第36話 能力喪失

――自分だけの世界【ワールドマジック】


 狙いはミカエラ。

 ミカエラに対し真っ直ぐ右腕を延ばす。

 効果は【消滅】。

 ミカエラの身体を中心に、半径三メトル以内を消滅させる。

 誤差50セヌチ、範囲内の命はこの世界から消え去る。

 リリィの伝えたかったことは、ミカエラの変貌。

 それと、恐らくだが黒幕の存在だろう。

 今、黒幕の存在はどうでもいい。


 ミカエラの言葉で、アリスが傷つけられた。


 こんなにも穢されてしまったミカエラを、俺の手で止めてやらなければいけない。

 あとで黒幕を調べ上げ地獄に送ってやるからな、天国にいるリリィ。フランツ。

 俺も全て終わったら、君や仲間達と一緒の場所に行きたい……。

 それは無理だろう。俺は死んでも再び生まれてしまうのだから。

 だからミカエラ。君は先に安らかな場所で休んでいてくれ。

 ――俺は空気を吸って吐くように慣れた扱いで、能力ワールドマジックを発動した。



「あ! ベルくんこっち見た。ねえベルくんもそう思うよね?」



 …………?

 ミカエラに変化はない。

 こちらを振り向いたミカエラは、天使のような微笑みをみせ手を振ってきた。

 おかしい。

 ありえない。

 能力はすでに発動されている。

 ミカエラに対し、しっかりと距離を把握し、消失の効果をもつ能力を使ったはずだ。

 どうして何も起きないんだ?



「ベルくん! もしかして、【力】を使おうとした?」



 ミカエラは頬を赤く染めながら、俺に対しそう言ってきた。

 さっぱり状況が飲み込めない俺は、もう一度発動しようと能力の使用を繰り返す。

 ……何も起きない。

 どこも変化しない。

 ミカエラは俺の方を向きながら、嬉しそうに天使のような笑顔を振りまいてみせていた。

 まるで俺がミカエラの方に腕を延ばして手を振っているだけ。

 そんな滑稽な様子に思えてくる。

 ミカエラは愛らしく俺の瞳を見つめ嗤っていた。



「ベルくん、さっき私と……その、キスしたでしょ? あのときに私、愛の

最大回復魔法リザレクション契約テスタメント】をしたの。だから、ベルくんはもうあの【力】を使えません。ベルくんはこれから、そういった【力】は使わなくていいよ。だって私が守るもん。だから、ベルくんは私だけと一緒にいよう? そうすれば、私と二人で魔王と勇者できるよ? 私がなんでもするから、ベルくんは私の隣にいればいいよ。お料理もお洗濯も、その他ぜーんぶわたしに任せて?」


「…………嘘だ、ろ?」


「大丈夫。心配は何もないよ? ベルくんはきれいな……きれい? きれいだよね。きれいだ。うん。綺麗なわたしに全部まかせて、どっしり椅子に座ってればいいよ。そして夜になったら、私がすっごく気持ちのいいことをまいにちまいにちしてあげるから楽しみにしてね! クロードなんて……くろ、く、あれ。私、ベルくんに初めてを捧げたいなっ……うん。初めて初めて。うんうん。狂ってよがって、辛いことは全部一緒に忘れちゃおう? 私を受け入れれば、信じられないぐらいの幸せな時間が待っているよ? みんな死ねばいいのに。そうだよね? 二人で一緒に最高の快楽に溺れようよ。私がベルくんを全部飲み込んであげるからさ。他の誰も考えつかないような、とろける熱情の時間が待ってる……だから、私を綺麗だと信じて、ね?」


「俺の……力を返してくれ」


「じゃあ私から離れていかないって約束してよっ!! みんな殺そう? 私から奪おうとする者達はみんなゴミ箱に捨てたほうがいいよ!!」



 ミカエラはぐるぐると渦巻くような深い暗黒を瞳に宿しながら、俺に対しそう叫んだ。

 あんなにも胸を苦しそうにしながら。

 

