第48話 独りじゃない

 俺は今、ヨダの前にひとりで立っている。

 全てを失った男として。






 ヨダは俺が立ち上がったことに驚き、距離を取って様子を見ている。



 さっきまで足蹴にされ、顔まで踏みつけられ。

 それでも今、こうして立って向かい合っている。



 どうしてもう一度、立ち上がれるかわかるか?

 何度同じことを言われても、なぜまた平然と立っていられるかわかるか、ヨダ?



 お前は俺がここまで独りでやってきたと考えている。

 皆を失って孤独にさいなまれていると決め付けている。

 そうさ、寂しいよ、悲しいよ。

 でもな。


 ヨダは堂々とする俺の態度に焦りを覚え、額に汗を浮かべ、それでもゆっくりと言葉を発する。




「ベル。勘違いしてもらっては困る。私の悪意はエッセンスさ。君のせいでほかの人間は死んだんだ」


「……。(ワインがおいしくないんでー。僕は僕の落とし前をつけますー)」



 俺は真っ直ぐにヨダを見る。

 ヨダはゆっくりと続ける。




「考えてみろ。お前のせいで無関係な人が巻き込まれた」


「……。(いい酒だから飲んどけ。お前は悪い魔王じゃねえからな)」




「お前が何かすると誰か死ぬんだぞ?」


「……。(君にできることはなんだい。僕は自分で選んだ)(私にはこれしかできないから。でも、あなたに会えたから)」




 俺は見続ける。

 ヨダは続ける。ゆっくりと口の端をふるえさせながら。




「今まで何度裏切られた? 同じことを何度繰り返せは気が済む?」


「……。(助けにきてくださっただけで、うれしかったですの)」




「人間なんて悪意の塊さ。本質が私のようなものなんだぞ? どうしてそんな顔をしていられる?」


「……。(私は子爵家のエマだ。いろいろあるが、剣聖として誇りをもって君を守る。これからよろしく)(ヨランダっす。孤児院の子供達を楽に食わせていけるだけの平和な世の中にするっすよ、なんてね)」




 一歩踏み出す。

 ヨダはガタリと音をたて椅子から立ち上がった。

 次の瞬間には、ヨダは椅子に腰掛けている。

 ヨダは怯えた表情をする。

 時間を止めているのに、時間を巻き戻しているのに。

 どうして私は椅子に座っているのだろう?

 そんな顔をしているな。

 俺はヨダの顔をじっと見つめ、一歩ずつヨダの元へと近づいていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。




「くっ……来るな。死ね!! 早く死ね! お前が救われる方法は私しか与えることが出来ないんだぞ?」


「……。(俺っち約束するぜ。助けてもらった命、ぜってぇ無駄には使わねえです)」




「今も苦しんだり、死んでいる人間がいる。こんな世の中が嫌だから、消えてしまいたいから勇者と魔王を始めたんだろう?」


「……。(ぜーんぶ倒してもらったのじゃ。私様が殺すはずだった奴らをの。じゃから、もういいのじゃ)」




「一度悪意を受けた人間は決してそれを忘れない。だから善意は悪意に勝つことなどありえないんだぞ? 生き続けるお前には地獄だろう?」


「……。(もうたくさん愛(ころ)させてもらいましたからねぇ。指きり、まもれましたぁ)」




 ヨダは怯えた表情で、

【最大回復魔法(リザレクション)・手刀翼(スライスウインド)】を発動させた。

 白い手が俺の眼前に迫る。

 俺はそんなヨダの羽を、一瞥もせずにかわしてみせる。

 ミカエラの翼と違って、全然弱いな。話にならない。

 無限に生み出せる有利性を忘れ、ヨダは口をあんぐり開けながら後ずさる。

 馬鹿野郎が。自分を傷つけながら迫ってきていたミカエラの羽とお前のが同じ威力なわけないだろ?

 俺は一歩ずつ、ゆっくりと近づく。

 ヨダは震え、早口になりながらも言葉を紡ごうとする。




「お、お前の両親は残念だったなぁ。お前はそんなにも強い力をもってして、両親を不注意で死なせてしまった。両親も恨んでいるぞ? 勝手に自分達としての子として生まれて、そして殺される時すら守ってもらえず」


