第12話 絆

「高校に入ってから、お兄ちゃんと一緒に登校するの初めてだね」


「ん~、俺がいつも時間ギリギリまで寝てるからなぁ」 


「そっ、そうだよねっ、にぃにってば、いっつも美亜が起こすまで寝てるんだもん」


 GW明けの今日は、珍しく早起きしたので妹の美亜と一緒に登校している。普段は遅刻しないようにと全力疾走している道だが、美亜と歩いているからだろうか、同じ景色だというのにまるで違って見える。

 ちなみに外での呼び方は【お兄ちゃん】となる。ただ、動揺したりすると普段の【にぃに】が簡単に顔を出すので付け焼刃もいいところだ。


「なんでいつも二度寝しちゃうんだろ? 目覚まし止めてる記憶が全くないんだよな。大体、ベッドから出ないと止められない場所に置いてあるのに、俺の睡眠欲どんだけ強いのさ」


「だっ、だよねー。いっつも、美亜が気付いたらすぐに鳴り止んでるよっ」


「そうなのか? 毎日のように美亜に面倒かけて悪いな」


「いいよ、いいよっ、もう慣れっこだし」


「なんだか、夫婦みたいだな」


「へっ!?」


「いや、なんか夫婦の会話みたいだなって思ってさ」


「あっ、あぁ、会話ね。そう、会話の事、だよねっ」


 今日の美亜は、長い茶色の髪を耳後ろで結んだサイドポニー、すっぴんに色付きリップを塗った唇がつややかでぷるんとしている。歩いているうちに体が火照ってきたのか、いつもはマシュマロのように白いほっぺが、チークをさしたみたいに薄く色付いている。

 空いてる手で顔を扇いでいるところを見ると、やはり暑くなってきたのだろう。今日は確かに、五月初めにしては日差しが強い気がする。


「でも美亜、俺なんかと一緒に登校して恥ずかしかったりしないのか?」


「なんで? 恥ずかしい事なんてあるわけないじゃん」


「いや、友達にからかわれたりしないのかなって」


「えーっ、美亜の友達ならお兄ちゃんの事知ってるし」


「それに、美亜が超絶ブラコン娘だって事も知ってるか」


「ちょっ!!!!! にっ、にぃにっ?! なんで美亜がブラコンになってるのよっ!! 全然違うしっ」


「ごめん、ごめん、冗談だって。美亜が可愛いから一寸ちょっとからかっただけだよ。でも、そこまで全力で否定されると泣きたくなるぞ」


「もう、にぃになんて知らないっ」

 

 美亜にそっぽを向かれてしまった。表情は見えないが、髪型をサイドポニーにしているおかげで、真っ赤な耳と首筋がバッチリ丸見えだったりする。かなりお怒りのご様子だ。やれやれ。

 いつかは俺も『流石です、お兄様』なんて言ってもらえる日が来るのだろうか。いや、あれは劣等生じゃない劣等生にのみ為せる業だろう。今の俺が使える殲滅魔法といえば、【まて、リアルりあじゅう ぜんいんバーストばくはつしろ!】くらいなもんだ。戦略級魔法師への道のりは険しい。それでも、このまま三十歳になれば魔法使いの称号は得られるのだ……。


「ブラコンだなんて思われたら、彼氏も出来なくなるしな」


「それは……にぃにが思ってるんじゃないの? シスコンって思われたくないって」


「そんな事、俺が思うわけないだろ」


「ふ、ふーん、そう……なんだ」


 目の端で窺うように美亜が俺を見てくる。そのアヒルのように突き出された口元が、ひくひくと脈打っている。ふっ、信じられないって顔だな。ならばここに断言しよう。


「兄が妹を愛して何が悪い」


「にぃに?! ちょっとっ、いきなり何言いだすのよ!」


「「「!!!!!!」」」


 前を歩いていた女生徒三人が一斉に振り返り、一様に何とも言えない眼差しを向けてきた。小学生の時、気になっていた女の子の誕生日に、セミの抜け殻をプレゼントした時に向けられたのと同じ目だ。あの時の、なんだか居た堪れない気持ちが甦ってきた。


