9 戦いの上(じょう)

 裏山の中腹の空き地。

 雨のすじとグリーの白い明かりでできた、光の幕の向こう。

「シューッ……スーッ……」と呼吸するような音と、ズズッ……ズズッと重たいものを引きずる音が近づいて来る。


「ひいぃっ!」


 ダニオはあわてて口を手でおさえたが、恐怖の悲鳴がもれ出た。


 光の幕を抜け、ゆっくりあらわれる。

 れた黒髪と、しかばねのように茶色くせこけた顔。首から下は、びてボロボロのよろい

 右手で大きな何かを引きずっている。


 しかし、マルコとアルとゴードンの三人はある一点に目を奪われていた。

 屍人しびとひたいに、とがった黒い石が深々とさって、にごった右目をゆがませていた。


 ダニオはひざまづいたまま、驚愕きょうがくして口をわなわな震わせる。

 青年団の面々も固まったように動けず、目だけはその姿を追っていた。

 顔に雨があたり、かみひげれてはりつくゴードンが叫ぶ。


「マルコ、非常時の作戦! 貴公が指揮を。

 ……アル! 打ち合わせ通りだな?」


「……あぁ、そうだ。頼むよ……マルコ」


 呆然とよろいの男を見つめるまま、アルがつぶやいた。ほお刺青いれずみに、とめどなく雨がしたたる。


 だがしかし、マルコは、緊張をほぐそうとひざの屈伸運動をしていた。狂戦士の足踏あしぶみもしようとしたが、土がぬかるんでやめた。彼は体をほぐすために、跳躍ちょうやくもして手足をばたつかせる。

 それを見た面々、アル、ゴードン、ダニオ、そして恐慌寸前だった青年団も、ふっと口もとがゆるみ気持ちがほっとした。

 それに気づかぬマルコは、大音声だいおんじょうを発する。


「では非常時の作戦! ゴーディは青年団の誘導! その後、後方支援!

 アルは巻物スクロールでの支援!

 僕は……マリスの男を足止めする」


     ◇


 雨天にのびる、人の背丈ほどある巨大な剣が、真っ二つにしようとマルコにふり下ろされた。

「スーッ」とよろい屍者ししゃから音がもれる。

 左に。マルコはよけていた。

 剣はぬかるんだ地面に刺さり泥が跳ねる。


「早くはない」とマルコは思う。だが、死んだように落ちくぼんだまなざしと、ただならぬあつ怖気おじけづき、どうしても近くに踏み込むのが怖かった。

 一撃もらうと、あとはない。

 左へ左へと回り込み、様子をうかがう。


「あの大剣を、軽々かるがると……」


 ゴードンが鋭い目で屍者ししゃの剣さばきを見つめ、うなる。彼は青年団を木陰こかげに避難させると、アルのとなりにいた。

 そのうしろには、退避に従わないダニオがいる。彼はマルコの戦いを見届けようとし、なんとか恐怖心をおさえながらも、震えた。

 アルは、巻物スクロールを手にマルコを見つめ、詠唱している。


 何度目だろうか。大剣が泥に刺さった。

 刹那せつな、持ち手を変え、屍者ししゃは剣を横になぎ払う!

 とっさにマルコは、木製盾をかまえてしまった。

「ダメだ」と彼は思い、大剣が盾をくだき自分を切断する様が脳裏をよぎった。


 よく通る声が響く。


堅牢けんろうなるたて


 銀の光が、マルコの盾をおおう。

 高速の大剣がグァンッ! と音をたてはじかれた。

 剣を手に、屍者ししゃは驚いたように見えた。

 素早くマルコは踏み込んで、茶色の布きれがのぞく脇下へ剣をふり切る!


「やった!」


 ダニオが叫んだ。

 アルの手もとで、巻物スクロールが光を放ち消えた。


 切り抜けたマルコがふり返ると、屍者ししゃが脇に手を当て「シューッ」と音を出している。

 あわててマルコが小剣を上げると、切っ先には、ほんのわずかに黒い血がついているだけだ。

 彼は、剣の刃をさかさにしたままだった。


     ◇


巻物スクロールの残りは?」


「……あとひとつ。だけど……今はまだ」


 ゴードンの問いかけに、アルはうつろに答えた。そしてアルは、息をするのも苦しそうに見えた。


 ゴードンが対決に目を向けると、屍者ししゃがふり回す鉄甲のこぶしを、マルコがかがんでよけていた。

 あのけ物が背中を見せて、マリスが視界から消えた時、この戰斧を投げつけてみようか。そう思って、ゴードンは戰斧を強く握りしめた。


 マルコは「考えろ、考えろ」と念じながら敵の攻撃をよける。彼は疲れ切っていたが、相手はそうは見えなかった。


 両手で持ち上げられた、巨大な剣がまたも襲い来る。

 マルコはまたも左によける。大剣が泥をはね上げた時、マルコは仕掛けた。

 体重をかけ、全力で屍者ししゃの手に体当たり。

 変えようとする屍者ししゃの持ち手を、銀に光る盾がガンッ! と叩きつける。

 大剣ははじかれ、屍者ししゃはよろけた。

 瞬間、ねじった体からハート・ブレーカーの刃が繰り出され、屍者ししゃの脇を深ぶかと切り裂く。


 黒い血が、雨の中へ吹き散った。


 即座に体は反転し、銀の盾先が屍者ししゃの膝裏を突く! 

 屈服するかのように屍者ししゃは、雨の中、ひざまづいた。


 ずぶれのマルコは、屍者ししゃを見下ろして、白い息を一度だけ吐いた。そして、その右目の上のマリスに、剣を差し込んだ。


     ◇


 グアアアアアアアアァァァァッッ!


 背筋をつらぬくぞっとする声を聞いて、木陰こかげかくれた青年団は顔をゆがめ、身を寄せ合った。

 ひときわ小柄なロッコは、むせび泣きはじめた。彼は、ここまでついてきた事を、心の底から後悔していた。

 やがて、誰かの声があがる。


「……おい、見ろ。あれは、何だ?」


 ロッコも顔をあげた。そして彼は、後悔の気持ちが、絶望へと変わった。


     ◇


 アルは雨空を見上げていた。手に持つ杖の神の善意の石グリーの光が、橙色オレンジの短髪と、絶望に満ちた表情を照らしている。

 彼は、んだかのようなあやうい目で、つぶやきだす。


「岩のごとく、固い意志……。だけど、時には頑固もの……」

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