「……。(君は僕たちの子だ。だから戦いから守ろうとしたんだよ)(どんな子でも、お腹を痛めて産んだら私の愛しい息子なんだよ)」




「……何故何も言わない。何故、何も反論しない? これだけ言われて、どうして貴様は何も言わず私をそんな純真な目で見つめているんだベル!? おかしいじゃないか。皆、絶望にやられて紫水晶などくだらぬ存在に簡単に虜になってしまう。ちょっと拡散させれば、こんなにも世界は崩壊してしまう。悪意と絶望にまみれた、地獄のような世界なんだぞ? いいかい。人間はいつか死ぬから耐えられる。君はもう限界だろう?」


「……。(僕なんかを覚えてくれていて嬉しいよベル。……うれしかった。絶望できなかったよ。君の勝ちさ)」 


 


 ヨダは椅子ごと後ろに転げ落ちる。

 しかし、次の瞬間には元の姿勢へと戻っている。

 焦って、椅子ごと時間をまき戻しどこかへ逃げようとする。

 しかしできないことに気がつき、呼吸が荒くなる。

 出来ないなどありえない。

 宝珠は二つとも飲み込んでいる。

 だから、自分がこの世で一番優れている。

 ヨダは絶望で時間を操り、【最大回復魔法リザレクション】を愛の力で自由自在に操れるはずなのだ。

 無敵の悪意になったはずなのだ。

 ……もはや表情からそんな感情が透けてみえる。

 自分で言っていたのに。悪意とは、銅貨一枚を盗み取るぐらいのものだって。

 矛盾してるよね、ヨダおじさん?

 あなたはみんなからそれ以上のものを奪ってしまった。

 俺はゆっくりとまた一歩、足を進める。




「ひぃ……な、なんだお前。どうして時間が操作できない……ありえない。宝珠は私の体内にあるし、力の源はあの宝珠なのだからこれ以上の力がこの世の中にあるはずがない!!」


「……」




「お前は人間になれるんだぞ? 今のお前は人間じゃない。このまま私を傷つけるようなことがあれば、お前はもう人間になれるチャンスを棒に振るんだ。ははは。それは嫌だろうベル? 死ぬことが人間の目的なんだ。それは理解できるだろう?」


「……。(ベルヌ様と出会えて、私は幸せでした。身体はモノでも私は人間です。あなたとの時間が、証が、すべてが私。だから、消えてしまっても私は生きている)」




「魔人は嫌だろう? ひとりぼっちは嫌だろう? 私は味方だぞ!? 考えてみたまえ。これからも孤独を過ごすのか? ずっとずっとひとりぼっちの孤独を過ごすのか?」


「……。(ずっと、あなたがだいすき。せなか、あったかいよ)」





 ゆっくりとヨダに近づく。

 やがてその恐怖に耐え切れなくなったのか、ヨダはガタガタと椅子の上で震えだした。

 私は全てのカードを持っていたはずなのに、どうして何のカードも持たぬ目の前のガキは悟ったような表情で向かってくる?

 そう考えてるだろうな。ヨダおじさん。

 俺はゆっくりと口を開いた。


「近づかないと、俺の能力じゃ救えないんでね」


「は、はは。私を殺すのか? 私は誰も殺してないんだぞ? 君のお得意【ワールドマジック】で、私の命を奪うのか……それはかなり純粋な【悪意】だな、ベル!?」


「いいや」


 俺は身に着けた漆黒のローブを開く。

 ローブに隠された俺の体を見たヨダは、驚きの声をあげた。


「【絶望の聖剣】だと……馬鹿な。それはクロードにしか使えないはずだぞ? だってそうだろう? 絶望している人間にしか使用できない剣だ。それも、【絶望宝珠】の副産物にすぎないものだ。まさかそれを使って!?」


