15 雨上がりの匂い

 深夜の寄り合い長の部屋。

 テーブルの酒瓶は二本とも、残りは少なかった。


 おもむろに、ゴードンが立ち上がる。

 アルの顔がはっとするが、プロピウスはかすかな微笑みを向けた。

 ドワーフが問う。


「こうなりますかな。王都で騎士の勤めをしていたマグナスが帰郷し、御姉様との恋に破れた。

 彼は神の悪意の石、マリスを見出し、当時の寄り合い長一家を殺害。罪は明らかにされず、人外の魔物となって、村々を山賊から守った」


 プロピウスを見つめながらゴードンがまとめると、その場の空気は気まずくなった。

 とりなすようにアルがたずねる。


「カミラさん、聞いてもいいですか?

 彼は……マグナスは、魔の力をうまく使えたのですか?

 つまりその……山賊を討伐する時に」


 カミラの瞳は再び焦点が合わなくなった。壁を向きぼんやりと答える。


「彼はとても……剣の腕がたつようでした。私の知らない面です。住んでいた小屋も、元は山賊の根城で、彼は一人でそこを奪った。

 生き残りを部下にしてまとめたのです。そのあとも、同じ調子でした。ただ……」


「……ただ?」


 アルが鋭い目でカミラを見つめた。


「満月の夜は、苦しそうにして、よく遠出をしました。誰もついて来させず、一人で。

 帰ってくると、手は血だらけで『また討伐してきた』と言うのです。

 ですが、決まって一人で、捕虜もいない」


 カミラの語りに、ゴードンが口を挟んだ。


岩鬼トロールですな?」


 プロピウスが辛そうに下を向いた。

 カミラは呆然と、ドワーフを見つめる。


「ある晩、私はついて行ったのです。彼はふらふらと木にぶつかりながら歩きました。

 そして、顔に手をあてると––––」


「岩の巨人になっておりました」


 後を継いでプロピウスが声を上げた。

 カミラを除く一同は驚いて、プロピウスを見つめる。彼は続けた。


「私も、ついて行ったのです。姉と共に」


     ◇


「実に……長い茶番ですな。寄り合い長殿」


 ゴードンは、なんの感情も込めず、淡々と話した。

 鋭い目で、アルがゴードンをにらむ。

 しかし、寄り合い長プロピウスは、心からほっとした表情を見せた。


「その通りです。本当に長かった……。

 あなた方のおかげで––––」


「ちょっと! ちょっと、待ってください」


 マルコが、椅子から立ち上がっていた。



 アルも、ゴードンも、バルドも心底驚いてマルコを見つめた。

 マルコは、声を震わせながら訴える。


「ちょっと……ひどくないですか?

 ずっと、町の人みんなをだまして……。髪の色で、生贄いけにえにされて、人生を奪われて……」


「必要だったのです。マグナスを落ち着かせるために」


 プロピウスが、マルコをなだめるように両手を挙げる。

 カミラがテーブルに突っ伏し、泣き崩れた。


「私が悪いの! 歳を経るにつれ、彼は私が誰だかわからなくなりました。彼自身は、死んだような顔になっていって怖かった。

 ……私なの。弟に、白金色の髪の娘を願ったのは」


 プロピウスは、またも下を向いた。


 マルコは、気持ちをおさえる事ができなかった。そして、もうおさえなくてもいいと思うと、顔を上げた。


「わかります。

 成り行きでどうしようもない中、できる事は限られていたこと」


 プロピウスが目を見開いて、顔をあげる。

 バルドがじっとマルコを見つめる。

 マルコは、少年のようなダニオの笑顔を思い浮かべた。


「でも、自分たちで起こした問題じゃないですか。それを、若い人にまで押し付けるなんて、間違ってる!」


 マルコは息を切らし、寄り合い長とカミラを見据えた。

 アルは、はらはらして一同をながめる。

 ゴードンが、穏やかな笑みを浮かべた。


 プロピウスとカミラは、マルコの真っすぐな瞳をまじまじと見ていた。

 ふと驚いた表情になって、二人は顔を見合わせる。そして姉弟きょうだいは、若かりし頃の笑顔をマルコに向けた。

 まるで、懐かしい誰か、違う人を思い出しているように。


     ◇


「マルコさんの言う通り……ですが、どうにもできず……まるで、めない悪夢でした」


 プロピウスがつぶやく。だがしかし、彼は決然と顔を上げた。


「それも、もう終わりとなりました。生贄いけにえとなった三人のご婦人には、私が残りの生涯をかけてつぐないます。

 マルコさん、やり直そうと思えるのは、あなたのおかげです」


 マルコは体がびくっと震え、首を左右に向けアルとゴードンと目配せし合った。

 三人の緊張には気づかず、プロピウスは一礼する。そして口の端をあげ微笑んだ。


「ダニオさんは、あなたのことを……『とにかく、すげー剣士』だと。

 そう申しておりました」


 マルコとアルは目を合わせ、ほっとした。


「私からも感謝申し上げます」


 ふいにカミラが声をあげ、マルコはまた胸が騒いだ。

 しかしカミラは、心から穏やかな表情だ。


「あなた様が最後、浄化してくれたおかげで彼と……本当のマグナスと、お別れができたのです––––」


     ◇


 マルコの指につままれた『たまご』と呼ばれるマリスが、『村々の守り神』マグナスのマリスをすうと吸い尽くしたあとの裏山。


 空き地を上から見ると、大の字になって、異邦人マルコが地面に横たわっている。


 マルコの元に、杖を持つアルとドワーフのゴードンが駆け寄る。

 しばらくたって、黄色い髪の青年ダニオが小走りに駆け寄った。


 少し離れて、ボロボロの鎧姿のマグナスが倒れている。

 白金色の髪のカミラがのぞき込む。

 すると青白い顔の彼は、ひたいから血を流しながら、痛々しい笑顔を見せた。


 カミラは次にもし、ちゃんと話ができたらマグナスに謝ろう、でも私から謝ることでもない、などと葛藤を抱えたままだ。

 しかし、マグナスがかつての声音でつぶやくと、そんな迷いは吹き飛んだ。


「わりい……カミラ。俺、お前を……、幸せにできなかった」


 正気に戻ったマグナスを見つめ、カミラの目から涙があふれ出す。


「……そうね。もう、いいんだよ」


「俺……ずっと、ひでえ夢みて、ひ––––」


 マグナスは咳き込んで、赤い血を吐く。

 カミラは、マグナスの頭を優しく、力強く抱えた。


「それも……もう、終わりだよ。

 長かったね。がんばったよね」


「俺……言わなきゃ……ずっと……ありがと––––」


 言葉は切れて、マグナスは、安らかな顔をカミラに預ける。

 彼女は、事切れたマグナスの頭を抱きしめると、静かに、いつまでも泣いた。


 地面は、雨上がりの土の匂いがした。

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