第32話 蝶は届いている

 森は雨で満たされている。

 木々たちはその恵みの喜びに葉を振るわせ、降り注ぐ祝福はみなを平等に濡らしていく。

 ちいさないのちの叫びは雨音にかき消される。

 聖女の嬌声と、打ちすえる雨の雑音にかき消される。

 ミカエラによるリリィに対する拷問は、いまだ続いていた。


 終わりのないものなどない。


 ――だから?

 世界の摂理を破壊したようなミカエラの行為は、容易にリリィの精神を破壊し蹂躙していく。

 壊れたのなら、治せばいいじゃない。

 当たり前のような顔をして繰り返される行為は残酷という言葉では表せない。

 筆舌に尽くしがたい悪辣。

 想像を絶するような責め苦。

 中から身体を開かれ、臓物を取り出され、そのまま裏返しにされ、半端なカタチで修復される。

 神経組織を取り出され、ミカエラのか細い手でくちゃくちゃと弄繰り回されて激痛や絶頂を体感させられる。

 いつのまにかアリスの白いローブはリリィの血で赤黒くに染まっていた。

 死という幸福は待てども待てども与えられず、あまりの苦しさに「殺してください」と懇願するリリィをミカエラはケタケタ嗤う。


「駄目に決まってるでしょう。ベルくんを取ろうとした罰をうけないと」


 終わらないままごと遊びのように、ミカエラはリリィを弄び続ける。

 リセットされ続ける頭と身体のせいで、リリィはそのすべてを新鮮なまま脳内に焼き付けられていく。

 狂うほかない破壊の愛撫。

 ミカエラの能力の影響か、リリィの体感時間は刹那が永遠に感じるほどまで引き伸ばされ、まるで苦しむために生まれてきたのだと錯覚してくるほどだ。


 ――しかし。


 泣き叫び、許しを請い、敵にすべてをさらけ出してしまったかに思えたリリィの頭の中で、ひとつだけ冷静な部分があった。

 まるでミカエラが沸騰させようとするリリィの脳の中で、その部分だけは静かにたゆたう海のように静かであるかのように。


 ――ベルヌ様。


 リリィはうれしかった。

 どう考えても、このミカエラの目的はベルヌ様に会いに行くことだろう。

 おおかたマイアーから助けがほしいとの報せでも入ったのか?

 それでベルヌ様が絡んでると考えて張り切ってやってきたわけじゃな。

 その途中で私様とフランツを見つけたから攻撃を仕掛けたのじゃ。

 愚かなやつ。

 本当にベルヌ様をものにしたいのじゃったら、以前のお主ならすごく簡単にできとったのに……。

 最初に襲われたのが私様でよかった。

 フランツには悪いが、私様とフランツは直接戦闘向きではない。

 絶対に大丈夫じゃ。

 アリスとシャティアがついておれば、絶対にこんな女には負けん。

 それに魔蝶を飛ばしておるのじゃ。

 ベルヌ様なら気づくはず。

 耐える。できるだけ。

 命を使ってこの女をここで引き留めてみせる。


 そうしていると、地鳴りのような音を響かせながらヨランダが戻ってきた。


「ツカマエテキマシタッス」


「うん。早かったねタマ。お座りして待っててね」


「アリガトウゴザイマスッス。ウレシイッス」


「みてみて。汚いちょうちょ、二匹つかまえたんだ」


 リリィの体を地面に投げ捨て、ミカエラはヨランダから蝶を受け取る。

 うれしそうに二匹の蝶をリリィに見せ付ける。

 リリィが飛ばした黒羽の蝶、敵を報せる大事な書簡を携えた希望は乱暴にミカエラの両手の中へと捕まった。

 ぶちぶちと羽を引き裂き魔蝶を殺し、書簡を取り出すミカエラ。

 村人だったので文字は苦手だったが、ベルが読めたので必死に勉強した。


「…………へえ」


 その書簡にはミカエラにとっても真実が記されているはずであった。

 幼馴染として育った三人は実験として引き合わされ、ミカエラにいたっては両親を処分――殺されている。

 殺されたのはクロードの裏切りの直後だろうか。

 七人会議、クロードの父、ヨダ。

 ミカエラにも無視できない内容のはずだが、


「ま、いっか! お父さんもお母さんも私を助けてくれなかったし」


 ミカエラは二つの希望を粉々に破り捨てた。

 破かれた書簡は土にまみれ、雨水に流される。

 ミカエラはうれしかった。

 ベルくんに近づいた気がする。

 邪魔な白いローブの女の子をお片づけ出来たから、これでベルくんの目的に一歩近づいたよね?

 魔神とかどうでもいい。

 ベルくんに会えれば、なんでもいい。

 ベルくんが魔王をやるって考えてるんだったら、私はそれをサポートしなきゃね。

 まずは周囲のゴミ掃除!

 ベルくんを苦しめる存在や、ベルくんを奪おうとする存在はちゃんとしかるべき愛でゴミ箱にポイしなきゃ。

 そうだよ、ポチもミケもタマも喜んでる。

 彼らは自らにふさわしい愛を私からもらえて、とっても喜んでいるんだよベルくん。

 家畜は家畜にふさわしい愛を。

 真に愛すべき人はもちろんベルくんひとりだよ?

 ずっとずっと変わらないよ……。

 私はあのころのように、きれいな、きれいなわたし?


 一瞬、うつろな瞳で固まったミカエラは動きを止める。

 まるで機械がバグでも起こしたかのように虚空をみつめ続けるミカエラの姿を、リリィは虫の息ながら視界に捉えた。

 いったいどうしたのじゃ?

 かすかに口元だけが震えるように蠢いている。


(…………ベルくん、オネガイ。タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ)


 壊れた自動人形であった。

 ミカエラの唇は確かにそうつぶやいているように、リリィの意識は捉えた。

 しかしそれは一瞬のこと。

 再び元に戻り、微笑みを浮かべるミカエラはまたリリィの元へと近づいてくる。

 あの最低最悪な拷問が繰り返されるのか。

 もう無理じゃ。許しておくれ。

 せめてひとおもいにいかせておくれ。

 リリィの心が完全に折れかけたかに思えたとき、一人の声があがった。


「あ……の」


 クロードであった。

 ボロボロの装備を着せられているクロードは、おもむろに立ち上がり人の言葉を話した。

 みるみるとミカエラの表情が変わる。

 それは激怒であった。


「いつからポチは人の言葉を話すようになったのかな? あれだけ言い聞かせて、まだわかってないのかな?」


「ううぅっ」


 ゲシゲシと尻を蹴り上げられ、地面に跪かされるクロード。

 蹴りと共に苦痛と快楽を味わっているのか、並の苦しみの反応ではなかった。

 しかしクロードはそれでも続けた。

 

「ベル……がにげる」


「…………あ。そうだった。危ない。白いローブの女の子に固執しすぎて、一番大事なことを忘れていたよ。もうポチはいい子だなあ。後で沢山の愛をあげよう」


「ワン!」


「それじゃあ、この子は処分しちゃおうか。頭以外、全部食べちゃってタマ」


「ワカリマシタッス」


「ベルくん待ってて! 今いきます」


 それ以降、クロードは人間の言葉を話さなかった。

 リリィの記憶では、それが人の話した最後の言葉であった。

 ヨランダだったモノがリリィへと近づいてきた。

 よだれをたらし、ヤツメウナギのような口からは鋭い牙が見えている。

 タマはリリィの身体にかぶりついた。


 タマと呼ばれた獣のようなモノに身体を貪られながら、リリィの精神は安寧の旅路につく。

 リリィは魂が離れ行く瞬間にこう考えた。


 最悪な終わり方すぎるわい。

 食人鬼を生み出す私様が、まるで食人鬼のエサじゃのう。

 ミカエラにやられるより、食われるほうがなんぼかマシに感じておる自分が嫌いじゃ。

 しかしリリィの心は、不思議なほど晴れている。

 おそらくフランツも同じのはずだ。

 こんなこと、こんな状況でほかの者に話したら絶対にありえないと言われるだろう。

 しかしリリィは後悔していない。

 なぜなら、蝶は届いている。




 ――蝶は、届いている。

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