第35話 道化人形

 森の中へと吹っ飛んだミカエラは、苦しそうに悲鳴をあげていた。

 その姿をシャティアは静かに睨みつける。


「いたいよぉ。たすけてベルくん。たすけてぇ」


「嘘をつくな。人間が耐えられる威力ではなかったはずだぁ。本当なら、身体を残さずはじけ飛ぶ」


「…………えへ。ばれちゃったか」


 シャティアが森の奥へと殺気を飛ばすと、怪しい雰囲気が返ってきた。

 どうやらミカエラは生きている?

 あれだけの威力で吹き飛ばされて、生きている人間などありえない。

 膝をついていた俺はアリスに助けられ、ようやく立ち上がる。

 事態はかなり深刻らしい。俺達のはるか予想以上に。


「ポチの演技が下手くそだからいけないんだぞ!」


「クゥン……」


 ミカエラはぷんぷんと頬を膨らましているかのような声で、クロードに対し怒りをあらわにしているようだ。

 クロードはびくりと身体を震わせ、犬のような鳴き声をあげた。


「ワン!」


「クロードさん、待ちましたよー。早く行きましょう。僕を回収してくださいー」


「ワン!」


「ええっ……いったいどうなってるんですかー!?」


 縛られたマイアーはクロードに呼びかけ逃げ出そうとしているも返答がおかしい。

 今まで喋っていたクロードは、四つんばいになり獣のようにしている。

 おぞましい変化を感じる。

 俺の知っているクロードは消えてしまった気がした。

 大人しくしていたヨランダも、ボキボキと身体が膨張し、おぞましい岩を組み合わせた怪物のような姿に変化する。

 本当にリリィとフランツはこいつらにやられてしまったらしい。

 ゆらりと森から這い出してきたミカエラは、傷口からドプドプと溢れる自分の血をすくい、ペロリと舐めて微笑んだ。

 左腹に風穴が開いている。普通ならば昏倒し、死んでいてもおかしくない。


「やっぱり雌豚は勘がよくて嫌です。せっかく、ベルくんの大事な役目を演出してあげるつもりだったのに……

最大回復魔法リザレクション障壁バリア】と

最大回復魔法リザレクション部分装甲プロテクト】を貫くなんて、人間の力じゃないですね?」


「魔力でできた存在を貫く自動回転粉砕鞭カラドボルグを受けてそれで済んでるあなたが人間じゃないですぅ。どういう仕組みですかぁ?」


「愛ですね」


「……ふざけるな。お前がリリィとフランツをやったなぁ」

 

 棍棒を肩にかけたシャティアと、ミカエラがにらみ合う。

 ミカエラの雰囲気はあのころと変わっていないように思えた。

 いや、変わっていないのはおかしいのか?

 クロードになにかされたのか……。

 俺は、それに気がつかなかったのか?

 こんな状況なのに、俺は。


「ミカエラ!!」


「ベルくぅん。やっと会えたね。ずっと、ずっと会いたかった……嘘ついてゴメンね。あれは嘘だから嘘で嘘が嘘だから嘘で嘘なの。だから、私、きれいだよ? 私ってきれいかなぁ?」


「何……いってんだ? ミカエラ、一体なにがあった?」


「なにもないよ? ベルくん。だいすき! ごふっ……」


 ミカエラは腹にあいた傷をおさえ、口から血を吹いた。

 苦しいのか、大丈夫なのか?

 俺は思わず駆け寄る。

 思わず駆け寄ろうとしてしまった。


「【最大回復魔法リザレクション高速移動ムーブメント】」


「なっ!?」


「んむぅ。むちゅぅれろっ。あむっはぁあっ。れろっれろっ……っはぁ! ベルくん、吐いちゃったもんね。ちょっと酸っぱくておいしい。えへ」


 俺はいつの間にかミカエラに唇を奪われていた。

 おそろしい生き物のように蠢く舌に、口の中を蹂躙される。

 ぬらぬらと奥まで入り込んできて、絡ませられる。

 舌どころか歯の隅々までむさぼるつもりでミカエラの柔らかいものが暴れまわった。

 有無を言わさずされた行為で、何か危険な力が流し込まれたような気配がした。

 動けない……。

 身体が動かせない!?


