神の悪意の物語

１ 山の上のアルの小屋

　窓から差し込む朝の光を反射して、部屋の空気がきらめいている。

　マルコは、見知らぬベッドに腰かけ、ぼんやりした頭でそれをながめた。

　前の机に、空のガラス瓶がいくつも並ぶ。

　その左は本棚。すり切れた書物の隙間（すきま）に、ほこりだらけの巻物が押し込んである。

「ここはどこだろう？」と思うが、彼は思い出せなかった。

　すると左手の戸が開き、大きな杖を手に、薄灰色の法衣（ローブ）をまとった、長身の若者が顔を出した。

　橙色（オレンジ）の短髪は、外からの日で輝（かがや）いている。

　その頭上、杖の先に丸い形の袋がかぶる。袋の色は暗く、不思議にそこだけが無の空間のようだ。

　マルコは、その袋から目を離せずにいた。

　見つめると、夜空をながめるように視線が吸い込まれる気がした。

　杖を持つ若者は、好奇心に満ちた目を丸くする。喜びを隠（かく）せないように、口に手をあて微笑（ほほえ）むと、よく通る声をあげた。

「調子はどう？　そろそろ起きられるかな」

　若者に話しかけられると、マルコは自然と言葉が口に出る。

「体は動かせそうです、アルフォンスさん」

「アルでいいよ、マルコ。

　……それじゃ、出かける用意をするから、外に出て手伝ってくれるかい？」

「あの……どこに行くの？　なんで出かけるんだっけ？」

「あぁー。また……忘れたんだね」

　マルコは、はずかしくなり頭をかいた。

　アルと名乗る若者は、大げさに手で目をおおう。

　だが指の隙間（すきま）からマルコを見ると、口もとはゆるんだ。

　　　　　◇

　その小屋は山脈に連（つら）なる山に建っていた。

　正面を見下ろせば、蕾（つぼみ）がふくらむ木々のむこう、広大な平野がのぞめる。

　ふり返ると、雪をかぶった真白な山の頂（いただき）。青空を裂（さ）いて遠くまでそびえていた。

　マルコは白い息を吐きながら、新鮮な空気と雄大な景色に胸がはずんだ。

　アルは、小さな畑からいそいそと、野菜を収穫している。

　となりの小ぶりな井戸と、錆（さ）びた荷車の間を行ったりきたりしていた。

　金属製の二輪車に引き手がついた荷車は、むかしの戦車のように見えた。

　その車に、キャベツや人参（にんじん）、玉ねぎなどを積み込みながら、アルはだらだら語る。

「まあ、そんなわけで、さ！

　私は君をこの地に導いたんだけど。

　ここ数日は魂の定着のために、君と対話を繰り返して、大変だったんだよー？

　なぜ呼んだのか、これから何をするのか。そんな話をしたんだけど、ね！」

　と、両手いっぱいのキャベツを荷車に積んだところで、アルはあわててマルコにふり返った。

「や！　君のせいではなく、これは召喚術を紡（つむ）いだ私の責任だ。そもそも––––」

　マルコは、頭がぼんやりするのに、長話をされてつかれてしまった。

　のどが渇（かわ）いたので、井戸端（いどばた）のひしゃくで水をすくい、一口飲んでみる。

「ぷはーっ！　うまい！」

　冷たい水が、のどから腹へと流れるのがわかる。震えがくるが、しんと洗われるように体に染（し）みわたる。

　今まで飲んだことがないほど、美味（うま）い。

　不思議なことに、マルコの目はだんだんとよく見えて世界が色づき、頭がさえてくる。

　マルコはひしゃくの残りを一気に飲んだ。

　アルは手を伸ばし、思わず声をかける。

「あ、あー！　そんな急に、冷たい水をたくさん飲むと、お腹（なか）……痛くなるよ。

　とにかく、召喚した理由、君にお願いしたいことは端村（はしむら）に着いてから。

　ね？　また話すよ」

　袖（そで）で口をぬぐいながらマルコはたずねた。

「はしむら？　今から、そこに行くの？」

「そう。ここから半日ばかり、麓（ふもと）に降りる。ほら……ちょうどここから見える、あの屋根がいくつもあるとこだよ」

　アルが指さす方にマルコが目をこらすと、森のとなりに点になった屋根が見える。

　100戸はなさそうな小さな村だ。

　昔は色とりどりの鮮（あざや）やかな屋根だったかもしれないが、今は灰色にくすんでいる。

　自分の事も思い出せないのに、知らない人たちと会うのが、マルコには面倒だった。

　彼は、がっくりと肩を落とした。

　そんな様子には気づかず、アルは続ける。

「世界を彩（いろど）る神の教えかなわず、さびれていくいっぽうの村だけどね……。

　王が住まう都（みやこ）から遠く離れて、はしっこにあるから、端村（はしむら）」

「どうしても、すぐ行くの？」

　マルコの問いに、アルはうなだれるように下を向く。

「……ここにはもう、ご飯がないんだよ」

　そう聞いて、ぐうとお腹（なか）の音が鳴る。

　顔を赤らめマルコは腹をさするが、頭の中は疑問でいっぱいだ。

「何のとりえもない自分が、ここでいったい何を頼まれるんだろう？」と、彼は不思議で仕方がなかった。