10 戦いの中(ちゅう)

 グアアアアアアアアァァァァッッ!


 突然の絶叫にマルコはたじろぎ、剣を引き抜いてしまった。

 屍者ししゃは黒い石を守るように、両手で顔をおさえる。指の間で憎悪に満ちたひとみが光った。

 黒い石が赤と紫の光を放ち、屍者ししゃほお刺青いれずみが走る。

 神の悪意の石マリスに触れる顔が、手が、灰色になりふくらんでいく。


 マルコは目を見開いたまま、一歩、二歩と後ずさりする。バキバキバキッと異様な音が響く。グリーの逆光でできた人影が地をいマルコの足にかかる。

 人影は伸び、やがてマルコの全身をおおいつくした。


 ゴードンは驚愕きょうがくした表情で見上げる。

 アルもほうけて見上げ、ぶつぶつつぶやく。

 彼らに背を向け、屍者ししゃは、岩におおわれた巨人に変貌をげていた。

 ゴードンが、声を枯らさんばかりに叫ぶ。


「マルコ! 逃げろ! 岩鬼トロールだ!」


 すでにマルコは、巨体の右手から飛び出していた。

 それを追う岩鬼トロールが、左腕をふり下ろす。すんでのところで、マルコは前に転がりよけた。

 しかしマルコが立ち上がった時、うなりを上げて巨人の右腕がせまった。とっさに彼は、銀の盾で顔を守る。だが、岩の衝撃はふせげなかった。


     ◇


 ゴードンの右後ろの樹木に、何かが嫌な音をたてぶつかった。ずぶ濡れのドワーフは、震えながらそちらへふり向く。ダニオもそれに続いた。

 根元でぐったり倒れる血だらけのマルコ。

 ゴードンは口を開け、声にならず、駆け寄った。


 アルは、最後の巻物スクロールを手にする。

 岩鬼トロールが、ゆっくりこちらにふり返る。

 その右目の上には紫の光が見えた。巨大な岩の顔に、マリスの黒石は埋もれているようだ。

 アルは、マルコをはじき飛ばした岩鬼トロールを鋭くにらみ、許さなかった。


 必死の形相をしたゴードンは、マルコの体に治癒魔法を唱えていた。白く光る手が、マルコの体のあちこちにかざされる。

 ダニオは言葉もなく、となりにしゃがんで見守っている。

 気を失っていたマルコが突如目覚め、せきをすると、吐き出た血が胸を赤く染めた。


「死ぬなよ。死んでくれるなよ」


 ゴードンは動揺しながら独りごちたあと、再び詠唱に集中した。


 岩鬼トロールが、ゆっくりとアルの元へと歩み寄って来る。

 アルは詠唱しながら、右手うしろのマルコの様子が気になっていた。

 しかし、マリスを埋めた魔物が近づくにつれ、もうおさえることはできなかった。その血に脈々と流れる、体の芯から湧き上がってくる破壊の衝動。頬の刺青いれずみが顔を埋める。

 詠唱が終わるまで残りひと時。岩鬼トロールが着くまでに、まだ時間はあった。


 うつむくゴードンのひげから、雨のしずくがしたたっていた。

 ダニオが、恐るおそるたずねる。


「……どうした? 治るのか?」


 それには答えず、ゴードンはマルコの脇腹に手を当てた。柔らかい。あばらの骨が粉々にくだけている。夜に、この体を蘇生できるのは月の巫女みこぐらいだろう。数々の戦友を見送ってきた歴戦のドワーフ神官戦士、ゴードンは認めざるを得なかった。

「もう、助からない」と。


     ◇


 開いた手のひらの前に、青白く光るたまがあらわれる。

 光球から、ジジッ……ジジッと小さな稲光いなびかりが散った。

 アルは、右手にグリーの大杖、左の手のひらを岩鬼トロールに向け、詠唱していた。

 合間につぶやく。


「……我が祖霊から伝わる衝動を重ねよう」


 そして、素早く口もとで何か唱える。

 青い光球がふくらみ、稲光りが激しさを増した。


「さらに、このグリーの力も加えてみよう」


 再び口もとを動かすと、光球はアルの長い片腕と同じけいの、巨大な青白いたまへと大きくなった。

 同時にグリーは、二、三度暗く点滅する。


 その時、ゴードンとダニオは不思議なものを見た。

 うなされるマルコの顔や手が、二、三度、半透明になった。

 元の様子におさまると、二人はいま目にしたものが信じられず、顔を見合わせた。


 残りもう一歩。

 岩鬼トロールを目の前にして、準備ができたアルが唱える。


「つらぬけ。稲妻いなづま光束こうそく


 雨夜を切り裂く閃光。アルの手がつ。

 鋭い稲光りをともなう光の線が、岩鬼トロールの腹に一直線に刺さり、その巨躯きょくを吹き飛ばす。

 光の線はやまず、空き地の真ん中で岩鬼トロールの腹に照射され、岩をえぐり続けた。

 岩鬼トロールは悲痛な叫びを上げ続けた。

 そして光の束が、その腹を貫いて背中から飛び出す時、断末魔に似た咆哮が響いた。


 光りを放つ手のひらの向こうには、アルの冷酷無比な眼差しが見える。

 今や顔中が刺青いれずみでおおわれている。彼は表情を変えることなく、ゆっくりと手のひらを横に動かした。


 岩鬼トロールの腹を貫く光の束が、ゆっくりと横に流れる。

 触れる岩も肉も消滅させながら、光の束は巨人の右脇腹から外に抜けた。

 光の線は勢いあまって空き地の奥の樹木を倒し、森を燃やす。だが降りしきる雨で、炎はちろちろと小さくなり、やがて消えた。

 岩鬼トロールは黒いものが流れ落ちる脇をおさえ、ズンンッ! と音をたてて地にひざまづく。


 ゴードンはひげからしずくをたらしながら、ひざまづく岩鬼トロールと、左手をかざしたままのアルをながめていた。


     ◇


「……わかったよ。うるさいなぁ」


 朦朧もうろうとマルコがつぶやいた。

 ダニオは顔を明るくしてのぞき込む。

 しかしゴードンは、内臓をやられて痛みを失い、しばらく意識をたもつ者の事を考え、沈んだ顔のままだ。

 マルコが、かすようにささやく。


「……袋……腰の……」


 ダニオが「これか? これの事か?」とあわてる。ゴードンが止める間も無かった。

 ダニオは手をまわし、マルコの腰帯をぐるっと回して暗い袋を上にする。

 袋は、生き物が入ってるようにバタバタと動いた。


 震えるマルコの指が、とば口を開ける。

 紫に光る、黒いウズラの卵のような石が、飛び出す。マルコの指がなんとか石をつまむと、何かが動かすように指は、素早くマルコの口へそれを押し込んだ。


 マルコは、神の悪意の石、中でも『たまご』と呼ばれる純度の高いマリスを口にふくむと、目を大きく、大きく見開いた。

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