26 神官屋敷での別れ

 テンプラム神官の屋敷にある大浴場。

 アルと一緒に、マルコは温泉につかりくつろいでいた。


 あのお祭りから数日がたつ。

 その間、ずっと屋敷に泊めさせてもらえていた。

 だが、アルに言わせるとこれは、「精進しょうじん明けまでの軟禁」とのことだ。あの混沌の祭りでびた気を、ここの湯で充分落とす。

 そうでないと、旅立たせてはもらえないようだった。


 青白い湯から立つけむりが、今日は特に濃く、一寸先も見えないほどだ。

 マルコは、アルがいるはずの方向へ顔を向け、話した。


「アル、そこにいるの? 初めてだね、一緒に温泉なんて。前のこと……気にしてるのかなぁ、なんて思ってたけど」


 湯けむりの向こうから、アルらしき人のつぶやきが聞こえた。それは、とてもか細い声だった。


「––––とってなんのことか思い出せないけど問題なのは今でねこれが嫌だから私はここを訪ねたくはな––––」


「アル? アル! どうしたの?」


 マルコは不審に思い、右手の声がする方をじっと見つめた。湯けむりが流れて、うつろな目を落とし、水面を凝視ぎょうしするアルの顔があらわれる。

 マルコはほっとした。

 しかし、さらに湯けむりが流れて、左の方に目をやると、こちらを、じとっと見ている老婆がいた。


「いやあああああああああああ!」


 と、とっさにマルコは女の子のような悲鳴をあげてしまった。

 老婆アエデスは、冷静に話す。


「やはり……。マルコとて、混沌の影響が皆無ではないようじゃ。

 性! の入れ替わり––––」


「いや! そんなんじゃないです!

 ただもうビックリして」


 そう言ってマルコは、アエデスの首から下が目に入らないように必死に下を向く。

 アルと全く同じ姿勢になった。

 アエデスが語る。


「マルコや。おぬし、マリスを運ぶ旅で、苛酷かこくな目にも会うかもしれん。

 人と違うということは、それだけで辛いこともあるのでな」


「……は、はぁい」


 マルコは、こんな異常な状況なのに、アエデスが普通に真面目な話しをするので驚いた。


「どうしても辛い時はな、ここに戻ってくると良い。

 混沌の神はな、実は大らかなんじゃ。

 なあんでも受け入れてくれる。

 違う考えも取り込み体験させて、人を優しい者にできる」


 アエデスはそう話した。

 マルコはなぜか、神追いで美少女だったアエデスが、自分と同じ真っ黒い髪だったことを思い出す。考え込んでしまい、彼は湯がはねる音に気づかなかった。


「あの、アエデス様は昔……。……!」


 思わず顔をあげたマルコは、浴槽から上がった、あの黒髪の少女の後ろ姿を見た。

 少女は絹のように白い肌の背中を見せ、その下は、湯で桃色になった、形の良いお尻をこちらに向けている。

 マルコはどうしようもなく目が釘付けになった。

 鈴を転がすような、美しい声が浴場に響く。


「マルコ。混沌の気は、いつも近くにある!

 それと、上手に……つき合うことが……。

 ……ムニャ、大事なんじゃよ。ふう〜」


 ふり返って老婆に戻ったその姿を、マルコはしっかりと見てしまい、呼吸が止まった。


 となりでアルは、呪文のように「––––から結局牛肉も食べることができずそのうえまた混浴まですることになっ––––」と、ぶつぶつつぶやく。


 そうして、浴場中に、マルコの絶叫が響き渡った。


「ぎやあああああああああああああ!」


     ◇


 雲ひとつない初夏の日。

 テンプラム神官屋敷の門の前で、マルコとアルは並んで立っていた。

 その前には大勢のテンプラム神官一同と、アエデスがいる。

 別れと旅立ちの時を迎えていた。


 アルが、最後をしめようとはりきって挨拶する。


「それでは……テンプラム神官長アエデス・ヴィルジニアス様、大変長らくお世話になりました。

 アルフォンス、これにて、おいとまをいただきます。また、必ずや参上いたしますので」


「え? おいまごもおりませぬが……ムニャ」


 覚醒してないアエデスがそう答え、即座にアルは「いや」と言いかけたが、黙った。

 ふっと笑顔になって、腰をかがめる。

 彼はただ、アエデスの手を両手で握り、静かな優しい眼差まなざしで彼女を見つめていた。


 マルコがその姿を見ると、あの混沌の祭の中で見た、賢者の姿が重なっていた。

 マルコは、わけもなく嬉しくなった。


 その場にいた人々が、口々に別れの挨拶を済ませる。

 アルに続き、マルコも立ち去ろうとする。

 すると彼の衣服のすそをつかみ、アエデスが見上げていた。


「もし、マルコ様?」


「はい?」


「決して『たまご』を失くしてはなりませんよ。

 ……ムニャ」


「………………え?」


 その時アルが呼んだので、マルコは会話をそのままにして立ち去った。


 しかし、頭の中では彼女の言葉が繰り返し聞こえていた。「たまご」と。

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