21 神の悪意の入手、そして脱出

 枯れ川沿いの洞窟の奥深く、大広間の石畳の床に、黒い石のあるじの左腕だったものがある。

 それは、まだ生きてるかのように緑色の肌艶があり、指先には、淡くにじむような紫の光りを放つ、黒い石がつままれていたままだった。


「……これ?」


と言って、マルコはその小さい石に手を伸ばそうとした。


「充分、用心して!」


はっきり呼びかける声がする。アルは、遠く離れた柱の影から、顔だけ出してこちらを見ていた。


 マルコの指は、ためらった後、すっと黒い石をつまみ上げた。

 とたんに小鬼ゴブリンの左腕は乾いてちりになった。

 柱の影にいるアルは、緊張のあまり、まばたきもできず、息も止めて見守っている。


 目を寄せて、不思議そうに眺めるマルコの目の前にあるその石は、ウズラの卵とそっくりな形をしていた。

 淡い紫色の光りを周囲ににじませながら、その石自体はどこまでも漆黒のままで、まるでそこだけが空間が無いかのような、じっと見ていると、星のない夜空を見ているように視線が吸い込まれるような、不思議な色をしていた。


 マルコの身には、何も起きなかった。指や腕が巨大になることもなく、体が震えて倒れるようなこともなかった。


「アルーー! 手に入れたよ! 石!」


 緊張もなくマルコが呼びかけると、固唾を飲んで見ていたアルも安心して、柱の影から姿を現した。

 そして、戸惑いながらも「いま行くよ!」と駆けるように近づいて来る。

 お互い、声の調子もいつも通りで、広間ではまだ何も起きなかったので、だからこの時、二人は、油断していた。


     ◇


 神の悪意、マリスと呼ばれるその石は、はずれ森を越えた山の下、古代の狂戦士バーサーカーの宮殿遺跡で、夜空のように暗く、他の光りを吸い込んでいた。


 その石をマルコと呼ばれる異邦人の指がつまんでいる。

 十代後半とみられるその異邦人は、ウズラの卵のような石を目の前にして、不思議そうに眺めている。

 ふと、その異邦人の顔を赤い光が照らす。

 光は赤から紫、そして青に鋭く変化するが、異邦人は目を細めるだけで、何も起きなかった。


 その石は、まるで戸惑うかのように、赤や紫、青い光りを周囲に淡くにじませた。


 しかし、アルと呼ばれる二十代後半の魔法使いが近づくと、石は今度は、その若者の顔を赤く照らした。

 とたん、その魔法使いは苦しみに顔を歪め、恐ろしいうめき声をあげると、心から渇望するかのように、細い指をその石に伸ばしはじめる。

 石を持つ異邦人は、ただならぬ事態に驚愕した表情で、指は震えるが、何もできず、石を手に棒立ちのままだった。


 魔法使いの歪んだ顔に、何本もの尖った筋が、刺青いれずみのように黒々と浮かび上がる。

 石は光りを強めて、赤から紫、そして青へと色を変化させて、その顔を照りつける。

 石に伸ばされた指先は、爪は伸びて鋭く黒くなり、肌は爬虫類のように青黒く変化する。

 それは、悪魔の手そのものだった。


 その時、魔法使いが手にする杖の先端で、神の善意、グリーと呼ばれる石が輝き出す。

 その大きな石は、魔法使いの横顔を、白く柔らかい光りで照らした。

 魔法使いは呪縛から逃れるように、口もとで早口に何かをつぶやくと、姿は元に戻り、ひるがえる旗のように黒い小石に背を向けた––––。


     ◇


 呆然と、いま起きたひと時の事が、信じられないといった表情で、マルコは、神の悪意の石、マリスを指につまんだままだった。


 アルは、片手をふところに入れたまま、背を向けて歩き出し、もう片方の手に持つ杖にひたいをつけて、泣いているようだった。


 それでもアルは、急ぎ荷物から、暗い袋を取り出すと、振り返りもせず、マルコの足元に投げつけた。


「……それを、袋に入れて」


 足元に滑り来た袋を、マルコは見下ろしながらしゃがんだ後、これが何だったのか思い出そうと、もたもたとしていると、アルの鋭い声が飛ぶ。


「早く!」


 初めて怒鳴られたマルコはびくっとして、急いで袋の閉じ口を開きながら、涙を流しはじめた。

 先ほどの喜びの涙とは違う、怒鳴られたことだけではなく、理由もわからない悲しい涙だった。

 背後で、すすり泣く声に気づいたアルは、苦い思いで下を向いた。やがて、マルコの声がした。


「……石を入れたよ。……袋もしっかり閉じた」


 アルは、この上なく気まずそうに下を向いて、そろりそろりと振り返ると、マルコが初めて聞く、ぼそぼそとした声で、


「……怒鳴ったりして、ごめん」


 と謝った。マルコは目を合わせず、首を縦に何度もふった。

 それからアルは、なんとかほろ苦い笑顔をマルコに向けて、ささやくように言った。


「……もう、ここから出よう。日の光りの下に、一緒に戻ろう」


