第14話 風前の灯火

 慣れ親しんだ教室のドアが、生徒指導室のそれと同じくらい異質に感じられた。

 もう一度、深呼吸をして気持ちを整える。手順は、ドアを開けて、さり気なく挨拶をして席に向かう。それだけだ。小学生でも余裕だ。

 さり気なく――


「やっはろー!」


 意識し過ぎて、頭の悪そうな挨拶をかましちまった。脳内を浸食するフレーズ、ゆいゆい恐るびっち。

 予想通りというか、アホな挨拶のせいなのか、クラスメイトの視線が集中した。 いきなり失敗したがそこは気にせず、何事もなかったかのように席へと向かおう……あれ? なんか、ちょっと思ってたのと違う。興味津々といった視線よりもこれは、哀れみ? そう、憐憫れんびんの眼差しが注がれているような……。


「おはよー、竹原くん。ぐすっ……」


「光太、おはよ。魔訶般若波羅蜜多心経……」


 えっ、中町さん? 涙ぐんでどうした? 

 なぜか郷田が俺に向かってお経を唱えている。あいつは寺の跡取り息子だ。

 何? 何なのこの反応?


「竹原君、おはよー。大変だとは思うけど、頑張って生き残ってね」


 動揺しまくりなのをひた隠しに席へと着いたところで、そんな風に黒原さん――委員長から声を掛けられた。その瞳にはやはり憐憫の色が滲んでいるんだが、口元には笑みを浮かべているようにも見える。

 しかしどういう事? 俺、頑張らないと生き残れない状況なの? 


「光太、おはよー。なんか凄い話題になってるね」


「おぉ、新司、おはよー。何がそんなに話題になってんだ?」


 とりあえず、すっとぼけておく。正直、どんな話になったらクラスメイトのこのような反応になるのか、サッパリ見当が付かなかった。


「何がって、光太と柏木さんの事だよ」


「へー、どんな?」


「光太が、柏木さんに自分の裸を見せつけただとか」


「へー、そっかー、俺って露出狂なのな」


「柏木さんに裸で色んなポーズをとらせて、それをネタに関係を無理強いしているだとか」


「へー、そっかそっかー……って、俺どんだけなの」


 いやいやいや、思ってた以上に酷いなこれは。誰だよ、捻じ曲げた号外配りやがったの。

 裸を見せつけるとか……俺は色々な部分で慎ましい男の子なんでそんなの無理です。 


「あっ、もちろん僕らはそんな話は信じていないよ。人の噂も四十九日って言うから、それまでの我慢だろうけど。ただ……」


 ありがとな、新司。目から鼻水出そうだわ。

 ちなみに噂は七十五日であって四十九日は法要な。それだと俺、一度死んでから蘇生しないといけない事になるからね。


「ただね、弱みを握られている柏木さんが、噂の執事を動かすんじゃないかって」


 何やら言い淀んだ新司の後を受けて、神妙な面持ちで委員長が続けた。でもやっぱり、その口元は笑みをこらえているように見える。


「えっ、なにその噂の執事って」


「柏木家には裏の仕事を一手に担う悪魔のような執事が存在するって。だから、その……頑張ってね」


「俺、もしかしなくても消される前提になってんの? 『悪魔あくまで執事ですから(キリッ)』とか言われても笑えないんだけど。そもそも弱みなんて握ってないからね、俺は」


「そうなの? でも竹原君が、柏木さんを呼び捨てにしていたって聞いたけど? 下の名前で」


「いやいやいや、名前の呼び捨てくらい仲の良い間柄なら普通にするでしょ。何? みんな弱みを握りあってるわけじゃないよね? それに呼び捨ては星奈が……柏木さんがそう呼べって言ったからだし」


「ふーん、彼女が呼び捨てにねぇ。ちなみにクラスメイトは、男子も女子も【柏木様】って呼ぶのが昔からの通例みたいよ」


「マジかっ、どこのブルジョアだよ」


「なーんだ、どんな弱みを握ったのかと期待して損しちゃった」


 黒原さんや、黒原さんや。心の声が駄々洩れですよ。もう委員長と黒執事さんがどっちも悪魔に思えて仕方がありません。聞こえるように呟き去っていった、そんな委員長の後ろ姿に思わず溜め息を吐き出した。


「光太、大丈夫? 僕に出来る事があったら何でも言ってよね」


「あぁ、もしもの時は骨を拾ってくれ」


 新司が心配そうな顔つきで覗き込んできた。やっぱり親友って良いな。


「かっ、肝心な事を言うの、忘れていたわ、ハァ、ハァ」


「のわぁっ?!」


 去っていったはずの委員長がいつの間にか戻ってきていた。何? そんなにも息切れするほど緊急を要する用事なの? 心臓が止まるかと思ったんですけど。


「片泰君、私はあなたの味方だから。頑張ってねっ」


「え? あ、うん。ありがとう?」


 ん? 何だか知らない内に新司と委員長、二人の距離が縮まってる? GW中に偶然出会う系のイベントでもあったのか? やるじゃないか新司、これは黒原さんルートに乗ってるとみた。


「それと、今日のホームルームの時間に課外授業の班決めするから、目星付けといてね。一班ごとに男の子三人、女の子三人の六人で組むから。それじゃ、よろしくね」


 そう言って委員長は満足そうな笑みを浮かべて離れて行った。息切れしてまで伝えに来るような内容とは思えなかったが、そこは委員長としての強い責任感の表れと思っておこう。


「三人か、新司、一緒に組もうぜ」


「僕なんかで良いの? 光太と一緒になりたいって人たち多そうだけど?」


「あぁ、良いんだよ。昔っからこういう時は、俺は馴染の奴らと組まないって決めてあるからな。それに俺が新司と一緒になりたいんだよ」


「そうなんだ。ありがとう、よろしくね」


「おうよ」


「キャーっ、黒原さん、大丈夫?」


 ん? 委員長がどうかしたのか? 


 声の上がった方へ視線を向けると、鼻と口に手をあてがった委員長が急ぎ足で教室を出ていくところだった。彼女の歩いた後には、点々と赤い滴が花を咲かせていた……ってあれ? デジャヴ? まぁ、女の子たちに任せておけば大丈夫だろう。


「そーなるとあと一人な訳だが……」


 教室をぐるっと見渡し、目的の人物が定位置にいる事を確認する。


「休憩時間はいつも机で突っ伏して寝てるふりをしている、はちまんと書いて八幡やわた君を誘うとしよう。他の奴らは声を掛けないしな」


「どっちも確定事項なんだね……」


「あとは女子のメンバーなんだけどさ、黒原さんたちで良いよな? 俺、頼んどくわ」


「うん、良いよ。任せるね」


 よしよし。これで新司をサポートして委員長との親密度を更に上げさせる。課外授業なら強イベントの発生も期待出来るから、一気にランクアップも狙えるだろう。

 とりあえず今は目先の星奈との事だが、これは黙して語らずで行くとしよう。

 どうせ今日の帰りまでには学校中に広まるだろうし、校内放送で釈明会見する訳にもいかない。 

 こういうのは大抵時間が解決してくれるものだ。放っておけば七十五日どころか、一月もしない内に沈静化するだろう、多分……だよな?

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