10 端村はじまって以来の大宴会

 後に北方にまで「端村はじまって以来の大宴会」と語り継がれることになる、その夜の出来事は、当事者のマルコは実は「宴もたけなわ」のあたりしか思い出せなかった。


 目覚めた時には、すでに多くの村人たちは酔っ払って、あちこちで立ったまま、盛んに語り合っていた。ポンペオが誰かと手振りをまじえながら、熱心に打ち合わせている。


 テーブルには皿や杯が所せましと置かれ、中央には、獣の体の骨が置かれていた。

 食事はあらかた済んだようで、皿の料理はほとんどない。獣–––間違いなく今日の猪豚だろう––––は白い骨がほぼあらわで、あっても桃色の筋しかなく、食べられる肉はほとんど残ってそうになかった。


 村の男手で椅子ごと暖炉から離してもらっているマルコが、恨めしそうにその骨をじっと見つめている。すると、それに気づいたソフィアが、涙目のまま笑顔になった。


「やあだ! 全部食べちゃったと思ってるの? ちゃーんと、マルコの分とってるわよー。一番いいとこ。


 ……あなた! そろそろいいんじゃない?」


 老人と笑い合っていたポンペオは、ソフィアが呼びかけると、少し不機嫌そうになり「本当にやんのか?」とぶつぶつつぶやきながらこちらに近づいてくる。


 マルコがその時初めて気づいた事には、その夜の亭主夫婦は、見た事がない明るい草色の衣服を着ていた。

 ポンペオは赤いスカーフ、ソフィアは桃色のスカーフをそれぞれ付けて着飾っている。

一張羅いっちょうらかな、それとも何かの礼服?」マルコが不思議に思う中、ポンペオがゆっくりと小熊亭の食堂を見回し、手を叩いて、演説を始めた。


「あー…。みんな! ちょっと聞いてくれ。

 宴もたけなわではございますがっ! 本日の儀礼ぎれいをはじめます!」


 すると、その場にいた人々、老若男女が、みな床をドン! ドン! と二度、強く踏み鳴らし「おう!」という力強い歓声をあげ壁を震わせる。

 ざわついた空気はそのひと時でしんと静まりかえり、ポンペオに注目が集まった。


「えーー、ここに……座っている、マルコは! 長かった冬を乗り越えた今日! はじめての大物を、村にもたらした狩人だ!」


 今度は一斉に「イェーー!」と騒ぎ、皿や杯など食器とテーブルをぶつけて大騒音をたてる。「森をいろどる神の祝福を!」と合いの手も入る。


「……こいつは異国のもんなんで普段はないことなんだが……、その働きに応じてえ!

