14 大浴場での回想

「アルフォンスや……そなた、なんちゅう物騒なもんをここに持ってきたんじゃ」


 神官長の部屋を照らす、グリーの光りの下に隠れていたアルは、まだ恐怖が残る驚いた表情をしていた。

 マルコが見た時にはもう、顔の刺青いれずみは消えていた。が、アルは言葉を出せず、アエデスに答える事ができない。


「……無理もない。

 この、おぬしらが運ぶマリスはな、小さくとも純度が高すぎるのじゃ。わしは見た事がない」


「アエデス様でも?」


 アルが驚きの声を上げる。マルコも話しに加わりたかった。


「すっごく危険! という事ですか?」


「マリスを平然とつかむ、おぬしが言うと気が抜けるのぉ、マルコや。

 ……異邦の人。第三の神から生まれておらぬ、この地における『人ならぬ人』であればマリスを運び出せるはず。

 アルフォンスが初めてそう語った時は、それはもう心配したものじゃ。だがしかし、こうしてのあたりするとの––––」


 アルは感激したように「アエデス様!」と涙声で駆け寄る。マルコも感動の場面と早とちりして泣く準備をした。

 しかし、神官長は一喝した。


「たわけがっ! そなたは昔からそうじゃ! 思慮が足らんのよ。この石を、いったいこれからどうするつもりなんじゃ?」


「ひいぃっ! ごめんなさいっ!」


 背の高い魔法使いは、子どものように小さな老婆に対し、ひたすら体を丸め頭を抑えて謝った。マルコはおろおろして事の成り行きを見守るばかりだ。

 やがて、とっくりから杯に注いだ酒を、再び飲み干したアエデスが、こちらに振り返って言った。


「まあ、これも定めよ。のちに考えよう。

 ともあれ、お主らのグリーとマリスは均衡が実に良い。今年は、かつてないほどのディオニソス様が降り立つであろう」


 小柄な老婆は、口角を広げて恐ろしい笑顔でくっくっと笑いはじめた。

 マルコは「妖怪みたい」と思ったが、口にはしなかった––––。


     ◇


 神官屋敷の浴槽でマルコがお湯をはねると、音は気持ちよく反響した。

 青白いお湯とけむりの向こうに彫像が見える。マルコが見上げると、牛のような獅子のような顔の顎からしずくが落ちた。


 あの後、アエデスはマルコに祭事について教えてくれた。

 明日の夕方から「神追い」という儀式が開かれる。神さまに見立てた面とマントをかぶった二人組の舞い手を、皆で神殿参道の頂上まで棒で追い立てる。

 昼間の内に、王都の神官戦士団から白木の棒と三角盾を受け取って、円形劇場で待機せよ、とのことだった。


「やりませんから! つかれるから今年は観るだけで!」というアルの訴えは無視され、アエデスはマルコに段取りも説明してくれた。

 円形劇場で踊り手が舞を披露した後、神官から開始の合図とともに、参加者は舞者の足元を棒で叩く。

 舞者は追われて頂上まで登り、神殿までで終了––––。


     ◇


「ちょっと、面白そうですね!」


 神官長の部屋にマルコの無邪気な声が響く。アエデスは笑顔になって目を細めた。


「そうじゃろう、そうじゃろう。遊びのようだが、この儀式には人々の祈りが込められている。

 様々なご利益があるが、そうさな……一言でいえば生まれ変わりの儀式よ」


「……前にアルが、おはらいだって言ってましたけど」


「おぉ! 異界から来たのに勉強熱心だのう。となりの食いしん坊とは違うな」


 アエデスは横目でじろりとアルを見たが、アルはその視線を避けて遠い目をした。

 アエデスがマルコに向き直る。


はらい、浄化に至るには、人は一度、混沌の中に身を投じねばならぬ。それが、わしらテンプラム神官団の教えじゃ。

 それを形にしたものが、明日の神追い。

 ……マルコや、多くの人であふれるから、まずは怪我せぬようにな」


 そう言って、アエデスは説明を終えたのだが、最後に思い出したように付け加えた。


「そうじゃ! 混沌の神はここの浴室にもいらっしゃる。マルコ、温泉が好きなら湯浴みをして、そのお姿をじっくり見ておくとよい––––」


     ◇


 浴槽からあがったマルコは、白い大理石の彫像を近くでまじまじと見上げている。


 像の顔は牛と獅子の間のような獣の顔、体は人間で、手足は獣。耳や手首、足首には金属の輪っかがいくつもいくつも付けられていた。


 マルコが背を伸ばして手首の輪っかを叩くと、金属同士がぶつかり「シャンッ!」と思いのほか大きな音が反響した。


「これが……混沌の神? ディオニソス?」


 第一から第三の神とは違って、獣が混じって人間らしさが半端だな、という印象をマルコは受けた。ふと大きなくしゃみが出たので、マルコはいそいそと浴槽に戻り、もう少し長湯をすることにした。


 再び湯につかりながら「そういえば、いくら誘ってもアルはこの温泉に来なかったな」とマルコは思い出す。

「この前、裸を見て僕が驚いたこと根に持ってるのかな」と考え、顎まで湯につけると顔が赤くなった。

 結局、アルは入浴をかたくなに断り「ここの湯には苦い思い出が……」と、ぼそぼそ言っていた。

 快適な湯が体に染み込んだマルコは、「まあ、いろいろあったのかな」と、ささいな疑問も溶けていった。

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