4 歌う小熊亭での夜

 その夜、マルコが風呂から戻ると、泊まる部屋は暗いままだった。

 奥の扉の隙間から、ぼんやりとした白い光がにじみ出ている。


「奥の部屋にいるな」マルコは、歌う小熊亭の浴室の感動を一刻も早くアルに伝えたくて、せわしなく声をあげて扉に歩み寄った。


「聞いてよ、アル! ここすごいんだよ。ヒノキのお風呂があってね、もんのすごく良い香りがするの! 今日は汗をかいたから、流した後にお湯につかったらそれがもう––––」


 マルコが扉を開けると、柔らかい雲のような白い光が、いくつもの筋になって扉からあふれ出した。

 思わず顔の前に腕をかざしたマルコは、ゆっくりと腕をおろして、部屋の様子に目を大きく見開いた。


     ◇


 光の源は、アルの大杖の先端に仕込まれた白く明るい色の宝石のようなものだった。

 例の袋はこの石を隠していたのだ。

 杖の先は数本の枝に別れ、まるで骨と皮になった老人の指がつかむように、しっかりと石を支えている。


 白い石から満月を連想したが、じっと見ていると目が痛くなる気がして、マルコはあわてて視線をそらした。


 光の下に、パイプをくゆらせるアルの頭がある。

 赤いワインが入ったグラスを脇机に置き、窓際の椅子に腰掛け、ほろ酔いでご機嫌だ。

 目尻を下げた横顔からは、何か重い荷物を運び終えた人のような、解放感を思わせる。


 すると彼は、口からゆっくりと煙を吐きながら同時に何かを唱えた。

 開け放たれた大きな窓から、煙と白い石からあふれ出る雲のような光が一緒になる。そして、いくつもの細い光の筋に分かれ、村の広場に広がり散っていった––––。



 その光景から目を離せないままのマルコに気づくと、アルはのんびりと語り始めた。


「説明するね……。この白い石は、この地では『神の善意』といって特別な存在なんだ。王がいる都では、グリーとも呼ばれる。


 非常に強力な魔力を秘めていて、近くにあるだけで人に活力や希望をもたらし、前向きな、より良き者にするとも言われている。


 ……ただし、普通は、人はこれにじかに触れることはできない。もし触れると、あまりの力の強さのために、その人は人ではない者に変わってしまうから。


 ……例えば、ある古文書の記録によれば、かつて王都にあったグリーにうっかり手を触れた男がいた。彼は、背中から白鳥のような羽が生えてしまい、妻を置いて、涙を流しながらどこかへ飛び去った、という––––」


 おもむろにアルは椅子から立ち上がり、マルコの方を向いた。


「……私は、王立 魔法学院アカデミーに代々伝わるこのグリーを託された、探究者という職にある者なのです。この石の力で貴方あなたをこの地に召喚しました」


 今や、ウルヴズハート朝アルバテッラ王立 魔法学院アカデミー探究者と名乗ったアルフォンス・キリングは、その長身を真っすぐに伸ばした。

 そして、頭を沈めて膝をつき、頭二つは背の低いマルコに向かってお辞儀の礼をした。


 マルコは緊張のあまり、湯上がりの薄着のままでいることも忘れていた。アルの説明をなんとか理解しようと一生懸命考えてるうちに、立て続けにくしゃみをした。

 それを見たアルが優しく微笑ほほえんでくれたので、マルコはほっと安心した。


     ◇


 着替えから戻ったマルコに、アルは窓際の椅子をすすめて、自らはワインを傾けながら、マルコへの頼みを話しはじめた。


「実は……、神の善意に相対あいたいする特別な石もあって、そちらは『神の悪意』というんだ。私たち魔法使いは、マリスとも呼んでいる。


 長年私は、この近辺にその石があるんじゃないかと調査をしていて……。マルコ、今回君が召喚に応じてくれたから、一緒に運び出して、管理の行き届いた王都に運べたら、と思ってる。どうだろう?


 もちろん、難しかったら諦める。君が望めば、帰還の術を発動するよ」


 それを聞いて、マルコは混乱するばかりだった。自分の過去も霧がかってわからず、ただの成り行きでこの場にいるだけだ。なのに、善意の石だとか、悪意の石だとか、自分がどうしたいかなんて、彼は判断のしようがなかった。

 気づくと、目から涙を流しながら、重ねて質問していた。


「あの……、思ってたより大きな話しで驚いてその……、そんな力のある石を運び出すって、僕なんかで何か役に立てるの?


 それに、……この近くに、悪い石? があったとして、アルが、この村からそれを離したいっていうのは分かるよ。

 みんなのことを考えてのことだよね?」


 それを聞くとアルは驚いて目を開いたが、口もとは結んだまま、続きをうながした。


「でもその、そんなに力のある石なら、とても危険じゃないの?

 そんな責任、……僕、そんな責任持てないよ!」


 マルコの感情が爆発しそうになったので、アルはゆっくり両手を広げ、震えるマルコを抱きしめた。そうして、耳元でささやく。


「最後の質問から答えていくと、もちろん君は何一つ責任を持つ必要がない。帰還の術は施したので、この地で何かあっても最悪、君は元いた世界に戻るだけだ……。

 だから……、どうか安心して欲しい。


 神の悪意がどんな石なのか? もちろんこの地の人にとって大変危険なものだ。だけど、もし近くにあるなら、これは目にしてもらったほうが話しは早い。言葉でそれを語るのは、ひょっとするとこの白い石を語るよりもずっと難しい。


 そして、最初に聞かれた最も大切な問い。君が、この仕事で、役に立てるのか? ……答えを言うと、君は必要不可欠な存在で、むしろ君という人がいなければマリスを運び出すことは大変な困難を極めるだろう」


 言うが早いかアルは後ろにあった大杖を手に取り、マルコの顔の前に神の善意と呼ばれる白い石をかざした。


 柔らかい光がマルコの顔を明るく照らし、その輪郭を黒く浮きたたせる。

 目の前にしても、マルコはその石の光が嫌ではなかった。むしろ、ほんのり暖かくて気持ち良かった。


「マルコ、君は、雪壁の山脈から西のこの地、アルバテッラの人じゃない。私たちの神の影響の下にないんだ。

 ……だから、この石を、手で、さわってみて」


 マルコは、なぜ自分がこの時素直に従ったのか、後になって疑問を抱き、それはずっと心のつかえとなって、その後もずっと解けない謎のままだ。

 だが、今この時は、この魔法使いの願いに応じて、その手を差し伸ばしたのだった。


     ◇


 神の善意、グリーと呼ばれるその石は、歌う子熊亭の窓からのぞむ星空を背景に、満月のように白く輝いていた。


 その石にマルコと呼ばれる異邦人の手が重なっている。十代後半とみられるその異邦人が静かに目を閉じると、涙のあとを筋となって光が照り返す。

 光に触れた指は何か感じるように脈打つ。


 しかし、濡れた黒い髪は風に揺られ、彼の表情はどこまでも穏やかなままだった。


 彼は変わらず彼のままで、ゆっくりと目を開き、アルと呼ばれる二十代後半の魔法使いと目が合うと、青年というには幼いような、甘い笑顔を見せた––––。



 アルは少し照れたように笑顔を返すと、


「これが……、私が召喚術の探究者となった理由でもあり、貴方をこの地に招いた理由なのです」

とつぶやいた。


 そしてアルは、鋭い眼差しを石に向ける。

 この力で、親友の命を守れなかった事をやみながら、いつまでも見つめていた。

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