 ああ、きっと俺はミカエラを助けられなかったのだろう。

 俺はあのとき……勇者パーティを追放されたとき。

 おめおめと逃げ出したとき。

 ミカエラを置いていったとき。

 クロードにおびえてミカエラに背を向けてしまった時点で、勇者や魔王など失格だったのだ。

 本当は、ミカエラは、助けて欲しかったのだ。

 好きになった女一人の、世界を揺るがすまでに突き詰めた変化に気がつかず。

 俺は魔王を気取り紫水晶の末端を追っていい気になっていた。

 俺の一番近くに元凶があったにも関わらずそれに全く気付いてやれず。

 あげくに暴走させて仲間を殺させ。

 今、能力を奪われて俺はただの一般人になりさがったというのか。

 俺は何度も手を突き出していた。

 何も起きず、何も変わらないその能力はまさに自分だけの世界。

 滑稽だ。

 茫然としている俺の元へ、ミカエラが【最大回復魔法リザレクション高速移動ムーブメント】してくる。



「ちょっとだけベルくんの頭を変えるね? 冒険を始めるころに戻せば、きっと上手くいくよ!! 【最大回復魔法リザレクション手術オペ】。大丈夫だから、ちょっと気持ちよくいじるだけだから。邪魔なものを消すだけだから」


「ぐっ……うぁああぁぁあ!?」


 胸にミカエラの手が差し込まれ、頭に淡い光が当てられる。

 おぞましいことをされているにも関わらず、異常なほどの快楽が脳内を突き抜ける。

 このままでは、俺は。

 思い出がこぼれていく。

 大切な、みんなとの思い出が、リリィ、フランツ、シャティア。


 ――アリス。





 ●●●


 アリスとシャティアはお互いの顔を瞳に映す。

 それは、深い絆がなせる会話。

 ベルヌが襲われかけている一瞬の間に、これからの希望をつかみとるための、最善の一手を打つため。

 女と女の意識の中で行われた意思疎通。


「アリス。紅蓮龍(サタナキア)はまだ召還できますかぁ?」


「ええ。なんとか……」


「なら、後はお願いしましたぁ」


「そんな……シャティア、一緒にベルヌ様を助けて逃げよう」


「……やられましたぁ。もう、右腹をざっくり喰われちゃいましたねぇ。あのタマという奴やっかいですぅ」


「なら、なおさら一緒に闘わなきゃ!」


「いえ。私はここに残って、時間を稼ぎますぅ」


 シャティアは、アリスに向かってウィンクをした。

 アリスは悲壮な顔でシャティアを見つめる。


「それに、ベルヌ様の前だと、りずらいんですよぉ、一応、元お仲間さんですしぃ」


「シャティア……」


「あなたしか能力を失ったベルヌ様を治せません。アリス、貴方は魔素でできている。だからこそできることもあるでしょう……」


「しゃてぃあぁっ!」


「もう泣かないでアリス。あなたのお料理はなかなかです。もうちょっと教えてあげたかったですが、あとは努力と、殺すぐらいの愛情でカバーしてください」


「うぅうぅっ……」


「いけっ!! 私がカラドボルグで奴の動きを止める。アリスはベルヌ様を回収し、今は逃げろ! 逃げて逃げて、私達の魔王様をお守りしろっ!! リリィとフランツの魂だって、私達を守っているんだっ!」


「……はいっ!」 



 刹那の判断でシャティアとアリスは動き出す。

 シャティアが投函したカラドボルグは、ベルヌを捕らえていたミカエラの上半身に直撃した。

 ミカエラの右腕がメキャと嫌な音をたて、そのまま回転を始めるカラドボルグの棘へと巻き込まれる。

 ミカエラは大砲から発射された弾のように、森の中へと吹き飛んでいった。


 ――紅蓮龍サタナキア


 それと同時にアリスが召還した、巨大な赤龍が羽ばたきを始める。

 近づこうとするクロードとヨランダを、アリスは両手から発する無反動魔法(リジェクト)で吹き飛ばした。

 威力が高すぎるため普通の人間には決して使わない破壊の魔法だが、ゾンビのように起き上がるクロードとヨランダには効果が薄いようだ。

 意識を失ったベルヌを龍に乗せ、アリスは空へと飛び立つ。

 後に残ったのは、シャティアただ一人。

 

「――好きに生きましたよぉ。じいちゃん」


 血は争えないんだなぁ。

 シャティアはむしろたぎっていた。

 じいちゃんも、こんな気持ちだったのだろうか。

 好敵手を求めて、理不尽な殺しまでして。

 だけど私は幸せだなぁ。

 シャティアは呟く。


「もう、何回も殺しましたからねぇ」


 ――これ、すっごくおいしいよシャティア。

 ――お店のより美味しいじゃん!

 ――またつくってほしい。駄目かな?



 何者でもない、自分の料理ぐらいであんなに喜んでくれるというならば。



「戻ってこいカラドボルグ!! さて、ここから先は一歩も行かせませんよぉ。私は四天王【滅殺】のシャティア。通行料は命ですが、よろしいですかぁ?」 

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