「離れろっ!!」


「んっ!? 何ですあなた? 邪魔しないでください。ベルくんと私の愛の交換なんですから」


「ベルヌ様に何をした!? 近づくな!」


「あなたこそ何ですか。図々しいですね?」


 アリスの声がする。

 俺はまるでミカエラに骨抜きにされてしまったように、地面に倒れこんでしまった。

 しびれるような感覚で、おぞましいまでの快感が襲ってくる。

 まるで他のことなどどうでもよくなってしまうような……。


「もうちょっとでベルくんを魔王にできるんだから、邪魔するなゴミ。お前のように私をイライラさせるお邪魔虫は全部ゴミ箱に捨ててやる」


「……そうやってリリィとフランツも殺したのですか?」


「誰? あの白いローブの女と、かさかさ動く男のことか? 弱くて覚えていません」


「白いローブ? どういうことかしら?」


「そうです。私を最高にイライラさせた、白いローブの女の子。愛の拷問をして殺してあげました。この世の全ての苦しみを与えたら、泣き叫んで謝っていましたよ。いい気味」


「白いローブって……リリィまさか」


「ベルくんの隣にいるから、そういう目にあいます。ベルくんの隣はわたしだけのもの……」


「あなた……大きな間違いよ。白いローブは私のもの。勘違いでリリィを殺したのね……あんな優しい子を、あなたは拷問して殺したというのね。あなたにも可哀想なところもあるかもと考えたけど、今この瞬間にそれは無意味な感情になったわ。私はあなたを許さない!」


「そうですか。あなたが本物の?

 では。

最大回復魔法しんでください手刀スライス】」


 アリスの首筋に、ミカエラの手刀が迫っていた。

 俺は立ち上がろうとするも、ミカエラに何かされて力が入らない。

 間に合わない!?