     ◇


 遠くに浮かぶ洞窟の出口は、初めて見るほどのまばゆい光りだった。

 太陽の下に行くのが待ち切れなくて、マルコは、途中からアルを置いてけぼりにして駆け出した。

 抜け駆けされたアルは驚き、


「んあ?」


と変な声を出すと、遅れまいと自分も必死に走り出した。

 洞窟から脱出する二人の前で、丸く光る出口の輝きがぐんぐんと大きくなって、そこにほっそりとした影が立っているのがわかった。

 影は体を横に、弓を構えてこちらをじっと見ているようだったが、二人の姿に気づくと両手を広げ、笑顔になって口を開いた。


「マルコ! アルフォンス! 無事だったか!」


 洞窟が苦手だというエルベルトが、入り口からのぞいて、二人が帰ってくるのを待っていてくれた。


     ◇


 洞窟の入り口では、エルベルトが小鬼ゴブリンの亡骸を片付けてしまっていて、綺麗なものだった。

 だが、アルが「一刻も早く、マルコが落ち着けるところに移動しよう」と言うので、三人は連れ立って、虹色の大木の小屋を目指して、森の中を歩いている。


 道中、洞窟の中で起きたことをエルベルトに話すが、ひときわ大声をあげてしゃべっているのは、アルだった。


「とそこで敵がグワー! っと攻撃したら、なんとマルコはクルクル〜と、ね!

 回ったんだよ、エル!

 ……こう、くるくるくる〜って––––」


 森の狭い小道で、アルが一生懸命に身振りを交えて話すものだから、荷物や杖が当たりにそうになって、マルコは邪魔くさくて仕方なかった。


「なるほど、興味深い。

 マルコ、その剣術はどこで……ああ、端村の南方剣術だったな?

 その技に名はあるのか?」


 まだ身体を回しているアルを無視して、エルベルトが淡々とマルコに尋ねる。マルコは、おどおどしながらも少し考えた。


「…………。シェリーズ・ダンス……」


「ふむ。『シェリーの舞』か……」


 マルコとエルベルトの、このやり取りを聞いたアルは、心から満足したように会心の笑みを浮かべて、マルコを見つめた。

 そして、エルベルトに目を向けると、今度はいたずらっぽい顔をして言う。


「……なんだ〜? エル。また歌でも作ろうかと考えてるんだろう?」


「いつも言ってるが、その呼び方はやめろ。それでは、さとの者がほぼ同じ––––」


「じゃあ、エルベ」


「もっと他にないのか?

 とにかく、今回の事柄は、歌い継がれ、語り継がれる価値がある」


 そう言って、アルから目を背け遠くを見つめたエルベルトは、小さく鼻唄を歌うように、目を薄くして首をふり、何かのリズムを取り出した。


 マルコは、腰に手を伸ばし、鞘ごと取り出して、エルベルトに剣を見せながら話しかけた。


「エルベルト、これ……その時に使った剣。ありがとう。本当に助けられた。

 すごい……すごい切れ味だったよ……」


 エルベルトは、マルコに顔を向けて優しく微笑むと、穏やかに答える。


「とっておけ。コルディス・インテルミッサム……いや、剣の名はハート・ブレーカー。

 もし聞かれたら、そう答えるといい」


 すかさず横から、アルがちゃちゃを入れるように解説しはじめる。


「その剣にはいわれが二つあって、一つは敵の心臓、要するに急所に確実に一撃を与えることができると言われている。


 もう一つは傑作で、その剣を長く持ちすぎると、失恋ばかりして、いつまで経っても恋人ができないそうなんだ」


 得意げに喋るアルを見て、マルコは最初、冗談を言ってるのかと思い、エルベルトの顔と見比べた。

 だが、エルベルトはこう応じた。


「そう。……なので、そろそろ手放したいと、ちょうどそう思っていた」


 エルベルトは真剣な顔のままだ。

 となりでアルが、もう我慢できないといった様子で吹き出した。マルコが、


「……え? ……ちょっと。どういうこと?

 それって本当なの?

 ……いや、僕だって嫌だよ! そんな剣持つの」


 と言うと、エルベルトも心底おかしそうに大笑いをしだした。

 マルコはそんな彼の笑顔を初めて見た。それでも、聞かずにはおれない。


「ねえ、二人とも! 笑ってないで答えてよ!

 失恋ばかりする剣って、それって、からかってるの? ねえ––––」


 はずれ森の夕方、枝に止まった小鳥が見下ろす小道を、杖を持った背の高い魔法使いと、長い弓を持つ狩人が、心から楽しそうに、笑いながら歩いていた。

 そしてその後ろから、小柄な剣士が、手にはきらびやかな鞘に入った剣を掲げ、不満げについていく。


 騒がしさから逃れるように、小鳥は羽ばたき、飛び去っていった。

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