「ま、まぁ、でもあれだ。彼氏が出来たら紹介しろよ? 兄として、俺よりも美亜を守るのに相応しい男じゃなきゃ認めてやらんがな」


「なにそれ……そんな条件じゃ、美亜、ずっとお一人様決定じゃん」


「そんな事ないだろ。仮にそうなったとしたら、俺が一生守ってやるから安心しろ」


「一生っ?!」


「あぁ、ずっとだ」


 また美亜がそっぽを向いてしまった。流石に頑固親父みたいな事を言う兄に愛想をつかしたか。仕方がない。美亜が連れてきた男なら、少しくらい目つきの悪い奴でも大目に見てやるとしよう。

 そんなやり取りをしていたら、正門へと続く我が校の名物? 心臓破りの坂が見えてきた。別名、神風の吹く坂。由来は語るまでもないだろう。

 

 ここまで来ると周りはうちの学校の生徒で溢れ賑やかなものだ。ただその賑やかさが、今日は少しばかり異なった雰囲気を醸し出している。挨拶や笑い声が飛び交う和気あいあいといった感じではなく、どことなく困惑や好奇といった類の感情が渦巻いているような、そんな装いを見せていた。

 生徒たちの流れもいつもの雑然としたものでなく、ある一点を全員が遠巻きにするようにして流れていく。その振り返る顔の多さが、誰もが抑えきれない好奇心に、うずうずしているといった心境を如実に物語っていた。


「あれ? にぃに、あそこにいるのって……もしかして柏木先輩? いえ、星奈お姉さまじゃなくって?」


 星奈お姉さま? なんだその呼び方は。いつから二人は姉妹だったんだ。

 ついでに、言葉遣いがおかしくなっていましてよ。挨拶はやはり『ごきげんよう』なのだろうか。


「あぁ、そうだな」


 坂の手前で、この時期にしては強い陽射しと好奇の視線にさらされて、美少女が一人佇んでいた。風に揺られて踊る銀髪がきらきらと光に反射して、そこだけ幻想的な空間を作り上げている。ただ惜しむらくは、深海を思わせる神秘的なその瞳は閉じられていた。


「どうしよっ、前を通るの緊張しちゃう。にぃに、こっちと換わって」


「俺は歩く電柱じゃないんだが?」


 俺に隠れるようにして星奈の様子を覗き見る美亜。立派なストーカーに育ったものだ。

 それと美亜、腕を組むのは良いんだが、その、胸が当たっているんですが。色んな面で妹の成長を実感させられてしまったが、ここは素直に喜ぶべきなのだろう。もちろん、兄として、一人の紳士として。

 そのまま星奈の前に通りかかった俺に抑揚のない声が掛けられた。


「ごきげんよう、光太」

 

「ごきげんよう……星奈」


 そっかー、やっぱお嬢様の挨拶は『ごきげんよう』なんだなぁ……などと遠い目をして、俺が現実逃避に走ってしまったのも仕方のないことだ。

 俺を――正確には、美亜の胸を押し付けられている俺の腕を、星奈の瞳がフォーカスしている。目が笑っていない笑顔。実際に目にするのは初めてだが、何とも形容しがたいプレッシャーが半端ない。

 それに加えて絶対零度の声音。今の『ごきげんよう』は出会った挨拶のはずだが、どうにも今生の別れを告げる『ごきげんよう』として言い放たれた気がしてならない。

 続く言葉を繰り出せず、固まってしまった俺を周りの連中まで動きを止めて凝視していた。誰だ? 時間を止めるスタ〇ドを出しやがったのは。お前ら、遅刻するぞ。


「にぃに?」


 美亜が心配そうな表情で俺と星奈を見ている。安心しろ、さっき俺が守ってやるって言っただろ? 俺と美亜の絆は――誰にも引き裂けないっ!


「星奈お姉さまに何したの?」


 当の本人である美亜から、バッサリと首を斬り飛ばされた。泣きたい。

 美亜……おまえもこの窮状を招くのに、現在進行形で一役買ってるんですが? 

 俺への信頼度が、そして血は水よりも薄いという悲しい現実を、切実に思い知らされた瞬間だった。

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