18 混沌の祭 祭神

 最初に異変に気づいたのは舞い手だった。面とマントを外した女と男は、テンプラム円形劇場の柱の間から、夜空を見上げた。


 神殿参道に続く円柱と、神官長アエデス・ヴィルジニアスの間の壇上に、空から落ちた巨大な影がズンン! と地響きをたてた。

 風が舞い、砂煙が上がる。

 人々はそれが何なのか、とっさに見てとらえることができなかった。ただ、重いものが地面に降り立つ時に「シャーンッ!」「ジャン!」といった耳障りな金属音が、いくつもいくつも重なって聞こえただけだ。


 砂煙がおさまり、裸の巨人が姿を見せる。牛のあごを開き、獣の雄たけびををあげると、その場にいる千人もの人の肌をしびれさせた。

 観衆はそれでもなお、ただ呆気にとられるばかりだった。中には幻術か何かと思い、笑って指差す者もいる。

 とその時。


「ディオニソスさま〜」


 マルコが初めて聞く声があがる。見ると、神官の一人が、陶酔したようにふらふらと巨大な影に近づいた。

 アエデスがわめく。


「いかん! 下がれ!」


 巨人はうなるような吠え声をあげた。風を切る轟音をあげ、獣の腕が横に払われその神官を弾き飛ばす。

 ぐしゃっと嫌な音の後に、神官の身体からだは宙を飛び、舞台の外に跳ね落ちた。

 すかさずゴードンが叫ぶ。


「ギム! 治癒魔法ヒールを!」


 呼ばれたドワーフ神官戦士が、どたどたと瀕死の神官の元に駆け寄る。

 沈黙した劇場には、そのドワーフのどたどたとした足音だけが響いた。

 そして、たっぷり一呼吸おいた後、観衆は大混乱に陥った。


     ◇


 千もの悲鳴と叫び声を響かせ、観客は外側の––––人間の神官戦士が守る––––出口へと、一斉に殺到した。

 はぐれた女の子が泣いている。

 血走った目をした大人たちが我先にと逃げ出す。

 うねるような空気をかもし、劇場は大騒然となった。


「ノール、ナーリ、ヴィリは避難客の誘導!

 ギム、ヴィトゥル、レギンはこの場で負傷者の手当てを! 

 私は……神追いの一行に付く!」


 ゴードンが、ドワーフ神官戦士に迅速に指示を出した。

 同時に、アエデスも声を上げる。


「テンプラムの徒は、ついてこれる者だけが来い!

 他の者はここで負傷者の手当て!

 アルフォンス! 真の神追いじゃ。

 棒であの黒いすねを打て!」


 呼ばれたアルはこの時、杖に寄りかかって何もできなかった。獣の足、左右黒白の金属のすね当て、巨人の裸、はるか天にある牛の首を、彼はただ見上げるばかりだった。

 マルコもはじめ「これは夢?」という夢想に浸りそうになったが、なんとか一歩を踏み出した。

 刹那せつな、アエデスの激が飛ぶ。


「マルコ、おぬしはまだじゃ! まだ動くな!

 えぇい、ゴードン! わしに棒を!」


 声があがると同時に、白木の棒がふわっとアエデスの前に飛んだ。

 アエデスは片手で棒をつかむと、もう片方の手で印を組み口もとを動かす。

 グリーの白い雲がアエデスの棒に集まり、彼女は巨人の左脚、黒いすね当て目がけ棒をふった。


 アエデスの白く輝く棒が、巨人の黒いすね当てに触れる。爆発のような火花と大音響が鳴った。


 巨人は泣くような雄たけびをあげ、空中に飛んだ。それは円柱の向こう側、神殿参道の入り口にズンン! と降り立った。

 そして、舞台の一行が見つめる前で、恐ろしげな足踏みをはじめる。すね当てや手首の巨大な輪っかが鳴る。



ジャンジャン ジャンジャン ジャンジャン

ジャン!



 巨人が腰をかがめて、二本の柱の間から牛の顔を見せた。黒と白の瞳で劇場をのぞき見て、首を左右にブルブルブルッとふった後、「ガチャッ!」と音がする。

 巨人の瞳とすね当ての白黒が入れ替わった。



 その時、劇場で逃げ惑う人々に不思議な事が起きた。

 大半の着飾った富豪たちは、豪奢ごうしゃな服から蛮人のような布切れ一枚になってしまった。

 華やかなドレス姿だった淑女は、裸同然の自分に気づくと、奇声をあげて体のあちこちを手で隠す。

 高級な礼服を着ていた紳士は、腰巻だけの姿に変わり、でっぷりと飛び出た腹を隠せず戸惑っていた。

 逆に、地元の子どもや店で働く人々らは、生まれてこのかた着たことがない、見目みめうるわしい立派な貴族の服を身につけていた。


     ◇


 様々な刺繍ししゅうをこしらえた立派な着物に身を包むアエデスが、同じくいろどり豊かで豪奢ごうしゃ法衣ローブのアルに告げる。


「棒を持て、アルフォンス! そなたは黒いすね当てを狙え。逆の手に持つ杖を離すな!

 マルコ! そなたは白いすね当てを狙え。マリスはしまって良い、が、身からは離すな!

 それでは、いざ参るぞ! 無理はするな」


 棒を持ったアルが「めちゃくちゃ無理してるんですけど……」とぶつぶつ言いながら豪奢ごうしゃ法衣ローブすそを持ち上げ走り出す。

 そのうしろを、変わらぬ鎖帷子くさりかたびらに白い法衣ローブをはおるゴードンが、棒を何本も背負いどたどたと後を追う。


 マルコは黒い石を袋に入れて腰にしっかり結ぶと、棒と盾を手に後を追った。

「僕の服も変わってほしかったな……」と、彼は少し残念に思った。

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