ミジンコの俺がラスボス級悪役お嬢様とベストエンドを迎える方法

第9話 ハイスコアガール

「……ぃに、にぃに、そろそろ起きないと朝ご飯、食べる時間なくなっちゃうよっ」

　体を揺すられ、頭がぼーっとした半覚醒状態で目を開ける。すでに制服に着替えた美亜が、だらしない兄に向かって頬を膨らませていた。

「ん、あぁ、もうそんな時間か。おはよう、美亜」

「もう、にぃにの分のぷにっと肉まん、用意しておいたから食べてよねっ」

　世話が焼けるとばかりに勢いよくカーテンを開ける美亜。暖かそうな陽射しを浴びて気持ち良さそうに伸びをしている。なんだろう、やっぱり俺の嫁？　な気がする。

「美亜は将来、良い奥さんになれるな。出来る事なら俺が貰いたいくらいだよ」

「ふぇ?!　なっ、なななっ、何を朝から変な事言い出すのよっ！」

　変な事か？　本当にそう思ったから言ったんだけどな。美亜が真っ赤な顔で睨みつけている。むくれた顔も可愛いけど、これ以上は止しておこう。

「すまん、すまん、冗談だ。しかし、おかしいなぁ、目覚ましかけたはずなんだけど」

「むぅ。目覚まし時計なら鳴る前にっ、じゃなくって……えーっと、ちゃ、ちゃんと鳴ってたよっ！　にっ、にぃにが止めたんじゃないの？　美亜、もう行くからねっ」

　何を焦っているんだろう？　そんなに慌てて行ったら危ないぞ。

「あぁ、いってらっしゃい。車に気を付けてな」

「……もう、小学生じゃないんですけど？」

　部屋から出て顔が見えなくなる直前、美亜が目の下を指で押さえ、可愛くちろっと舌を出して見せた。なにあの可愛い生き物。やはり妹を嫁に出来ないのは間違っている。

　さて、今日も一日、お助けキャラとして頑張りますか。

　☆　

　午前中は、何事もなく終わった。合間の短い休憩時間は、自然と集まる奴らと談笑して過ごした。もちろん新司も一緒だ。何てことない雑談だったが、久しぶりの雰囲気を俺も楽しんでいた。そうして迎えた昼休憩。

「新司、昼めしはどうするんだ？」

「今日は食堂でパンでも買って食べようかと。光太は？」

「そんじゃ、俺もパンにすっかな。行こうぜ」

「あ、その前にトイレに寄っていいかな？」

「おうよ」

　☆

「なんだ？　今日は一段と込み合ってるな」

「ごめん、僕がトイレに寄ったせいで出遅れちゃったね」

「いや、気にするな」

　そうは言ったものの、購買にはパンを買い求める生徒たちが波のように押し寄せて溢れかえり――さながら人の海が出来上がっていた。

　成長期真っ只中の胃袋を満たすには、この大海を潜り抜けなければならない。高校生も日々戦っているのだ。

「しかしこれは、どうしたものかな」

　思わず呟いた俺の言葉に反応したのか、一人の生徒が振り返った。つられる様にもう一人、それにつられて更にもう一人。そこまでいくと、後はドミノ倒しを見ているかのようだった。