「ああ」


 【絶望の聖剣】は俺の胸に深く突き刺さっている。

 いつ死んでもおかしく無い状態だ。

 だが、ミカエラが最後に掛けてくれたリザレクション・愛刀のお陰で痛みは感じない。

 かろうじて生きている状態だ。


「な、なんだ!? その行為になんの意味があるんだ? 自殺か? だったら、どうして死んでいない? どうして平気で立っていられるんだ?」


「平気じゃないさ。俺の命達は今も絶望を続けている」


 聖剣は俺の体を貫いている。

 クロードなら、単独で時を止め、巻き戻すほどの絶望を発現してみせた【絶望の聖剣】。

 どうやら俺が使うとなると、ひとつの命じゃ絶望が全然足りないみたいだ。

 なら、無限に転生する俺の命、全ての絶望を吸わせる。



 【自分だけの現実】――ワールドマジックに指示した。

 転生するものを含め、俺の全ての命を絶望させろ、と。

 自分には効果を及ぼせないため、クロードの【絶望の聖剣】にその効果を付与し、自らの体に突き刺した。

 なんとかここまで意識をもっていられるのはミカエラのお陰が大きいな。

 ありがとうミカエラ。

 ありがとう、みんな。

 全てを賭け、希望を託しながら絶望したのだ。

 だから、この剣の能力は発現した。





 【時を操る能力】×【∞の絶望】





 残り全ての命を引き換えに、膨大な希望の絶望を引き出す。


 だけど、これは死ではない。

 俺はゆっくりとヨダに対し言った。


「希望をもって死ねと言ったな。俺は希望をもって絶望することにしたよ。愛に包まれながらね。人間だから、いろんな感情、仲間に助けられてここまでやってこれた。あなたはどうかな? 俺が、ここに独りで立っているように見えるかい?」


「くっ……馬鹿が!! 結局は私が言った通りの結末に近づくんだぞベル? そんなことをしても無駄だ! さっさと私に力を渡しなさい!」



「ヨダおじさん。

 生まれた意味は死ぬことって言ったけど、なぜ、あなたが他人の意味を決めるの?

 俺は俺の生まれた意味を、自分の胸に手をあてて考えていく。

 死は結果であって、目的でも意味でもないよ。

 背中を押してくれる人がたくさんいる。

 悪意は数が多い。でも、善意だって密度は濃いんだ。

 それを忘れて、自分の世界を限りあるものにしたら面白くないでしょ?


 人間だから。なんだって、できるんだから!」



「うるさい!! しね! しねっ!!」


「ところで、ヨダおじさん。はい、お水」




「あ…………?」








 星が巡る。

 数え切れないほどの回転と瞬きを繰り返し、驚くべき速度で巡った星たちは再び夜空を駆ける。

 観測者は誰もいない。

 だた二人を除き、この光景を観測できる者はこの世界に存在しえない。

 多くの悲しみと共に、喜びも忘れ去られてしまう。

 それはすこし寂しい。

 しかし、彼は決して途中で止めなかった。

 元凶である男を、能力の効果範囲へと収めながら長い道のりを旅する。






 やがて、ある晴れた日の、平和な村へとたどりつく。

 農作業にいそしむ村人たちは、せっせと汗を流している。


 ヨダはこんな糞のような村は嫌いだった。

 計画のため、紛れ込んだ糞ココ村。

 肥溜め以下の平和村人たちにもへこへこしながら、悪意を醸造している最中だ。

 大きくなったら速攻で手を出してみたい可愛らしいミカエラという少女と、クロードという実の子と思い込ませた従順な子供。また、期待しか感じないベルという素晴らしき素材。

 こいつらには期待している。

 そういう楽しみがないと、こんな村にはいられない。

 農作業もただのアピールだ。真面目にやってない。

 生えてきた農作物なんか遠くに運んで地面にポイだよボケが。

 なんで私が農業をしなければならん。私がするべき職業は神。悪意の神だ。

 金なんか盗めばいいんだよ。

 馬鹿な商人なんて腐るほどいる。騙せばいい。

 そこそこの金持ちだったら金貨数枚程度なら恨まれない。

 ベルは可愛い奴で、勇者と魔王とやらの話を企てている。

 馬鹿でちゅね。面白すぎ。

 後で全部ひっくり返された時の泣き顔を見るのが楽しみで興奮する。

 おじさん、わくわくするぞ?

 すると、可愛い可愛いベルがやってきた。

 アホ顔引っさげて水の入ったグラスを持ってきたみたいだ。

 やっさしいねぇ。私に飲ませてくれるのか?


「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?」


「うん」


「…………は?」

 

 なんか違う気がする。

 こういう受け答えを前にもしたか?

 初めてのはずだが、違和感を感じる。

 ヨダは冷たい水を喉に流し込みながら、拭いきれぬ違和感を感じていた。


「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?」


「まあね」


「……なんだと?」


 私は冷たい水を喉に流し込む。

 待て。

 私はもう、喉は渇いていない?

 こんな炎天下で先程から農作業をしているのに。

 もう喉が渇いていないどころか、腹がタプタプになっている気が……。


「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?」


「そうだよ」


「ま、まて!! いったい……」


 ゴクゴクと喉を鳴らして流し込む冷たい水は、ウボェ。

 ちょっと待て。どうしてこんなに腹が……。

 苦しい。もう飲めないんだが?

 おかしくないか?

 今日、水を飲むのはこれが初めてのはずなんだが?


「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?」


「善意で教えるけど、死ぬときに一番苦しいのって窒息なんだって」


「な、なんだそれ……」


 ガホォ……な、んだ!?

 喉から水が溢れている!?

