22 入手、そして脱出

 枯れ川の河原かわらにあいた、黒い穴。

 深淵しんえんまでもぐると、宮殿の広間がある。

 石畳の床に、神の石のあるじの腕が捨てられていた。


 その腕は、生きてるように緑のつやがあり、指先に黒石をつまむままだ。


「……これ?」


 マルコがその石に手を伸ばす。


「用心して!」


 アルは叫び、離れた柱のかげから、顔だけをのぞかせた。


 マルコの指はためらったあと、すっとつまみ上げる。

 とたん、小鬼ゴブリンの左腕はかわき、ちりになった。


 目を寄せ、マルコは石をながめる。

 それは、ウズラの卵そっくりの形だ。

 淡い紫の光をにじませて、石そのものは、どこまでも漆黒のまま。

 見つめると、星のない夜空のように視線が吸い込まれる気がした。


 マルコには、なにも起きなかった。

 指や腕が巨大になることも、体がふるえて、倒れることもない。


「アルー! 手に入れたよ! 石!」


 それを聞いてアルも安心し、柱から姿をあらわす。戸惑いつつも「いま行くよ!」と駆け出した。


 まだ何も起きなかった。

 だからこの時、ふたりは油断していた。


     ◇


 神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、はずれ森を越えた山の下、古代の狂戦士バーサーカーの宮殿遺跡で、紫の光を発していた。


 それをマルコと呼ばれる異邦人が目の前にかざし、不思議そうに見つめる。

 ふいに、彼の顔を石の赤い光がてらす。

 光は赤から紫、そして青へと変化するが、異邦人は目を細めるだけだ。


 まるで戸惑うように紫の光がまたたいた。

 しかし、アルと呼ばれる魔法使いが近づくと、石は今度はそちらを赤くてらす。


 とたん、彼は苦しみに顔をゆがめ、恐ろしいうめき声をあげる。

 渇望かつぼうするように曲がった指を、石へと伸ばした。

 石を持つ異邦人は、ただならぬさまに驚愕きょうがくし、くちびるは震え、立ち尽くす。


 魔法使いの顔に、いくつものとがったすじ刺青いれずみのように黒々と浮かぶ。

 光の色が変わり、彼の顔を青く染めた。


 石にれんとする指先は、つめが伸びて鋭く肌は爬虫類はちゅうるいのように青黒くなる。

 それは、悪魔の手そのものだった。


 その時、魔法使いの杖先、神の善意グリーがかがやく。

 大きな白石は、持ち手の横顔を白くやわらかい光でてらす。


 魔法使いの口がすばやく動いて呪縛じゅばくからのがれ、ひるがえはたのように黒い小石に背を向けた。


     ◇


 いまのひと時が信じられず、呆然とマルコはマリスを指につまむまま。


 アルは片手をふところに入れ、背を向けたまま歩き出す。

 杖にひたいをつけ、静かに泣いていた。


 それでもアルは、荷物から暗い袋を取り出すと、ふり返りもせず、マルコの方へと投げつけた。


「それを……袋に入れて」


 すべりきた袋を、マルコは見下ろす。

 これがなにか思い出そうと考えていると、アルの鋭い声が飛ぶ。


「早く!」


 マルコはびくっとして、急いで袋のとば口をひらく。

 彼の目に、涙があふれた。

 先ほどの喜びの涙とは違う。

 怒鳴られたからではなく、理由もわからない、悲しい涙だった。


 すすり泣く声に気づいたアルは、にがい思いで下を向く。

 やがて、マルコの声がした。


「石を入れたよ……袋もしっかり閉じた」


 アルは気まずそうに、そろりそろりとふり返る。


「……大声だして、ごめん」


 マルコは目を合わせず、首をたてに何度もふった。


 アルは、ほろにがい笑顔になる。


「もう……ここから出よう。

 日の光の下に、一緒に帰ろう」


     ◇


 遠くに浮かぶ出口のかがやきを、このうえなくまぶしいとマルコは思った。

 思わず、走りだす。


 ぐんぐん近づく光の中、ほっそりした影が弓をつがえる。

 だが気づくと、両手を広げ笑顔になった。


「マルコ! アルフォンス! 無事か!」


 洞窟が苦手というエルベルトが、入り口でふたりの帰りを待ちわびていた。


     ◇


 日はかたむいて、森の中。

 三人は、虹色の大木の小屋を目指し歩いている。


 洞窟で起きたことを、ひときわ大声でしゃべるのは、アルだった。


「そこで敵がグワー! っときたら、なんとマルコはクルクル〜と、ね!

 回ったんだよ、エル!

 こう……くるくるくる〜って」


 狭い道で、アルが身振りを交えて話すものだから、荷物や杖が当たり、マルコは邪魔くさくて仕方なかった。


「なるほど、興味深い。

 マルコ、そのわざに名はあるのか?」


 回るアルを無視して、エルベルトがマルコにたずねた。

 マルコは、おどおどして考える。


「……シェリーズ・ダンス」


「ふむ。『シェリーの舞』か」


 名の由来に気づいたアルは、会心かいしんの笑みを浮かべマルコを見つめた。

 そしてエルベルトに、いたずらっぽい顔を向ける。


「エル……また歌でも作ろうかと考えてるんだろう?」


「おかしなことか?

 この事柄ことがらは、歌い継がれる価値がある」


 そう言って、遠くを見つめるエルベルトは何か口ずさみ、首をふって拍子ひょうしをとる。


 マルコは、腰からさやごと剣を取りだして、かかげる。


「エルベルト、これ、その時に使った剣。

 ありがとう。本当に助けられた。

 すごい……すごい切れ味だったよ」


 エルベルトは、マルコへ優しく微笑む。


「とっておけ。コルディス・インテル……。

 いや、剣の名はハート・ブレーカー。

 もし聞かれたら、そう答えるといい」


 すかさず横からアルがちゃちゃを入れる。


「その剣にはいわれが二つある。

 一つは敵の心臓、要は急所に確実な一撃を与えると言われている。

 もう一つは傑作けっさくで、その剣を持つと、失恋ばかりして、恋人ができないそうなんだ」


 得意げなアルを見て、マルコは冗談なのかと思った。

 確かめるように、エルベルトに目をやる。


 だがエルベルトは、こう応じた。


「そう。……なので、そろそろ手放したいとちょうどそう思っていた」


 彼は真剣な顔のまま。

 となりでアルが、我慢できなくなって吹き出した。


 マルコはあわてる。


「え? ちょっと……どういうこと?

 それってホントなの? ……いや。

 僕だってやだよ! そんな剣持つの」


 エルベルトも、心底おかしそうに大笑いしはじめる。

 マルコは彼のそんな笑顔を初めて見た。


「二人とも! 笑ってないで答えてよ!

 失恋する剣って、からかってるの?

 ねえ––––」



 はずれ森の夕べ。

 えだの小鳥が、見下ろす小道。

 杖を持つ魔法使いと、長い弓を持つ狩人が歩きながら、心から楽しそうに笑う。


 うしろの小柄な剣士は、きらびやかな剣をふり、不満げにあとを追いかける。


 喧騒けんそうから逃げるように、小鳥は羽ばたき、飛び去った。

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