第39話 アリスとティアラ

 ――三ヶ月が経過した。









 時刻は夕暮れ時。

 帝国首都アランカルで、大きめの目立たない黒灰色ローブに身を包んだ小さな影があった。

 体格からして子供か女だろうとわかるが、身のこなしは洗練されている様子で迷路のような路地をバラバラに突き進む。

 追跡をかわすための動きなのかは定かではないが、その素早い疾走には容易についてこれるものなどいないだろう。

 小さな影はある地点に到達すると、かすかに呟くような声を発する。


「あった」


 その人物は、やや開けた広場へと出る道を見つけた。

 噴水もあり、ちょっとした緑もある帝国国民の憩いの場。

 夕暮れ時にも掛からず人の数でごった返し、出店やパレードのようなものまで繰り出している始末だ。

 そして、その広場の中心にあるものがその人物の目的。

 ただ一目、その最後を瞳に焼き付けるだけが今日ここまでやってきた彼女の使命。

 雑踏と衆目に晒され、辱められているものがある。




「本当に最低な奴らだ。魔王なんて勇者様にはやく討伐されればいいのに」

「剣聖様も、盾騎士様もいいお方だったのに、魔王に拷問されて死んだらしいですよ?」

「ありえねえ。許せねえよ」

「魔王の仲間だろこいつら? 最悪な奴らだよ。死んで当然だな」

「そうそう。こうなって当然のことをしやがったからな、こいつら」

「魔王なんて死ねばいい」




 人が集まり、口々に悪態を吐き出す。

 特設された木台にはこう記されていた。

 

 ――魔王配下・四天王。

 勇者クロードと聖女ミカエラの類稀なる働きにより、三体の四天王が討伐されたし。

 剣聖様と盾騎士様を拷問して苦しめた魔王の配下の首をここに晒す。

 帝国国民よ、石を投げ、棒で叩き無念を晴らすべし。


 【滅殺】シャティア

 【深淵】リリィ

 【疾風】フランツ




「……もうすこし待ってて」


 魔法の力で保存され、辱められる仲間の遺体。

 事実を捻じ曲げられ、都合のいいように話を変えられ、彼女たちは恨みの対象へとされてしまった。

 優しかったリリィ。

 純真だったフランツ。

 強かったシャティア。

 思い出を力に変えるかのように、その人物はローブの中で呪文を唱えた。



「――火神砲カグツチ



 部分召還した龍の炎。

 風にあおられ、ローブからちらりと見えた手は落としたガラスのコップのような痛ましいヒビが入っていた。

 木台は地面が蒸発するほどの炎に包まれ、大切な仲間たちは一瞬にして天へと昇っていく。

 超高温のプラズマによって魔素は上空に炎の柱と共に消えていった。

 危険を冒してまで帝国の首都近くまでやってきたのは、このため。

 仲間が安らかに眠るさまを目に焼き付けるため。

 騒ぎが起き、衛兵がやってくる。


「みんな、ゆっくりやすんでね」


 ローブを深くかぶりなおしたアリスは、急いでその場から走り去った。





 宿場町に明かりがともる。

 アランカル近郊の小さな町のはずれのこじんまりとした宿屋【百合根亭】は、アデウス家の息がかかったものだ。

 資本と従業員はティアラの管理下におかれている、いわゆる逃避地のようなもの。

 ――息のつまる分家の貴族邸暮らしなど真面目にやる必要ないですの。

 ティアラもなかなかしたたかである。

 裏口から入ってきたアリスを、ティアラは待ちわびたように受け入れた。

 どうやらその場で座って待っていたようだ。


「遅かったですの」


「ちょっとお花を摘んでいたの。愚かな群集の群れの真ん中で」


「それは絶対ダメですのー!? ちょっとダメなプレイのような気が……」


「すっきりした。気持ちよかった。きっと天に昇っていったわ」


「ちょっと待つですの!? 私がヘンなことをかんがえています? もしかして私が凄くまじめな話をアリスのいやらしき姿に変換してしまっています!?」


「うるさいですね。決着をつけてきました。……ん」


「はい。ローブはかけておきますですの」


 ふわりと黒灰のローブを脱ぐアリス。

 腰までかかる艶やかな黒髪が解放され、今ではティアラにも可愛らしい猫の耳と尻尾を見せてくれるようになった。

 くりくりとした黒い瞳は吸い込まれるように純真で、同性のティアラからしても、いつまでも眺めていたい宝石のような魅力がある。

 アリスのローブの中はダンダリオスのチェックスカートに、ティアラがあげた黒のカーディガンを羽織るのが最近のお決まりだ。でも、サイズ違いでぶかぶかだ。


 お気に入りの魔素の暴走を防ぐ特注ローブ――白のローブはもうない。


 アリスからローブ受け取ると、ティアラの目にアリスの痛ましい姿が入り悲痛な面持ちになって顔を下げる。

 アリスの美しい白い肌、右腕に入ったヒビは広がり、可愛らしい顔のところまで到達してきている。

 アリス本人は気にしていないみたいだけれど、明らかに以前よりも広がってきている。


 こんなに表情豊かで、美しいのに、どうして……。


 ティアラは隠し切れない感情が瞳から溢れそうになるのをなんとか抑え、アリスを宿の中へと案内する。

 泊まるわけではないが、食事の時間ぐらいは。

 そうアリスを誘っていたのだ。


 今は亡き兄に振舞うつもりで練習した料理のフルコースをテーブルに並べる。

 ……実は使用人にかなり手伝ってもらったのだが、仕方がない。

 話が急だったからだ。


「お願いティアラ。ベルヌ様を助けたいの」


 彼女からの連絡があったのは、事態の重さをティアラですら理解できるまで進行した状態になってから。

 つまり、世界中の人にベルヌが極悪な魔王だと知れ渡り、ギルドでは討伐対象になり、見つけただけで国からの報奨金が出る。

 兄を救ってくれた優しい彼が、世界に仇をなす最悪の魔王になってからであった。

 

「わかりましたですの」


 ティアラは学校を休学し、帝国首都近郊へと戻ってきた。

 そして助けを求めてくれた友達に対し、食料や他できるかぎりの支援をしている。

 ベルヌの居場所は知らない。

 そのほうがいいだろう。

 どのような勢力と戦っているのかはわからないが、あの方があれほど追い詰められるならば。

 自分は何も聞かず、何も見ず。何も言わずアリスを支援するのが一番の最善手だろう。

 だけどせめて教えてほしい。

 アリス、あなたはあとどれくらい……。

 

「おいしいですティアラ。ドリルにしてはいいセンスの料理です」


「ドリルじゃないですの!! 縦に巻いた髪ですのよっ!? ……結構、練習しましたのよ」


「あったかいです。なんだか、あったかい」


「あたりまえですの。マリーと違って辛くはないですの」


 なに言ってるですの、私。

 もきゅもきゅと小動物のように口を動かしているアリス。

 飲めもしないワインをついでおいて、ティアラは視界が滲んできたことに気がつく。

 あの後、マリーが友達になろうとか言ってきたのですのよ。

 ほんと面白いですの。

 アリスがあのとき学校に来なかったら、きっとマリーは私をターゲットにしたままだった。

 あいつ、私に腕を折られたくせに嫌いじゃないとか言うんですの。

 ヘンな奴。

 アリスさんと私と、三人でお茶をしたいと言ってるんですのよ?


 三人でって、言ってるんですのよ……。


 ティアラはマナー違反だが、ナプキンでアリスに見せぬよう目頭を拭い。

 

「ベルヌお兄様はお加減いかがですの?」


「ベルヌ様をお兄様って呼ぶのやめて。なんかムカつく。具合は……よくない。変わらない。能力が戻らないから塞ぎこんでる」


「そうですか。では、アリスの身体はまだ【調節】してもらえないので……」


「私はどうでもいい。私は別に人間じゃないから。痛みもなんにもない。だから平気」


「アリス……」


 ティアラは胸が苦しかった。

 思いつめたような少女の顔のどこが人間ではないというのだろう。

 思い人のために行動する少女の、どこが人形だというのだろう。

 しかし時は残酷にアリスに対して突きつけられている。

 人形のように美しい顔は、造りものの証明かのごとくヒビが入る。


 ティアラに対し「平気なの」と微笑んでみせるアリスは、やはり壊れ始めていた。

 

 ティアラは用意していた食料や必要物資の袋をアリスに受け渡した。

 目立つので龍の召還は避けているらしく、アリス自身が背負ってベルヌの元へと運んでいくらしい。

 アリスいわく重さは感じないとのことだったが、ティアラはアリスが持ち運びしやすいように背負える形の、帝国冒険者の中でも最新の荷物袋を用意させた。

 どんな形でもいい。アリスにすこしでも役に立ちたかった。

 やがて百合根亭を出立する時間になり、アリスは身支度を始める。

 大きなローブを羽織る小さな友人の背中を見ていたティアラは、思わず。


「行かないでほしいですの……」


「ティアラ」


 アリスの背中に抱きついていた。

 小さい背中は暖かかった。とてもちいさくてあったかい。

 このままでは、友達が消えてしまう気がする。

 今行かせたら、アリスが二度と顔を見せない気がする。

 アリスは優しい口調で呟く。


「好きだから」


「うぅ」


「ベルヌ様のことが大好きだから」


「でも」


「愛してるから」


 アリス、あなたは人間ですの。

 ティアラはぎゅっと後ろからアリスを抱き締め、アリスはそれを受け入れる。

 時が止まって、お願い。

 ティアラの願いは夜の始まりの気配に溶け出し、アリスは闇に紛れて彼の元へと帰っていくのだろう。


 アリスはゆっくりと振り向いて、ティアラに対し薄くどこか色気のある唇をうごかす。


「キス、しよっか?」


「は!?」


「キス。したことないの?」


「なななん!? なんですのいきなり!?」


 顔を真っ赤にしたティアラはアリスの顔をじっと見つめてしまった。

 白磁の陶器のような白い肌は、近くで見るとキメ細やかで繊細な人間そのものを再現した皮膚であり。

 潤んだ瞳や、ほんのりと紅が差す頬。キリと意思を主張する眉は、アリスをアリスとして主張するために余念がない。

 つまり、美しい芸術作品のような美少女の顔がティアラの目の前に迫っていた。


「キスってどうやるのかしら。知らないの。ティアラなら知ってると思って。練習させて?」


 なんだ。そういうことですの。

 アリスの意図を理解したティアラはふふ、と微笑み。


「私だって知らないですのっ!! っていうかファーストキスはとっておきの方にとっておくべきですのっ!!」


「ええ、ドリルってキス知らないんだ。意外」


「人をマリーみたいなビッチみたいに言わないですの! それとドリルじゃねえ!! もう、期待させて酷いですの」


「とっておき……」


 ティアラはぷんぷんと怒って赤くなってしまった。

 顔を見合わせ、二人は笑いあう。

 アリスは自らの唇に白魚のような細い人差し指をあて、こう言った。


「わかった。とっておくわ」


 アリスは出発した。

 ティアラはアリスの姿が見えなくなるまで目で追っていた。

 姿が消えても道に立っていた。

 嗚咽を漏らしながら、天を仰ぎながら立ち続けていた。

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