 どうして……く、くるしい。

 息ができない。

 くるしい、くるしいくるしい。

 たすけろ村人。

 そんなところで農作業やってんじゃねえぞぼけ。

 しぬ、しぬ。おぼれる。


「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「がぼげぼがぼ!?!?(おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?)」


「善意で教えるけど、この空間でヨダおじさんは死ぬことはないから。まさに神だね」


「がはげほごほ……(たすけたしゅけ)」


 ヨダの意識はそれでもはっきりしていた。

 思い出した。そうか、私はここまで連れて来られたのか。

 未来から過去へ。

 意識だけを残したまま、過去の体へと連れ戻されたのか。

 なんという希望のベル

 鳴らなくなったはずの壊れたベルヌのような少年が、ここまでの力を手にしたのか!?

 ブルブルと体が震え、糞尿を垂流し、心臓がバクバクと打つ。

 いつかこの苦しみから解放される。

 そうした希望を抱き、頭が焼ききれるほどの苦しみに耐える。

 水を飲む姿勢のまま、死の苦しみの直前で一時停止されたような状態。

 ヨダは涙を流しながら、少年の到着を待つ。

 許しを請うためだ。

 心から謝れば、あの優しい少年なら希望をもって善意で接してくれるはずだ。

 ……お人よしで馬鹿だからなぁ。

 

「はい、ヨダおじさん。お水だよ?」


「がぼがぼげぼぉ!?!?(おお、ベル。君は気が利くな。とても冷えている。魔法でも使ったのかい?)」


「善意で教えるけど、俺はもう【絶望の聖剣】を折ってこのループから出てるからこれは時間の残像みたいなものだから。だから、ヨダおじさんは俺の残像と永遠に一緒だよ? 星が砕けても、宇宙が終わってもずーっと俺の残像と一緒だよ。ちなみに、ここがループ地点だからまた最初からね」


「ごぼぉがぼあぼぁあはぁほああ!?!?(嫌だぁああああ!? ゆるして、ゆるしてくださいぃぃぃい)」



 んっぎぃぃぃぃ苦しいよぉぉぉおお!?

 だすけてベルさんんんんんん。

 ゆるしてくだざぃいいいい。

 ぎぃぃいぃいぃぃいぃぃぃ。

 くるじいよぉおぉぉおぉぉ。

 悪意の根元は時間のハザマで、豚のような鳴き声を響かせ続けた。

 善意でとある少年の残像はそれに永遠に付き合う形になったが、正直とても優しすぎると彼は思っている。

 残像が可哀想である。

(だじゅげでぼごぼぉべるざんんんんぅ)