 春のおお……つまり、前の新月から、次に北の大地が稲の緑におおわれるまで! 端村の英雄になった事を、ここに宣言します!」


 またも部屋中に大歓声が吹き荒れた。

「いよっ! 春の英雄!」など陽気なかけ声が、そこかしこで上がる。


 あまりの事にマルコは、自分とこの空気を隔絶する薄布ヴェールをかぶりたいような、さびしいような気持ちになった。

 しかし次の瞬間、人混みが割れて前方にたたずむ影に気づくと、自分の恥ずかしさなど忘れて、その姿に見入ってしまった。


 明るい草色のスカートと、緑色のブラウスを着たシェリーがいた。


 胸元には、高貴な紫色のスカーフをしている。暖炉の火が、美しく編み込まれた桃色ピンクの髪を光り輝かせ、その姿は、マルコに山の岩場で日を浴びていた花を思い出させた。

 まさに、––––後に仲間に話した時は、我ながら陳腐なたとえだとは思ったのだが––––

まさに花の精霊そのものだった。


 女性から大きな盆を受け取ると、シェリーはいつものように背筋を伸ばし、真っすぐにこちらに歩いてくる。

 その微笑みに見惚れていたマルコは、盆の上に何があるのか、すぐそばでシェリーに声をかけられるまで気づかなかった。


「……春の英雄。あなたには、この一番の成果をささげます……」


 マルコが夢見心地で、盆の上に目をやると、きつね色にこんがり焼けた猪豚の顔が、ニッコリ微笑んでこちらを見ていた。


     ◇


 宴会の参加者たちは、めったにない英雄の儀礼をひと目でも見たくて、暖炉の前の場所取りを、動物のように騒ぎながら争った。

「押すなぁ! こにゃろぅ」などという小競り合いもそこら中で起きる。


 部屋の熱気は、最高潮に達する乱痴気らんちき騒ぎだ。


 シェリーは耳まで真っ赤にしながら、フォークでさした猪豚の鼻の肉を、マルコの口の前に突き出してくる。


「……た、食べて……。これ、伝統だから」


 かぶりつくにも大きすぎる塊を突きつけられて、マルコは息が苦しくなっていた。

 だが、揺り椅子に縛られていて逃げられそうにもない。

 ヤケになり、開けるだけ口を開きガブリと肉にかじりついた。


 そのとたん、女たちのかん高い歓声と、あたたかい拍手がわき起こる。


 泣きながらとなりと抱き合った女たちは、ソフィアに口々に「おめでとう」と声をかけ、手を握った。

 ソフィアは目頭を押さえながら「そんなんじゃないんですよ。本当にね」と嬉しそうに応じている。

 男たちは頭を振る者もいれば、ため息をつく者もいて、それでもみな次々とポンペオの腕や肩をたたきに集まってくる。

 ポンペオは顔を赤黒くしながら「まだだ! まだ認めんぞ!」と怒声をあげていた。


 マルコは、この儀礼とは何なのか、空恐ろしい気になっていた。成り行きに従っているだけなのに、自分は何か重大な約束事の儀式に巻き込まれているのか? と思う。

 考える間もなく、シェリーは残りの肉の塊を「はい……、はい……」と突き出してくる。


 彼女の顔は火がついたように真っ赤なままで、マルコが血走った目で訴えても、恥ずかしそうにうつむきながら「風習だから……」とささやいていた。


     ◇


 まだ寒さが残る早春の夜、宴はおひらきになり、歌う小熊亭の玄関から、次々と村人たちが出てきて我が家へと帰っていく。


 だんだんと人が減り、寂しくなる食堂の中で、今まで話しをしたことがない人たちもマルコに声をかけてくる。

 だが、脂身の多い肉の塊をまだ口に頬張っていたマルコは、ロクに返事もできなかった。


 やがて、鍛冶屋のスミス老が椅子をもってきて、となりに座った。


「オイ。……ふあぁ、最初見た時は、髪も真っ黒だし、変な野郎だと思っとったがよ。しかも、あの橙色オレンジノッポと歩いとるしよ。


 だけんど……、次に見かけた時は……、ホロホロ鳥を、二羽しょっとったなあ! 桃色の娘っこと、一緒になあ!」


 マルコは涙を流しながらフガフガとうなずき、急いで口を動かす。

 スミス老は返事を待たずに続ける。


橙色オレンジノッポ、……ふあぁ? ……あ、あの、魔法使いもよ、ただの食い意地のはった野郎だと思っとったがよ、それが、村のことをみるにみかねて……、あんたのような狩りの名人をよ……、わざわざ外国からよっ! 


 連れてくるなんざあ、え? なかなかのもんじゃねえか! え?」


 マルコは一刻を争うように口の中のものを咀嚼した。顎の動きが一気に速まる。

 スミス老は、目を細めた。


「あんた……、村にずっと住むんかい? あの……ふあぁ? あの……、娘っことよ!

 外国人だぎゃあ、それもええんかもしれんな––––」


 マルコの喉が、ゴクリと最後の一口を飲みこむと、息せき切って、スミス老に唾を飛ばす。


「ち、違うんです!

 そういうことではなくて、アルが……、あ、あの魔法使いの友達が迎えにくるのを待ってるんです!」


 マルコの唾や口からでた何かを顔につけながら、スミス老はキョトンとした表情でその言葉を聞いた。

 そして、一呼吸おいて、大爆笑しだした。


「ふあぁ? あんた魔法を使うもんと約束をしとるんかい? え? ……ファファファ!


 魔法使いの言うことまともに聞くやつなんざ、はあ、よそは知らねえが、お山の周りでそんな奴、聞いたことねえ。……ファファファ!」


 そう言うと、スミス老は椅子を置いたまま、「ファファファ!」と笑い、実に愉快そうに帰って行った。


     ◇


 その晩、––––自分で歩けると言ったのだが––––亭主夫婦に寝室まで運んでもらった後、マルコが部屋の灯りもつけずに寝る用意をしていた。すると、扉が開いて、窓からの薄明かりの下、スカート姿のままのシェリーが立っている。

 そのまま「今、話していい?」と言うので、マルコは快く応じた。


「……ゆっくり休んで、早く治してね。明日は満月だから、私は市場に行ってくるから」


「市場……?」


「ここから馬車で少し行ったとこ……。もちろん夕方には帰るから」


「そう……。そこで、何をするの?」


 それを聞いたシェリーがくすくすと笑い出す。


「マルコって、本当に遠いとこから来たんだね! 市では、いろいろ……ブッシを売って、そして、必要なものを買うの。


 ……ほら! 私たちでとった、獲物の羽とか皮とか、お肉は……お父さんとお母さんが、燻製にしてくれているから……それを売るの」


 マルコは「ふうん」と呑気のんきに相槌を打ちながら、素朴な生活の営みに好感を抱いていた。


 ふいに、シェリーが思い切ったような声をあげる。


「あのね、マルコは! マルコは……狩りが得意だけどさ。……なんか、あきらめないし。

 …………。私のお兄ちゃんは、もっと得意で、森にも好かれてて…………。


 でも、あなたは……、あなたは兄のようにはなれない……」


 そう言うとシェリーは、ゆっくりと扉を閉めはじめた。

 完全に閉まる間際、細い隙間から、彼女の恥じらうような微笑みが見えた気がした。


 マルコは「それって、どういう意味?」と聞き返したかった。


 しかし、それを尋ねる機会は、その後ついに、一度もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます