第43話 クロード
アリスは満たされていた。
生まれたことに感謝していた。
安心して眠る彼の頭を優しく撫でていたアリスは、幸せな微笑みを浮かべていた。
すっかり疲れ果て、夢の世界へと旅立った彼はもう大丈夫だろう。
あとは……。
もう一度だけ、眠っている彼の唇にキスをした。
もう一度だけ、もう一度だけ、もう一度……。
決して起こさぬように、何度も愛を伝えたアリスは。
「――――来ましたか」
やってきた者たちを向かえるため、静かに小屋の扉を開け、外へと繰り出す。
山の安定しない気候のため天気が崩れてきた。
しっとり濡れる足元の落ち葉を踏みしめ、闇に飲まれ小雨の中を歩き出す。
――ピシッ
アリスの美しい右手にヒビが入る。
構わず、先へと進む。
――ピシッ
顔にヒビが入る。
崩れ落ちる。
半分が仮面のように剥げ落ち、地面へと落ちて崩れさった。
美しいアリスの顔は砕け散る。
――ガシャ
アリスは自らの下腹部を抑える。
渦を巻くような虚空の破壊衝動が暴走している。
ミカエラの【
その影響ははかりしれない。
なんという、人間の想いの強さ。
なんという、残酷なまでの愛情。
理屈を超えた働きでアリスの身体を破壊しようとするミカエラの想いに、アリスは改めて人間に畏怖と畏敬を覚える。
だけど。
だけど、私だって理屈を超えている。
限界など、とっくに過ぎている。
強い想いを託されている。
私にだって、愛し愛された証がある。
左手にある指輪を見つめ、アリスは身体を引き摺るように歩き続けた。
存在を許されぬ存在がたった一つの情念に縋るように、真っ直ぐに歩き続けていた。
□
頬に感じる暖かさの感触で、俺は目を覚ました。
どうやらまだ夜は明けていないらしく、テーブルの上で燃える蝋燭は小さくつぶれてしまい頼りなく光を吐き出している状態だ。
俺の頬にその手を当てている人物の姿に目を凝らす。
アリスではない。
白い髪に切れ長の瞳。
感情のわからぬ仏頂面が蝋燭の火に揺れる。
やや髪は伸びたようだが、彼の面影はなんだか変わり果ててしまったように思えた。
「……クロードか?」
「ああ」
「アリスは?」
「外だ」
短く会話を交わす。
どうやら、前に会ったときのような状態ではないらしい。
クロードは俺の頬から手を離し、椅子に腰掛けた。
俺は拍子抜けしてしまう。どう考えても俺は油断していた。
アリスとの調節を終え、疲れきっていた。
殺すなら今しかなかったはずだ。
「……俺を殺さないのか?」
「
「アリスをやるのか?」
「そうさ」
ふざけるな。させる訳がない。
アリスを愛している。俺が守ってみせる。
飛び上がった俺の姿を見て、クロードはもの悲しく言った。
「まずは服を着ればいい。それくらいは待つ。それから戦おう」
急いで準備を整え、その間クロードは一切手出ししてこなかった。
不思議な空気が漂っていた。
相手に殺意がない状況で戦わなければいけないのは異常だ。
だが、俺はクロードを殺すだろう。
手加減できる相手ではない。
クロードの聖剣は一度、
どんな手品を使ったかはわからないが、そんな相手に余裕をかましている場合ではない。
アリスはきっと俺を守ろうとミカエラを迎え撃ちにいったはず。
もう迷わない。
クロードを倒し、ミカエラを止める。
その行為に一寸の迷いもない。
俺は剣をとり、クロードは聖剣を抜く。
俺たちは狭い小屋の中で向かい合った。
「……ベル。君は僕のことを覚えているかい?」
「ああ。忘れたことなどない。正直言って、殺したいほど憎い。お前がいなかったらミカエラは狂わなかった。エマもヨランダも犠牲にならなかった。俺の大事な仲間、大切なリリィ、フランツ、シャティアだって。ヨダに踊らされた結果とはいえ、お前は俺を追放した。俺はお前を殺すだろう」
「そうかい。よかった」
「なんだと?」
「僕はもう、君のことはなにも思い出せないんだ」
クロードはめずらしく微笑んでみせる。
俺はクロードが何を言っているのか意味がわからなかった。
なにが良かっただ?
ふざけるな。
お前が俺のミカエラをとって、それで勇者パーティを追放したからこんなことになったんだぞ?
それを忘れただと?
馬鹿にするのもいい加減にしろ。
絶対に許さない。
俺がはらわたを煮えたぎらせていると、クロードは黄金の装飾の聖剣を身体の前に突き出し構えてみせる。
「この剣は【絶望の聖剣】。お父様から貰い受けたものなんだ。どうしても君に……って貰いたかったんだろうなぁ。もう、僕にはあまり意味のない剣だよ。使用者の絶望を吸って、時間を操れる」
「馬鹿な……時間を操るなど、ありえない」
「任意の対象に絶望を植えつけることもできる。この能力でミカエラやみんなに酷い事をした。そしてベル、君を追放する時にも使っただろうね」
「クロード、貴様。どうしてわざわざ能力を言った。お前になんのメリットがある。俺にそれを教えてどうするつもりだ?」
意味不明だった。
俺に剣の能力の種明かしをして、何の得になる?
時間稼ぎをするにしても、正体不明の能力のままのほうが都合がいいだろうに。
「さあ? 正々堂々と勝負をしたかったのかもしれないね」
「……今更」
俺は吐き捨てるようにその宣言をあざ笑った。
だってそうだろう?
皆で示し合わせて、そんな時間を操るような能力を隠しながら俺を追放しておいて。
今更正々堂々戦えというのかよ。
ふざけるな。
俺はクロードの横にあるテーブルに、【
効果は消滅。
範囲内のグラスは一瞬の光に包まれ、消滅した。
「俺の能力は自分だけの現実。
【ワールドマジック】と呼んでいる。自分には使えないが、自分以外には何でも影響を与えられる。なんでも想うがまま自由だ。距離が離れると効果が薄れる。使うには一度に一回ずつだ」
「教えてくれるのかい? 君を追放した僕に。ミカエラを傷つけた僕に」
「お前にかける情けはない。お前にかけられる情けもない。お前を殺す覚悟だよ」
「優しいな。でも、反則じゃないか。きっとそれを僕に隠していたんだろう? 強すぎだよ、ベル……」
「そうでもない」
こんな力をもっていても、誰も助けられないんだからな。
俺はお前も、ミカエラも助けてやれなかった。
クロード。
だからこそこの復活した【ワールドマジック】は、躊躇わずお前に使う。
前はきっとお前を殺したくないと思っていた。
だから俺に迷いがあったんだと思う。
時間を操る能力に敵うか……わからない。
だけどさ。
逃げないからな。お前から。
もうお前のその顔から、絶対に俺の目は背けない。
後ろは振り返らないから。負けたりしないから。
たとえどんなに強大な能力でお前が迫ってきても、今の俺は負けない。
俺は剣を構えクロードに対する。
クロードもあの頃と同じ構えで聖剣を構える。
――まるで剣術の稽古を思い出してしまう光景だ。
俺達はどうしてこうなってしまったんだろうな、クロード。
ほんの数年前までだたの村人だったのにな。
勇者なんか、やらなきゃよかったよな。
「……ありがとう。僕もこれで本気を出せるかな。ミカエラに殺すなと言われているけど、……いいよね?」
「知ったことか。早く始めろ」
軽く息を吐いたクロードは聖剣を前に構え、身をすこしだけ沈める。
俺は時間を操るという能力を警戒し、距離をとったまま能力発動のタイミングを計る。
圧倒的に不利だ。
一撃で決めるしかない。
俺は今、漆黒のマントで全身を覆っているが、もし時間を停止させることができるならそのクロードの攻撃を受けたときマントを硬化しても無駄かもしれない。
マントの隙間から攻撃されれば、それは全くの生身。
俺の身体自体を硬化することはできないのだから、防御そのものが悪手。
クロードの身体に対し【消滅】なり【破裂】なり、先手必勝で攻撃を仕掛けるしか勝機はない。
……もし時間を巻き戻すことすらできたら?
