第15話 妹物語

【キーンコーンカーンコーン  キーンコーンカーンコーン】


「はい、授業終わります。ちゃんと復習しておくように」


 四限目の授業が終わり、お待ちかねの昼休憩。それまでの憂鬱たる表情を一変させ、教室が一気に華やぐ。

 互いの机をくっ付け、団欒の一時をセッティングする弁当組。話に花を咲かせ、連れだって学食へと向かう面々。

 授業という束縛から解放され、どの顔も屈託のない笑顔を浮かべている。

 

「光太、ごめんね」


「いや、気にするな。さっさと行かないと混んじまうぞ」

 

「うん、それじゃ行ってくるね」


 申し訳なさそうに俺に別れを告げ、新司も教室を出ていった。


「さてと……」

 

 視線を落とした机の上には、弁当の代わりに広げられた真っ白な作文用紙。次の現国でGW前に出されていた課題、いわゆる読書感想文というやつだ。

 提出しないと量を倍にされた上、放課後居残りという厳しい現実が待っている。その存在を完全に忘れていた俺は、貴重な栄養補給の時間を割いて、この課題に向き合う羽目になっていた。

 

 今から本を読み始めたところで、一冊読み終わる前に休憩時間が終わってしまう。そうなると俺の脳内図書館に所蔵されている名作から、それらしく感想を書き記す事になる訳だが――ここは、暦物〇の一択だろう。いかにも文芸ぽいタイトルだ。

 現国の担当は来年には定年を迎える淑女、砂川先生なので流石にバレる事はないだろう。


 偽〇語も捨て難いところではある。初めて読んだのは確か、中学二年の夏休み。元の世界で一人っ子だった俺が、妹という存在にどれだけ憧れたことか。

 妹と喧嘩して一方的に殴られながらも、最後には兄ちゃんに任せると全幅の信頼を得る兄の偉大さ。

 中学三年生の妹をベッドに押し倒し、歯を磨いてあげる兄の献身さ。

 首元の傷を確かめる為に裸にひん剥き、手を拘束して押し倒し、妹に馬乗りになる兄の厳しさ。ついでに退くときにさりげなく胸を揉む兄の優しさ。

 そして、そんな兄の無償の愛に守られて強く、可愛く成長していく妹たち。

 生き生きと描かれた兄妹の絆を、俺がどれだけ羨ましく思ったことか。


 この世界において一月ほどの、それこそ偽りの兄妹ではあるが、俺の妹愛は日に日に深まるばかりだ。

 だから、いかに妹が愛すべきものであるかについて、作文用紙二枚程度に抑えられる自信がない。


 あれは、風鈴の音が心地良く響く昼食の時間。チューブに入ったワサビを器に落とし、麺つゆで溶きながら妹の生産を両親に打診してみた。二人の見せた反応が、つい昨日の事のように脳裏に浮かぶ。

 その気になったのか、鼻を膨らませて母親に熱い視線を送る親父。

 それを無視して、飲んでいた麦茶に浮かぶ氷を何度も箸で沈める母親。

 浮かんでは沈められ、また浮かんでは沈められる氷。母親は、小さくなっていく氷を無言で見つめていた。

 その後、親父がすする蕎麦の音が何とも切なく聞こえて、鼻の奥にツンときたのを覚えている。


 懐かしい思い出と、今なら実現可能な兄妹のスキンシップについて思いを巡らせていたら、いつの間にか作文用紙が妹愛で満たされていた。

 結局、偽〇語についての、というより妹についての感想文になってしまっている。つづり足りない感は否めないが、これはこれで傑作と言える出来なので問題ないだろう。

 解き放たれてしまった己の文才におののき、窓枠によってくり抜かれた景色に向かって溜め息を漏らす。

 晴天に、チョココロネを形作った白い雲が、ぷかりと浮かんでいた。


「あれは星奈? だよな」


 ふと視線を落とした先に、見知った後ろ姿を見つけた。

 青々と茂る若葉が彼女を隠すように作った影に包まれて、一人歩く少女。

 窓枠から半身を乗り出し、声を掛けようとして思いとどまる。

 木漏れ日を受けてきらめく銀髪が幻想的で、樹々の意図に反し、かえって見る者の心を惹きつけていた。

 それを彼女自身が望まなくとも周囲の視線は放っておかない。わざわざ注目を増す行為は控えるべきだろう。

 それに、あっちにあるのは――教室を出て目的の場所へと向かう。おそらく星奈が向かっているであろう場所へ。





「星奈、昼飯はもう食ったのか?」


 思った通り、花壇の前でしゃがみ込んでいた星奈を見つけて声をかけた。

 彼女は見つめていた紫の花から俺へと視線を移し、空を模した様なその青い瞳で見上げてきた。


「光太……どうしてここに?」


「たまたま、星奈が歩いているのを教室から見かけたんだ。多分、ここだろうと思って来てみた」


「そうですか」


 いつもは涼し気な目元を緩ませて、星奈は微笑んだ。

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