虚飾の式2
(二)
自分の机の上に鞄を置くと、持ち手に付けられたキーホルダーが揺れる。教室の蛍光灯で、星の飾りに刻まれている文字がちらりと煌めいた。高校生の小遣いじゃ容易に手を出せないブランドのそれは、私の権力の証だ。携帯電話のストラップも、ブレスレットも、財布だって高価なもの。お金持ちな大人に憧れる女子はすぐブランドものに食い付いて、いいなぁ、だとか、すごい、だとか、そんな言葉で私を持て囃す。
私が本当は、お昼ご飯に百円玉数枚しか渡されない惨めな女だと知ったら、煌びやかなイメージはすぐに錆び付くのだろう。
「聖、今日は彼氏と何話してたのー?」
仲良し四人組のうちの一人、彩夏に声を掛けられて、私は着席しながら黒目を左に動かす。既に五限目の準備を終えている彼女は、敵意など欠片もない笑みを向けてきた。だけど昼休みに聞いてしまった、私を疑う彼女の声が耳に蘇って、作り笑いだろうかなんて余計な推察をしてしまう。
私も同じように笑みを作り、現代文の教科書とノートを机上に置いた。
「今週の休みにデートしよーって話」
「どこ行くの?」
「秘密」
「えー、それくらい教えてくれてもいいじゃん」
「それよりさ、一組にすごい綺麗な子がいるの知ってる?」
話を逸らしたからか、彩夏の顔が不機嫌そうになる。だけど私はそれに気付かないふりをした。仏頂面でネイルを弄り始めた彩夏は、ぶっきらぼうに返してくる。
「知らない」
「そっか。私さっき見かけたんだけど」
「聖、デートするなら写真撮って送ってよ。次の日でも良いからさぁ。お金持ちのデート気になる」
「……別に普通よ。私ケンヤクカだし」
言葉の使い方は合っていただろうか、と考えているうちに本鈴が鳴る。気怠げな顔をした教師が教卓前に立つ。号令係を呼ぶ教師の声に、彩夏のささめきが重なった。
「約束だからね。写真楽しみにしてる」
絶対に撮ってこい、という本心が含まれている声色にうんざりした。それと同時に、不安が胸の中を満たしていく。
写真を撮ってきて、と言われたことはこれまで何度かあるけれど、約束だから、と命令のように付けられたのは初めてだ。それゆえ、私は肌を撫でる敵意を感じ取っていた。今回も写真がなかったら、きっと彩夏はもう私を信じないし、仲良し四人組の美智と琴音も私から離れていくのだと思う。私を仲間から外そうとか、そういう会話が今日の昼休みに行われていたかもしれない。人付き合いって本当に面倒くさい。
彼氏がいることの何が良いの? ブランド物を沢山持っていることの、何が偉いの?
彼氏なんて他人だし、ブランド物なんてただのモノだ。それなのに、私は私じゃないものの価値に縋らなければ集団で上手くやっていくことが出来ない。私自身が『無価値』なことを誰よりも私が知っている。偽物のお嬢様の面が剥がれたら、私はもうこの教室のどこにもいけない。
勝手に寄って来られることと求められることしか知らないから、『本物のお嬢様』を失くした今の私には、砕けた仮面を嘘で繋ぎ止めなければ友達を作れないのだ。
教師が廊下側の一番前の生徒から順に教科書を読ませていく。私の番は三番目に来てしまう。デートのことを今は忘れて、朗読されていく文字列をぼんやり追いかけた。
文章を辿りながらも私は、志弦のことを考えていた。志弦はきっと、ルリボシカミキリのような青色を宿した蝶だ。どことなくボーイッシュだからか、青色が似合うような気がした。だけど元気な蝶みたいに、綺麗な羽ばたき方はしないのだろう。その蝶は、羽を片方なくしているかもしれない。
志弦がどれほど整った容姿でも、不健康なほど白い肌や蒼褪めた顔色を、気味悪く思う人がきっといる。それでも私には、彼女が美しく見えた。
「式野、読めないのか」
しんと静まり返っていた教室内に、私の名前が割れた硝子みたいに冷たく響く。両肩を持ち上げた私はきょとんとしたまま前方と横に目を向け、注目を浴びていることに気が付いた。志弦のことばかり考えていたおかげで、教科書を読まなければならないということを失念していた。
慌てて始めた朗読は、羞恥心によって声が高く跳ねていた。早口で読み終えて、机に顔を伏せたくなる。だけど平静を装い、真面目な顔付きで正面に向き直る。
学校は勉強をする所、なんて言うけれど、だったら人間関係が不必要な環境を作って欲しい。とはいえ、人間関係が上手く築けません、なんて大人に言ったところで、社会に出てそれだと困るぞ、と詰られるのだろう。
人と上手く付き合うには、やはり仮面を付けなければいけない。その仮面には空気穴なんて空いていなくて、窒息してしまいそうなのに、本当の顔を晒すよりは不思議と楽になれるのだ。
嘘×高価なモノ=友達の作れる式野聖。それが、私を構築している式だった。
(三)
彩夏と初めて出会ったのは、小学生の頃だ。
当時の私は、両親に愛も金も好きなだけ注がれていて、誰が見ても育ちの良い女の子だったと思う。お姫様に憧れる年頃の女の子達は、お嬢様である私に羨望の眼差しを向けてきたから、友達にも恵まれた。スクールカースト、というものがあるのなら、私はその一番上に立っていたのだ。
