスマン』と呼ばれ、様々な調査や研究に応用されはじめた。

 今は、王都近郊に存在するグリーや、神の悪意の石マリスについても、大気の波動オドを計測して、その存在の調査が進んでいる。


 だがしかし、私生活は灰色だ。

 研究室と私室にこもり、学院の塔から一歩も出ない日も少なくない。恋人もいない。

 二十代はじめにして、彼女は自らの人生にんでいた。

「少しアルがうらやましい」と思い、桃色の唇を開きため息をつくと、乱暴に扉をたたく音がした。


 あわてて居住いを正すと同時に、扉が騒がしく開く。


「研究長、すみません! 至急、見てもらいたいものが」


 かつて学院の先輩で、今は部下の研究者が息を切らして叫ぶ。コーディリアはこれまでなかった事態に驚き、目を開いた。


     ◇


「消えた? ひと時で、マリスの力が?」


 月夜の王城、玉座の間。

 巨大な窓のかたわらで、子どもの影がふり返る。

 外の明かりを反射し、光る目に緊張して、コーディリアは脱いだ帽子を握りしめた。


「……はい。魔法図マジア・ヴィズムによると、ルスティカの北東部とみられます。ですので––––」


「南へ調査隊を派遣したい、と」


 高い声がそう応じると、コーディリアは息をのんで、何も言えなくなった。

「王女は急に大人に変わった」と実感する。

 最後の姉も亡くなり、十代はじめの少女が、王位継承順一位となった。

 だが疑惑は深まる。

 いったいあの王は、レジーナ様に王位をゆずる気持ちが本当にあるのか。

 放心のコーディリアに、高いがおだやかな声がかかる。


「リア、派遣はしばらく難しい。大河マグナ・フルメナを川賊が荒らし、被害が増えてる。

 収束まで、南との往来も封鎖される」


川賊かわぞく?」


「前からしらせはあったが、勢力を拡大した。数年前から南の野盗が北上して加わっていたらしい」


 王女レジーナが答えると、コーディリアは残念な気持ちをおさえられず、うつむいた。

 一回り年下の王女が、慰めるように声をかける。


「確かめたいのだな?

 消えたマリスと、あの南の探究者を」


 はっとして、コーディリアは顔をあげた。あわてて話し出す。


「ハイ!

 先日ご報告した封書によると、異邦の人が南端のマリスの回収に成功しました」


「うん。異邦人がそんないさおしをたてるとは」


「異邦人が運ぶマリスと探究者のグリーも、消えたマリスと同じ場所にいたようです」


 コーディリアが興奮気味に語ると、王女は窓に向き直り、しばらく考えにふけった。

 やがて、研究長にただす。


「どんな男なのだ? その異邦人は。

 かつてない勇者と思うが」


「アル、いえ、探究者の手紙では、マルコ・ストレンジャーは少しとぼけた所があり、しょくが細いのでもっと食べてほしい––––」


 コーディリアは、はっと赤面して口を手でおさえた。

 じっと窓を向いたままの王女は、気を取り直すように再び問う。


「それでは……探究者アルフォンスとやらはどんな男だ?」


 コーディリアは困った。

 体の前で帽子を丸めて握り、斜め上を見上げる。「言っていい事。言っていい事」と心で唱える。


「彼は……食にこだわる人で」


「ほう! 魔力に優れた人は、体に入れるものから気を使うのだな?」


 王女レジーナは向き直り、黒髪の下で好奇心旺盛な瞳を輝かせた。

 コーディリアは、本当に困った。


「そう、ではなく……食べるのが好……き」


     ◇


「次は、お魚が食べたいなあ!」


 焚き火の鍋で燻製豚くんせいぶたあぶりながら、南の探究者アルが陽気な声をあげる。

 その回復ぶりに驚き、わんを持つマルコはさっと顔を向けた。


 ルスティカを旅立つ時にずぶ濡れになり、旅の仲間は風邪をひいて、近くの農家でさんざ世話になった。

 家主のチャーリーが青ざめるほどごちそうになった一行は、出立したあと、次の目的地である商業盛んな街、ヌーラムの手前で野営していた。


「元気になるの早いね!

 僕はまだしばらくは、おかゆでいいかな」


 マルコが、さじでアルを指しながら口をとがらせる。

 最後の一口を食べたゴードンが、上品にひげで口もとをぬぐう。


「元気にもなるであろう。

 もうすぐ恋人に会えるからな」


 マルコとアルの動きが止まる。

 間を置いて、マルコの手から、さじが「カラン」と音をたて椀の中に落ちた。


「ウソでしょぉ? ……コイ、ビト?」


 震えるマルコの声に動揺し、アルは冷や汗をかきながら見ると、マルコが白目を向けている。


「ぼ、僕にはあんなに村の人と会うなあうな言っておいて、自分は、お肉だなんだと食べ歩き、そのうえ、こ、恋人の元へ!」


「ち、違うマルコっ! 誤解、誤解なんだ。ゴーディ何言ってんだ! 彼女は月の巫女みこで……」


 アルはゴードンを責める。

 が、ドワーフは意に介さず、口をふいた髭を今度は布でぬぐいはじめた。


「ヌーラムの巫女長が言っていたぞ。

 夫婦めおとの誓いを立てたそうだが、いったい何時いつ迎えに来るのかと」


「ご、誤解だマルコ。マルコ!」


 アルは、白目を向いて後ろに倒れそうなマルコの肩を揺すった。


     ◇


 パチパチと炎がはぜる焚き火の前で、アルとゴードンはマルコの語りを一方的に聞かされていた。


「それで彼女が『春の英雄』だなんて言うもんだから、僕も驚いちゃって––––」


 顔を真っ赤にしたマルコが、頭のうしろをかいたりする。

 あの後、必死に弁明していたアルが「ぜひマルコの彼女の話をしてほしい」と、矛先を転じた。

 思い出すように始まったマルコの一人語りは、今や絶好調だ。

 アルが「うんうん」と何度もうなずく。

 ゴードンは眠そうに、薄目で何度もまばたきする。


「例えると、その、恥ずかしいんだけどさ、『花の精霊』みたいだなんて……。

 そういえば、そもそも出会った時は––––」


 マルコが身を乗り出す。

「2周目きた!」と察したアルは、気合を入れて赤い目を開き、必死に銀筆を紙に走らせた。

 ゴードンがこくりこくりと首を傾ける。

 ふいにアルが自らのほおをパンッ! と張り、ゴードンは驚いて目を開いた。

 マルコは目を伏せ、幸せそうな笑みを浮かべたまま、端村はしむらのシェリーとの思い出を語り続けた。


     ◇


 その晩、そのままマルコが見張りをつとめた。

 ほかの二人が倒れるように寝入ったあと、しばらく夜空の三日月を見上げた。


 遠くまで来たという感慨と、もうすぐシェリーに会いに戻れるという希望が、彼の心に入り混じる。

 暖かい夜にマルコの不安はやわらいでいた。

 だから彼は、暗い袋から、黒い石を取り出してみた。


 神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、今はニワトリのたまごそっくりだった。

 マルコは、またあの開く口が見れるかと、石を回してしげしげとながめる。

 しかし、月にかざした表面は傷一つなく、つるりとした黒い色のままだ。


 この時マルコは、初めて、『卵』のマリスに語りかけていた。


「……君って……いったい誰なの?」


『卵』の面には、マルコ自身の顔が、小さくうつりこんでいた。

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