 ココ村の畑、ヨダの持っていた土地の一角はその後、やたら人気がなくなって誰も耕さなくなる。

 どうしてか豚の断末魔のような悲鳴が聞こえてくる気がすると、村人たちが噂するのだ。

 時間のハザマは誰も干渉できず永遠に出ることも終わることもない空間なのに、そんな噂が流れるなんてまるで悪意があるなあ。

 とある少年はその噂が耳に入ったとき、やれやれと溜息をひとつ吐いたらしい。


………………。

…………。

……。













 ――パキッ。


 胸にあった首飾りにヒビが入り、俺は耕していた畑に寝転がっていることに気がついた。

 身体は歳相応に縮んでいる。

 土臭く、太陽が照りつけ、あの頃の匂いがする。

 田舎特有の平和で、懐かしくて、涙が出そうになるようなあの香りだ。


「生きてる?」


 どうやら、最後まで俺はアリスに助けられたらしい。

 アリスがくれた首飾り。

 俺との【調節】の想いが凝縮された小石ほどの宝石は、アリスと俺の感情と記憶が圧縮されていた。 

 【絶望の聖剣】には俺の命全てを与えたにも関わらず、ひとつ分、この首飾りの宝石が肩代わりしてくれたらしい。

 だから俺はたったひとつの命をここにつなぎとめ、留まることができたみたいだ。

 まるで奇跡みたいだな。

 いや、はっきり言おう。

 アリスがくれた奇跡だ。


「は、はは……」


「ベルくん?」


 声がした。

 透き通った鈴のような音色。

 俺の大切な大切な存在。

 天使の微笑み。

 俺は飛び起きた。まさに、彼女がそこにいた。

 幼い姿ではあったが、彼女は俺に微笑んでくれていた。


「ミカエラ!?」


「ベルくんどうしたの? 畑の中で寝転んだら泥だらけだよ?」


「生きてる!? 今、何歳だミカエラ!?」


「いきてる? えっと、じゅうにさい? だけど。 ベルくんどうしたの? なんか、クロードが呼んでたよ? 剣術の稽古を始めようって」


「生きてる……ミカエラっ!!」


 俺は目の前の天使を思わず抱き締めていた。

 何が起こったかわからず、ミカエラは両腕をパタパタと鳥のように動かしながら慌てている。

 それでも俺はぎゅっと抱き締める。

 強く、強く抱き締める。

 もう二度と離したくない。


「ふあぁぁぁあ!? べ、べるくんどうしたの? いきなりぎゅって……はずかしいよ、ふうぅぅ」


「好きだ」


「え……ベルくん」


「愛してるんだ」


「……はい。わたしも、ベルくんが大好き。愛してる」


 顔を真っ赤にして動揺していたミカエラは、俺の言葉を一字一句聞き逃さないように真剣な眼差しで見つめてくる。

 いつだって彼女は本気だった。

 もう一度機会があるなら、今度は絶対俺の方から。

 だけど緊張してしまうのは俺の方かもな。

 想いをつたえ、あとは何をしていいかわからず、抱きしめる。

 そしてお互いに見つめあい……。


 ――キスをした。


 甘く切ない味がした。たぶんミカエラが飲んでいた紅茶の味かもしれない。

 そんなことを言ったら無粋だな。

 柔らかく、純真な唇と触れ合う。

 しかしまるでお互いを求めあうような大人のキスだった。

 俺はこれからのことを知っているけど、ミカエラは知らない。

 だけどミカエラはそんな俺の想いが乗った口付けにも容易に答えてくれる。

 改めて愛の重さを実感し尊敬の念を感じる。

 っていうか、とろけさせるつもりが逆に……。


「ベルくん。すき」


「はぁ、はぁ。ミカエラ。キス初めてなんだよな?」


「初めてだよ? ベルくんは?」


「は、ハジメテダヨ」


「そーなんだ。もっかいしよ!」


「まって……ちょっと腰が立たなく……んーっ!?!?」


 恐ろしい将来の片鱗を見せるミカエラ。

 俺は腰を立たなくされ、ミカエラに口元をべたべたにされていいようにやられてしまった。

 やっぱ強すぎる。

 ミカエラだけは敵にまわしてはいけないと俺は知っている。


 俺とミカエラがやってこないことにしびれを切らしたクロードは、畑の中でじゃれあう俺たちを見つけ憤慨した。


「ベル!! ミカエラ!! 何をやっているんだ。離れろ」


「クロード……」


 クロードも普通に生きてる。

 疲れきった顔ではなく、生気のある仏頂面だ。今は怒りと嫉妬で顔を真っ赤に燃やしているが。

 クロードは切れ長の瞳をピクピクさせ、俺をミカエラから離そうとする。


「ベル。ミカエラに抱きつくのをやめろ」


「クロード。お願いがある」


「な、なんだ? 僕にも抱きつくのか……?」



 期待をこめた瞳で俺を見つめてくるクロード。



「一発殴らせろ!!」


「ぐっ!?!? どうして!? 僕、何もやってないじゃないか?」


「あはは! うるさい。俺を倒せたら勝利の抱擁でもさせてやるよ」


「……言ったな? 約束だぞ?」


「あの、ベルくん。クロード。喧嘩しないで……」


 楽しい。

 三人でまた笑いあえるのがこんなにも楽しい。

 よかった。

 本当に嬉しい。

 やった。

 やり遂げた。


 全てを失った俺は、巨大な悪意に立ち向かった。

 皆の助けを借り、俺はどうやら全てを手に入れることが可能な位置に戻ってこれたらしい。

 失ったものは、【転生】つまりは無限の命。

 考えようによっては、それもまた喪失ではなく取得だ。

 今、死ぬことが恐ろしく怖い。

 前から怖かったが、情けないことに今、もっともっと恐ろしい。

 でも、それは当たり前。

 たった一つの命になるということが、こんなにも価値あることだったとは。

 人間であることがこんなにも素晴らしく泥臭いとは。


「ベルくんすき!」


「俺も好きだミカエラ」


「僕は? 僕は好きかベル?」


「お前は普通だクロード」


「なんでだぁぁああ!?」

 

 いや、当たり前だろクロード。




 やがて、ヨダがいなくなったことが騒ぎになり始める。

 こればっかりは仕方のないことだ。

 屋敷に戻り、父親がいなくなってしまい不安がっているクロード。

 想いを伝えることができたミカエラ。


 ――俺は二人を、ある場所へと呼び出した。


 

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