掃除を面倒臭いと言えばクラスメートがやってくれたし、誕生日には女の子全員がなにかしらのプレゼントを用意してきた。仲間外れを作る空気が漂っても、皆私だけにはいつも優しかった。だからこそ、私は自分に価値があるのだと信じて疑わなかった。
小学三年生の頃、転校生として私のクラスに来たのが彩夏だ。親の都合でよく転校をするという彼女から、色々な県の話を聞いてクラスメート皆で盛り上がった。話が面白いし良い子だから、と皆に好かれていく彩夏も、どうしてか私を一番の友達に選んでくれた。
とはいえ「聖はお金持ちなのに偉そうじゃなくて好き」だとか、「ブランド物の話が出来るのが楽しい」だとか、そんな風に私を褒めていた彼女も結局『良い子』なんかじゃなかった。
私が寝坊して遅刻をした日、教室に入る前に思わず固まって、一瞬だけ表情の作り方を忘れてしまったことを今でも思い出せる。
「聖って可愛い物を見せびらかしてるだけで、あの子の話ホントつまらないんだけど。なんで皆あの子をお姫様扱いしてるの?」
私を好きだと言った声が、私を褒めてくれた彩夏が、楽しそうに、私を貶していた。同調する笑い声は耳鳴りみたいだった。広がっていく私への不満を止めて欲しいと念じていれば、嘲笑混じりの静止が入る。
「やめなよ、聖ちゃんの親怖いんだから。お父さんがすごい会社の人とかで、先生達も特別扱いしてるんだよ」
「聖ちゃんとは仲良くしなさいーっていっつも言われるもんね」
親がこうだから。先生がこう言ったから。
聞けば聞くほど、私自身を心から好いている子など、一人もいないみたいだった。惨めな気持ちで立ち尽くして、膝から崩れ落ちそうになるのをどうにか堪え、私は家まで走って帰った。
私が何をしたというのだろう。失言一つで地位が変わる気がして、余計なことはあまり口に出さなかったし、それゆえ人の悪口だってあまり言わなかった。クラスみんなに明るく話しかけていたし、孤立気味な子のことだって気にかけてきた。皆が優しくしてくれるから私も皆に優しくしてきたのに。全てのことに意味はなく、ただ、つまらない奴と思われていた。
女の子は、明るくて楽しいばかりの話よりも、共通の敵を作って重ねる悪口の方が好きなのだと、この時初めて思い知った。これまで聞いてきたクラスメートの笑い声の中で、この日の嘲笑が、一番楽しそうに聞こえてしまった。
親に泣いて縋りつく、という考えが頭にないくらい、私が心に収めているプライドはとても大きなものだったらしい。その日一日中、どうやって自分の地位を保つか、ひたすら考えていた。
考えて、考えて。翌日からは彩夏の悪口をこっそり言ったり、良くない噂をいくつも流したりした。
彩夏が転校を繰り返しているのは学校で問題を起こすからだとか、母親が泥棒だからだとか、彼女に物を盗まれた子がいるとか、誰々の好きな子を取ったとか。そんな話を囁くと面白いくらいクラスメートは盛り上がった。こんな最低な嘘の方が人の娯楽になるのかと思うと複雑な気持ちだったが、私の言葉が少しずつ広がっていって彩夏が孤立していく様は、気分が良かった。
こんなの、どこにでもある話だろう。罪を犯しているわけではなく、一人でいけないことをしているわけでもない。皆で楽しい遊びをしているだけなのだから、誰にも咎められず、罪悪感を抱く必要さえなかった。
けれど、孤立した彩夏がすぐ転校してしまって、皆は親の仕事の都合だろうと軽く話していたが、私の胸中には罪悪感が溢れ返っていた。もし、彩夏が噂の出どころに気付いていて、私のことを恨んでいたら。そう考えたら怖くなり、いつしか彼女のことを考えるのをやめた。
小学四年生になればもう彩夏のことなんて忘れていたし、中学生になって思い出すこともあまりなかった。
再会したのは、今年の初め。高校の入学式だ。校門を潜った私に「もしかして聖?」なんて声をかけてきた彼女の姿に、絶望に似た不安を覚えた。
既に苗字が変わっていた私は、知り合いのいない遠い学校を選んで、新しい私として学校生活を始めようとしたというのに。その矢先、私を恨んでいるかもしれない相手に腕を引かれたのだ。小学生だった頃みたく私に笑顔を向けて、私に『カースト上位のお嬢様』を求めて、彩夏はいつも私の隣にいるようになった。
周りに一目置かれる存在の座右は楽だから、そこにいるだけ。そういうことなのは分かっていた。数ヶ月ほぼ常に行動を共にして、私のことを嫌っている様子はないと思っていた。小学生の頃の噂なんて気にしていない風だった。
今になって思えば、全て私の弱みを探る為だったのだ。
彼氏の写真を絶対に撮ってこいと言った彩夏はもう、私に嫌悪と敵意を覗かせていた。それは、いつから彼女の中に生じていて、どのくらい堪えられていたものだったのだろうか。
私は彼女の牙を、なんとしてでも避けなければいけない。息苦しい教室の中で息衝く為には、真実に見える嘘を作り上げなければいけない。
ハリボテで構わないのだ。他人なんてどうせ、容器の中まではちゃんと覗き込まないのだから。
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