13 神官屋敷の大浴場

 すっかり日は沈み、テンプラム神官屋敷にいくつも明かりがともる。

 心地良い虫の音が、初夏のおとずれを告げる。


 屋敷の地上階には、大理石でできた大浴場があった。白っぽい柱、彫像。そして床の間には、白濁した青緑色の湯をためた浴槽。

 マルコは、足先から、そろりそろりと湯につかった。


「ふううーー! はぁ〜〜…」


 全身を包む湯の熱さにはじめ驚き、しびれる肌の震えがおさまると、この上ない快感をマルコは味わう。


「温泉に入れるなんて、うれしいなあ〜!」


 喜びを実感したくて、マルコは一人で大声を出してみた。声は広い浴場で反響し、彼はけるような笑顔になる。

 そうして、首まで湯につかると、その日の事を思い出していた––––。


     ◇


 一杯の神酒で覚醒した神官長アエデスとの面会のあち、アルは「それでは!」と何度も言ったが帰してはもらえなかった。

 アルとマルコは、テンプラム神官屋敷の特別賓客となり、お祭りが終わるまで、食事も宿も供される身となった。

 マルコはやっと落ち着くことができてほっとした。だがアルは、特に食事が不満なようで、野菜と豆腐ばかりの料理を前に「せめてあの、ごった煮を……」とぶつぶつ言った。


 夕食の後、二人はあらためて神官長に呼び出された。

 向かう廊下で、白装束しろしょうぞくの神官たちが小走りに行き交う。「今年は急きょ、50年祭になるらしい!」とあわただしい様子だ。


 部屋に入ると、大きな目を開いた神官長アエデスが一人でいる。またあの陶器の杯と、加えて大ぶりなとっくりが机の上にあった。


「来たな! それでは昼の続きをしようぞ、アルフォンス!

 そのニーグラム……、袋をとれ」


「はい。……前置きもないんですねぇ」


 アルは肩を落とすと、手に持つ大杖から暗い袋をとった。神の善意の石、グリーが白く柔らかい光を放つ。

 アエデスは両腕を回し、手で次々と印を組む仕草をしながら、口もとはささやくように詠唱した。

 すると、応えるようにグリーは輝きを増す。たちどころに雲の筋のような光りがいくつもあふれ出た。


 アルは杖を手にしながら、いやそうにグリーの光を見つめた。

 アエデスは、ふうと息を吐きつつ詠唱を続ける。部屋中に柔らかい光の雲が漂うと、その手を下ろした。


くな! 探究者よ。グリーの扱いは、わしに一日の長がある」


「はい。わかってはいますが、こういつも見せつけられると……」


「何を言う! こたびグリーの新たな力を引き出したのは、そなたの手柄よ」


 その言葉で、アルはすかさず顔を上げ、笑顔になって目を潤ませた。


「さて!

 傷心の魔法使いを慰めたところで本題よ。

 マルコ。お主のマリスを、このばばにも見せてくれるかの?」


 アエデスが昼間よりも優しく言うので、マルコも落ち着いて「はい」と答える。袋からゆっくりと、うずらの卵のような黒い石を取り出した。


 神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、マルコの手のひらに紫の光をにじませていた。

 すると赤い光を放ち、白装束の老婆の顔を照らそうと光のすじが動く。

 赤い光線がアエデスの顔に差しかかる時、彼女は顔を横にフッ! と息を吐いて、光を吹き飛ばした。


 黒い石は、戸惑うように紫の光を揺らす。


 そして、再び赤い光で照らすがまたしてもアエデスの一息で光は飛ばされた。

 しかし、たびたび繰り返されると、部屋の白い雲は一つずつなくなり、最後はアエデスがわめく。


「やめい! もう充分じゃ。

 マルコ、それをもうしまっておくれ。

 袋の口はしっかりと結ぶのじゃぞ」


 そう言って彼女は背中を向けると、机にある杯を上げてぐびぐびと飲み、深いため息をついた。

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