13 正体

 寄り合い長の簡素な客間。


 つかれが残るマルコの両脇に、アルとゴードンが腰掛けている。

 小さなテーブルの向こうに、白金色の髪のカミラが座る。彼女は誰とも目を合わせようとしなかった。


 戸口そばの壁にもたれ、青年の亭主バルドは、腕を組んでいた。

 プロピウスも立ったまま一同を見渡すと、なぜか、心からほっとした笑顔になる。

 蜂蜜酒はちみつしゅが入った杯を傾けた。


 彼の語りは、王都から帰還した「なかの町の偉大な騎士」、マグナスの凱旋がいせんからはじまった。


「私が20代最後の頃ですから、もう20年ほど前の事でございます。心の友マグナスが、故郷に帰る、というふみをくれました。

 私はその手紙を持って、約束の日に街道に立ち、待っておりました。ずっと……今か今かと、彼のあの濃い青色の髪が、街道の遠くからあらわれるのを、待っていたのです」


 ゴードンが口を開いて何か言おうとする。すると、アルが手を伸ばし目で制した。

 それを面白がって見るプロピウスは、微笑みながら続ける。


「私の、あの時の心持ちは脇に置いて、要点を話しましょう––––」


     ◇


 背中に大きな剣を背負い、ピカピカの鎧姿のマグナスが立っている。

 銀髪の青年プロピウスは、泣きそうになった。

 マグナスが、傷だらけの顔で笑顔をはじけさせる。


「なーに、ぼっとしてんだよ!

 帰ってきたぜ、弟よ」


 マグナスはそう言って、たくましい腕でプロピウスに抱きついた。


 二人の青年は、盛んに話し街道を歩いた。すると農婦が声をかけてきて、二人はその夫が引く荷車に乗せてくれる。

 プロピウスの顔は紅潮した––––。


     ◇


「私たちは、町の手前では馬を供され、今度は馬に乗り換えました。そして町に入ると、当時の寄り合い長が待っていて、最後は立派な馬車に乗り換えたのです」


 プロピウスは夢を見るような目で語る。

 カミラは下を向いたまま、ちびちびと葡萄酒ぶどうしゅに唇をつけていた––––。


     ◇


 なかの町、市場に続く大通りの両脇に、大勢の人が並んでいる。

 通りの真ん中を、豪華な馬車がゆっくりと進む。途切れない歓声が湧き上がっていた。


 マグナスは調子に乗って、屋根の上まで登って手をふる。声を張り上げ、この上なく得意げだ。

 御者台に座るプロピウスは、見た事もない大勢の人を目にして、頬は赤いままだ。彼も恐るおそる手を挙げ、大衆に向けてこわばった笑顔で手をふった。

 ふと彼は、ある視線に気づいた。

 人々の間、つやのある白金色の髪を輝かせ、姉のカミラがマグナスをにらんでいる。

 彼はあわてて、屋根の上のマグナスを見上げた。

 マグナスはカミラを真っすぐに指差して、熱を帯びた目で、喧騒の中、何か叫んでいた––––。


     ◇


「厄介な事になるかもしれない。そう思いました」


 プロピウスは下を向いた。

 マルコは顔を上げて、杯から白湯さゆを飲むと耳を傾ける。

 カミラを除く皆、続きが気になった。

 枯れた声が、訳を語る。


「なぜならその時、姉は、寄り合い長の息子と婚約していたのです。

 姉とマグナスは、かつて恋人同士でした。ですが、あまりに長い間、マグナスが不在でしたので、私たちの両親は申し出を断れませんでした。

 それで姉は仕方なく––––」


「それは違いますよ。プロピウス」


 不意に、白金色の髪の老女が声をあげた。

 一同は驚き、カミラに注目が集まる。

 マルコには、無気力だった彼女の瞳に、光が宿ったように見えた。


「私は、彼に言ったのです。もう、前のように愛することはできないと」


 カミラは、しわがれた声で、はっきりとそう言った。

 プロピウスは動揺して、口が半開き。

 ゴードンは彼のそんな顔を初めて見た。


「いつ? それは、いつの話です?」


 プロピウスが声を震わせると、カミラは微笑んで顔のしわが深くなった。


「あなたが知らない事もあるのですよ。寄り合い長さん。

 ……マグナスと私は、裏山の洞窟で話し合いました。そして、かつてのように、愛し合いました。ですが……彼は、変わってしまっていた––––」


     ◇


 洞窟の入り口で、カミラは服のボタンをとめていた。

 外を見ると、一雨きそうな曇り空だ。洞窟の中にいるマグナスに、もう帰ろうと声をかけたかったが、ためらう。

 彼女は、過ぎ去った時が二度と戻らない事を、苦い思いで噛みしめていた。マグナスはもう、一緒にいて安心できる人ではなくなっていた。

 なぜだろう、と彼女は考える。今の彼は、時おり落ち着かぬ暗いまなざしを見せる。

 ふと物音がしたり、不意に肌に触れただけで、悲鳴をあげる。一緒にいる事が、カミラにはもう、怖かった。


 裸のままのマグナスが、ぼそぼそした声をもらす。


「北には……魔物がいるの知ってるか?」


「え?」


 思わず答えたが、カミラはマグナスが何を話したいのか全く理解できなかった。二人の未来の話しは、なかなかしてくれないのに。


「魔物との戦いは、想像を絶するよ……。

 思いもしない事で、仲間の人間は、簡単に死んでいく」


 カミラは日の当たる場所まで歩き、ふり返って自らの両腕を抱いた。

 洞窟の中の暗がりから、声が響く。


「最悪だったのは……岩の巨人だ。

 俺が逃げられたのは、仲間が握りつぶされ––––」


「もう帰ろう!」


 たまらずカミラは叫んだ。

 ぽつぽつと降る外の雨が、やがて大ぶりになり、辺りは暗くなる。

 暗がりから返事はなかった。

 カミラは一人で町へ戻ろうと、雨の中へと駆け出した––––。


     ◇


「それから彼とは、昼間に宿の食堂でしか会いませんでした」


 そう言ってカミラは、ふとバルドに目を向けた。彼女はかすかに微笑み、「目がお母様そっくりね」と独り言のようにつぶやく。

 バルドはあわてて、腕を組み直した。

 カミラは続ける。


「そして……もう会えないと、彼に告げたのです」


 一同が深く息を吐いて、おのおのが杯を傾けたあと、プロピウスが切り出す。


「それで、あの事件が起きたのですね?」


 寄り合い長は、細くなった姉の肩に、慎重に手を置く。

 カミラは、弟の顔を見上げた。


「もう一つ。あなたは知ってるかしら?

 私たちが知るマグナスは……あの時には、もう死んでいたの。彼はあの日、魔物になっていたのよ」


 老女の表情には、悲しみと恐怖が入り混じっていた––––。

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