　一人を起点にその波が広がり、そして――海が割れていく。おぉ、これはモーゼの十戒で有名なあれか。俺は今、神の力を得た。

　なんてアホな事を考えていたら、誰かが横を通り過ぎていった。

　背中まで届く奇麗なプラチナブロンド。鼻をくすぐる甘い匂いを残して、その少女は割れた海の真ん中をさも当然のように歩いていく。

　購買のおばちゃんとやり取りした少女は振り返ると、元来た道を辿るように歩いてきた。戦利品である紙袋を腕に抱えて。

　その様子をじっと見続けていた俺の視線が気に障ったのか、横に並びかける前に少女が立ち止まった。涼し気な青い瞳は正面を向いたままだ。

「何か？」

　少女の口から発せられた一言は、冷淡で刺さるような声音をしていた。同時に横目で送られた視線もまた、無機質な冷たさを感じさせる。

「いや、悪い。じっと見すぎたな」

　俺の謝罪の言葉を受けて、その少女は小さな溜め息を吐き出した。

「慣れているとはいえ、あまりにも露骨な視線は不快です」

「だろうな。あんまりにも奇麗なんで、つい見とれちまった。悪かったな」

「……ほんと、露骨な人ですね」

　少女はそう言い残すと、何事もなかったかのように歩き出した。

　割れたままの海がさざ波を立てる中、俺は何食わぬ顔で購買に進み、要件を告げる。

「おばちゃん、焼きそばパンとコロッケパン、あと苺牛乳」

「あいよ、三四〇円ね」

「新司、何やってんだ？　さっさと来て選べ」

「えっ、いいの……かな？」

「いいんだよ、空けてくれてるんだから」

　新司も無事昼食を確保したので、俺たちは教室へと戻って食べることにした。このまま周りの視線に晒されながら食堂で食うのも、あまり気分の良いもんじゃない。

　その道すがら、俺は袋から取り出した苺牛乳を見て片眉を上げる。いつもはノーマル牛乳派の俺が、苺牛乳を買っていた。どうやら彼女の匂いに感化されていたようだ。

　彼女の名前は――【柏木（かしわぎ）　星奈（せな）】。俺と同じく二年生。学業優秀、学年順位で一番上に名前があるのが当たり前。それは二年になった今年も変わらないだろう。そう思わされるくらい圧倒的な差がある。そんな訳で、この学年では二位こそが凡人の立つことが許される最高峰。ちなみに俺は四二〇人中三〇位くらいらしい。

　運動神経抜群、こちらも去年の体育祭や球技大会で実証済み。専門にやってるスポーツ特待生が自信を無くすので程々にしてあげてほしい。

　ロシア人の母親と日本人の父親のハーフで銀髪碧眼。色んな形容詞で飾る事も出来るが、一言で十分だろう。美少女、そしてスタイルも抜群ときている。

　ここまででも黒原さんの完全上位互換、おまけにこの学校の理事長の一人娘だったりもする――なんだこの設定は。

　元の世界で見た、エロゲーのセリフを音読させられる美少女ヒロイン（肉）を連想させる。こんなキャラ、【アマガミッ！】には存在しなかったはず。しかも、主人公と攻略対象の恋路に立ちはだかるベストエンドクラッシャー？　なにそれ、ラスボスじゃん。いや、彼女は攻略対象じゃないから、この場合は【刺客】とでも言うべきか。

「さっきの女の人。凄く奇麗な人だったね」

　コロッケパンに齧（かじ）りついたまま、柏木の事を考えていたら新司が声をかけてきた。

「さっきの？　柏木の事か。あれ、俺たちと同学年だぞ」

「へー、そうなんだ。大人っぽいから上級生かと思ってたよ」

「柏木　星奈、この学校の超有名人。理事長の娘でいわゆる高嶺の花ってやつだな」

「そのわりに彼女、一人でパンを買いに来てたね。お嬢様ならさ、お抱えシェフが作ったお弁当を持って来てたりしそうじゃない？　豪勢な重箱でさ」

「それどこのか〇やさんだよ。なんにしろ、奇麗なバラには棘があるってやつだ。機嫌を損ねた生徒の父親が国外の農園に転勤させられたとか、本人は性転換させられたとか」

「えっ、それ冗談だよね？　光太」

「さぁな」

　とにかく、ゲームをクリアに導く上で【柏木　星奈】が要注意人物なのはわかっている。超ド級ハイスペックな彼女に対して、俺たちに勝ち目はあるんだろうか？　

「新司、あご」

「へっ？」

「あごにジャムついてんぞ。小学生かよ」

　やれやれ、世話の焼ける主人公なこった。当然、こいつからは柏木を遠ざけたいところだが、彼女の役割上、新司の邪魔をしに来る事は確定事項だ。いずれ、対峙してもらわなければならない場面もあるだろう。

　先が思いやられる相棒に心の中で溜め息しつつ、あごに付いているジャムを取ってやる。

「ありがとう、なんか小学生の頃もよく世話を焼かれていた気がするよ」

「そうか？」

『チロリロリン』

　……いや、そっちは上がり過ぎても困るんだが。

「キャーっ、黒原さん、大丈夫？」

　ん？　黒原さんがどうかしたのか？　悲鳴の上がった方へと視線を向けると、鼻と口に手をあてがった黒原さんが急ぎ足で教室を出ていくところだった。彼女の歩いた後には、点々と赤い滴が花を咲かせていた。

　なんだ？　むせてトマトジュースでも吹き出しちゃったのか？　黒原さんにしては珍しいな。友達が急に変顔でもして見せたのだろうか。

「腹がふくれたからか眠いな」

「だねー、午後からの授業が大変そう」

　大変そう、か。確かにな。だけど今は、あれこれ考えても仕方がない。

　あれと一緒だな。騒がしい昼休憩も終わりが近付く中、空に浮かぶ雲を眺める。

　俺は目を瞑って、チャイムが鳴るまでの一時を、心穏やかに過ごす事にした。