11 戦いの下(げ)

 オオオオオオオオォォォォッッ!


 ダニオは異様な気迫きはくに吹き飛ばされ、尻もちをついた。

 ゴードンは驚愕きょうがくのあまり、口と目を開き、見上げる。


 マリスをほおに含んだマルコは、天に向かってえていた。

 赤紫に光る雲がいく筋も、彼の身体からだを取り巻いた。パキパキッと骨がきしむ音をたて、筋肉はふくらみ、大きかった革鎧がぴったり窮屈きゅうくつになる。

 口が、獣のように前にせり出す。ほおには、黒々ととがった刺青いれずみすじが浮かぶ。


 うなり声を上げ、金色に光る瞳でゴードンを一瞥いちべつしたあと、マルコは四つ足になって駆け出した。

 獣に変貌へんぼうしたその後ろ姿を見て、ゴードンはつぶやく。


「……狂暴化バーサークか?」


 魔力をしぼり切り、杖を支えになんとか立つアルは、右手から迫る獣の影に気がついた。

 マルコの革鎧を着た、オオカミのようななにかが疾走する。

 それがマルコ自身だと気づいた時、アルの体は崩れ落ちる。彼は膝立ちになり、大粒おおつぶの涙がほお刺青いれずみに流れ落ちた。


「……ダメだ。ダメだダメだダメだダメだ。マルコーー! 君はそうなってはいけない」



 目の前に伸びる両手と、力あふれるあしが、大地を蹴る。風のように地面が流れる。

 なによりも速く。


 マルコは、頭に響く言葉にならない誰かの声を、うるさいと感じた。

 だが、体のしんからき上がる、獲物を吸い尽くしたい衝動に、逆らえなかった。

 獣となったマルコは、打ち捨てられた屍者ししゃの大剣へと駆ける。

 そして、その柄を口でしっかりくわえると岩鬼トロールめがけ疾駆した。


 ただならぬ気配に気づいた岩鬼トロールは、脇から黒い血を流し立ち上がる。

 せまりくる得体の知れない影を恐れ、わななく悲鳴を上げて、岩のこぶしをふり下ろした。


 獣は難なく横っ飛びでよけ、地面を斜めにると、つむじ風のように岩鬼トロール股下またしたをくぐり背後に回る。

 そして二本の足で立ち上がり、赤い血を流す口から大剣の柄を取った。

 マルコは両手で大剣を固く握りしめると、恐怖の表情でふり返る岩鬼トロールの膝裏を、全身の力で突いた。


     ◇


「何がどうなっている! あれ––––」


 ゴードンがアルに答えを求め、駆けながら声をあげた。不意に、岩鬼トロールの悲痛な叫びがとどろき、気をとられる。


 岩鬼トロールは、膝を剣で貫かれ、地響きをたてながら再びひざまづいた。


 ゴードンはあわててアルに向き直る。

 膝立ちのアルは、獣になったマルコを見つめたまま、泣いていた。

 横顔の刺青いれずみにとめどなく涙がつたう。

 彼のつぶやきを、ゴードンは聞いた。


「…………父さん」


     ◇


 獣のマルコは、四つ足で竜巻のように岩鬼トロールの身体を駆け上がる。虫のように頭に張りつくと、獣の小剣ハート・ブレーカーをすらりと抜いた。


 雨は、いつの間にか降りやんでいた。


 グリーの白い輝きが、もだえ苦しむ岩鬼トロールと、そのひたいに何度も何度も剣を刺し、宙をねる獣を照らし出す。


 ダニオは、立てないまま呆然と、その姿に魅入みいられた。

 無為に腕を頭上に振り回す、岩の小山のような岩鬼トロール

 その上でねる者は、はるかに邪悪に思えて、そして舞うようにぶ姿を、ダニオは美しいと思った。


     ◇


 岩鬼トロールが恐怖のまなざしを上げる。その右目の上の紫光に、剣を手にマルコは体重をのせた。

 小剣は深々と刺さり、てこのように動かすと、黒石がせり出した。

 とたん足場を失い身体が落ちる。が、獣の身のこなしで回転し、着地して転がった。


「もう、やめてーーー!」


 空気を裂く、聞き慣れぬ音がして、マルコはそちらを向いた。

 しわがきざまれた、初老の女が立っていた。白い息を盛んに吐いている。

 だがその長い髪は、グリーの光に照らされて、白金色に美しく輝いていた。


 ふとマルコは我に返った。

 つかれ切った体をなんとか起こし、二本の足で立ち上がる。姿形すがたかたちは元に戻っていた。

 今度は、口の中で何かが動き気持ち悪い。

 あわてて手をあて、ウズラの卵のような、黒石を吐き出した。



「うぅ……」


 マルコの前で、死霊のように青白い顔をした男がうめいた。

 よろい姿でひたいに手をあて、こぼれ落ちそうなとがった黒石を必死でおさえていた。


 なにかの力が、マルコの手を引っ張った。

 青白い顔へ向けて、小さな黒石を持つ腕が真っすぐ伸びる。

 すると、不思議なことが起きた。

 すうと息を吸うような音がして、男の顔のとがった石は黒い砂となって、マルコの指がつまむ『たまご』へと吸い込まれていく。

 男は吐息といきをもらす。となりには、白金色の髪の老女がしゃがみ、男の頭を優しく包んだ。


 呆気あっけにとられたマルコは、手の中のマリスの黒石を凝視ぎょうしした。


「……大っきく……なった?」


 手のひらにあるマリスの黒石は、もはや小さめのニワトリの卵のように形を大きくしていた。

 そして黒い面に、線のへこみがあらわれる。

 もぞもぞと線は動き、唇のように一息吐くと、マルコに向けてにやりと笑った。


 マルコは気を失って、後ろに倒れた。


     ◇


 空き地を上から見ると、大の字になって、異邦人マルコが地面に横たわっている。

 少し離れて、ボロボロのよろい姿の男が倒れ、白金色の髪の女が顔をのぞき込んでいた。


 マルコの元に、杖を持つアルとドワーフのゴードンが駆け寄る。

 しばらくたって、黄色い髪の青年ダニオが小走りに駆け寄った。

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