 頼む、二人ともやめてくれ。

 しかしアリスは冷静だった。


「……私に向かって魔法攻撃ですか。【反射リフレクト】」


「えっ……ぎゃああぁぁぁぁぁぁああああぁっ!?」


 ――ボン。


 軽快なまでの破裂音。

 アリスの首筋まで迫っていたミカエラの手刀は、付け根から爆発して失われた。

 ミカエラの美しかった腕は、骨から肉がそげ落とされたようになり見るにたえない姿へと変わった。

 驚きを顔に貼り付けたミカエラは、苦痛に顔を歪め後ずさる。


「どうして? 私には【常時最大回復魔法オートリザレクション】があるはず……」


「回復魔法を使って攻撃したのです。それを反射して暴走した結果なのですから、もう一度回復魔法がその部位に発動するまでにはどうしてもタイムラグが出ます」


「なんで、愛は完璧、愛は無敵、愛は最高、愛はベルくん……」


「なにもわからず暴走しているあなたに、魔法とは何かを語る資格はありません」


 ――ボン、ボン、ボン。

 アリスがミカエラに対し手をかざすと、体内の魔力が暴走し次々に四肢が破裂しミカエラは地面へと倒れこんだ。

 ミカエラは這うようにしてアリスから遠ざかろうとするも、全ての四肢が失われたため上手く遠ざかれないようだ。

 ……いつもなら回復しているはずなのに、全然元に戻らない。

 ミカエラの顔には明らかな焦りの色が浮かんでいた。


「ポチぃ! タマぁ!!」


 ミカエラが叫ぶと、クロードとヨランダが動き出した。

 シャティアが二人の間に入る。

 クロードは聖剣を抜いて切りかかり、ヨランダだったモノは大きな口で噛み付いてきた。

 シャティアは大振りの一撃で吹き飛ばす。

 クロードとヨランダはまとめて林の木ごと吹き飛ばされ、木片と共に空中を舞った。

 しかしダメージとしてはそれほどではないようだ。

 シャティアの棍棒を耐えるなど、もうあの二人は人間ではない。 


「いだいよぉ。早くたすけろ!! ベルくぅん、だいすき……いだいよぉ」


「覚悟はいいですか?」


 ミカエラはアリスに怯え、泣きながら四肢を失った身体で後ずさる。

 アリスが後を追う。

 無表情でその後を追うアリスの顔には、明確な殺意があった。

 あと一撃、魔力を暴走させればミカエラは自壊して死ぬ。

 リリィとフランツの仇。

 それがミカエラだって?

 頭では理解できていた。

 いや、できているのか?

 わからない……俺は、まだミカエラのことを……。

 

 ――殺さないでくれ、アリス。


 そう願ってしまった。

 俺の感情が伝わってしまったのだろうか。

 それとも刹那のためらいがあったのだろうか。

 アリスは一瞬ピクリと震え、その手の動きを止めた。

 泣き叫んでいたミカエラは、急にピタリと泣き止み……ケタケタ嗤う。


「【最大回復魔法リザレクション反射リフレクト】。なーんだ。やってみれば簡単!」


「な……!?」


 ――アリスの右腕が爆発した。

 魔素の塊の宝石を撒き散らしながら、アリスの細い腕はガラスにヒビが入るように砕ける。

 白い陶器に亀裂が入り、その隙間から光が漏れ出るようだ。

 ミカエラは不満そうにアリスの腕を見て言った。


「ちょっと調節が難しいですね。まあ、お人形さんの技なので別にいいですが」


「あなた……なんてこと。こんなことまでできるの?」


 アリスは腕を抑え後ずさる。

 ありえない。人間業を超えている。

 ミカエラは四肢を復活させ、容易に立ち上がってみせた。

 もう【反射】ではミカエラを倒すことはできないだろう。

 ミカエラは勝ち誇った表情でアリスを見下す。


「【最大回復魔法リザレクション鑑定オーダー】で全て理解しました。口を利かないでください道化人形さん。白いローブの女の子があなただったとは、焦る必要もなかったですね。だって、あなたって人間どころか生き物でもないじゃないですか?」


「…………っ!!」


 アリスの顔が凍りつく。

 ミカエラは口が裂けたように怪しく微笑んだ。


「感情すら持たないただの魔素。あなたにベルくんが相応しい訳がないんですよ。おこがましいです。人間の真似をするなんて不気味です。気持ち悪いです。理屈に合いません。だって魔素でしょ? あなたが私を邪魔するっておかしいよ? 人間と人間の愛を邪魔するの、おかしいと思わないの?」


「わたしは……ううっ」


「それ、感情じゃないから。魔法を発動する時に回路が開かれるでしょ? あれと同じで、決まったときに決まった仕組みで発動しているに過ぎないから。あなたは身体全部が魔素だから、その種類が豊富なだけであって人間と同じじゃないから。あなたはただの魔法発動専用機械みたいものだよ。そう私の鑑定は言っているよ?」


「ぁうぅ……わたし……は」


「はいはい。動揺するパターン。そして涙もパターン。もういいよ。ベルくんを困らせないで?」


 馬鹿にしたように嗤うミカエラに追い詰められ、壊れた腕を抑えたアリスはぽろぽろと泣き出してしまう。

 死んだ猫獣人の姿を借りた、何者でもないモノ。

 龍の原料になるぐらいの価値しかない、素材がふさわしい文字通り、モノ、物、モノ。

 アリスがこれまで突きつけられてきた現実を、ミカエラは咀嚼して口移すように次々と受け渡す。



 ……俺は立ち上がり、手をかざし距離を測っていた。

 泣いている。

 ――アリスが泣いている。


 そうか、変わってしまったんだね、取り返しのつかないほどに。







 ごめん、ミカエラ。さよなら。



 ――自分だけの世界【ワールドマジック】。

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