俺の能力では勝機がない。
いや。
戦え。
勝機など最初からない。
四天王を三人失うような相手を敵にしている。
命を失う覚悟がなくて、どうしてクロードを倒せる?
時間を止める、もしくは巻き戻す。
攻撃手段はあの剣か、魔法になるのだろうか。
なら、この身で耐えればいい。
蓄積した剣術の知識を総動員し、クロードの元へと迫る。
漆黒のマントを翻し、剣閃を隠す。
「――シッ」
「忘れてもらっちゃ困る。僕は元【賢者】さ。【
二つの属性の魔法を使いこなす。
この世で最高レベルの才能をもった【賢者】でもあったクロードは、軽々と世界の理論を越えてみせた。
雷光が最初に俺のマントへと到達し、恐ろしい数の火球に飲み込まれる。
攻撃と同時に防御に転じていた俺は、その魔法の渦をマントを硬化し防御した。
爆風で押し戻されそうになる体は、強引に踏み込みで押し切る。
確実な一撃を。
俺は炎と雷光に包まれるマントの隙間からクロードの顔をじっと見据える。
聖剣を構え、無詠唱で魔法を発動している。
あのころの顔で、剣をかまえている。
ふと、マントを恐ろしいまでの衝撃が襲った。
「――【
嵐のような魔素によるカマイタチの剣。
クロードが放ったのは、聞いたこともない魔法であった。
オリジナルの魔法を習得し、詠唱のみで発動するそのセンス。
やはりクロードは天才だ。
天才だったのに。
俺のマントは想像できる最高硬度で防御しているにも関わらず、クロードの魔法により削りとられる。
触れるものすべてを傷つけるような魔法の威力は、防御から攻撃に転じることが不可能に思えてくる。
俺は走った。
クロードに向かい、真っ直ぐに。
マントの硬化は解除した。
体は切り裂かれてもいい。
俺の剣を最大硬度まで硬化した。
時間を止められる前に、戻される前に。
この剣をお前の胸につきたててやる。
「うぉおおおおおおクロード!!」
「ベル」
――ザグン。
剣が深く突き刺さる。
心臓を貫かれたクロードは、大量の血を吐いて俺のマントを染めた。
クロードはそのまま小屋の壁に打ち付けられ、俺の剣で釘付けになった。
……どうした?
カマイタチのような魔法の剣は俺を掠っただけだった。
まるで体の表面だけ掠め取るような、しょぼいダメージしか受けていない。
時間を操る聖剣の力はどうしたんだ?
時間を止めればいくらでも避けられただろう?
クロードは掠れた声で俺に言う。
「……やっ、ぱり。魔王、は。いたねベル。そして、君が本物の勇者だ」
「おいクロード。時間を止めるのはどうした。こんなにあっさりと……決着がついていいと思っているのか? お前が始めたんだぞ? おい!!」
「……時間が止まっているのさ。僕のはずっと前からね」
「なんだよ、こんな簡単に死ぬのはおかしいだろ。お前がやったんだぞ? お前がミカエラを!」
「そう、さ。僕はミカエラを狂わせた。皆を殺した張本人だ。僕のお父様が黒幕さ。どうだい、こんな僕をどう思うんだい……ベル?」
「どうしてそこまで……お前はどうしてそこまで、俺を苦しめる。俺を憎むんだ。俺は、お前をわかってやりかったのに!!」
「無、理さ僕は、君を。……がふっ。ぼくはきみを……」
俺の元幼馴染は糸が切れたように動かなくなってしまった。
仲間を失った大半の原因は、あっけない最後を迎えてしまった。
安らかだった。
こんなにも憎いのに、安らかな死に顔に思えてしまった。
クロードの遺体を壁から降ろし、テーブルに寝かせる。
蝋燭の火が切れ、小屋の中は暗闇へ。
さようならクロード。
――アリス、待っていて。
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