第29話 二人の道のり

 山小屋を出立しようとした際、フランツはベッドがひとつしかない寝室で何かを見つけた。

 美しい幾何学の刺繍がされた、真っ白なローブだ。


「こりゃ、アリスちゃんのローブじゃねえか?」


「ほう、忘れるとは珍しいのじゃ。集合場所まで持っていってやろう。どうせ大して力は使っておらんじゃろうが、あの娘ごのお気に入りじゃし、これがないと困るじゃろうからの。着てみるか。どうじゃ?」


「似合ってるぜリリィちゃん。今からここで二人の四天王会議・コスプレ運動会の部を……」


「お断りじゃボケ」


 アリスのローブを羽織ったリリィは、きししと笑ってフランツの頭をぽかりと叩き、フランツは頭を掻いてみせる。

 山のような筋肉男と妖精のようなエルフ姿の幼女。

 不思議な組み合わせだが、その縁はもっと不思議だ。

 ベルヌを中心にした、切っても切れない腐れ縁。

 二人の間には阿吽の呼吸のような歯切れのよさが漂っている。


「……肩車してほしいのじゃ。移動でつかれたのじゃ」


「珍しいじゃん。もしかして俺ちゃんに惚れた?」


「ごめんなのじゃ。人間以外はお断りじゃ。血がまずそうじゃもん」


「つれねー。ってか、どうせベルヌ様以外はお断りなんでしょーに」


「まあの」


「…………やらけえふともも」


 グサッ。

 木枯らしが吹く道に、フランツの悲鳴が響き渡る。

 どうやら目に幼女の指が突き刺さったようだ。

 阿吽もかたなし。

 よろけるフランツであったが、なんとかリリィを落とさずにすんだようだ。

 体勢を立て直したフランツは、足をぶらぶらさせるリリィに尋ねる。


「そいえば、リリィちゃんがベルヌ様と最初に出逢ったんだよな?」


「……そうじゃな。次がお主、シャティア、アリスの順かえ?」


「俺ら古参だな。リリィちゃん最古参だな」


「その言い方はホントムカつくのじゃ。目をくりくりするのじゃぞ?」


「こわっ!?」


「私様が、最古参のう」



 ――【深淵】のリリィ。


 過去を思い出すことは、忌まわしい記憶を掘り起こすことでもある。

 エルフとバンパイアのハーフ。生まれざるもの。

 石化の瞳に強靭な肉体、吸血したものを食人鬼に変える能力。

 エルフの森の力を使う魔法もいくらか使える。

 リリィは生まれたときから、他と違っていた。

 エルフの美貌と、吸血鬼の妖艶さを兼ね備え、赤子にもかかわらず異性を魅了する。

 しかしエルフでもない。吸血鬼でもない。

 生まれたその日のうちに両親に殺されかけたが、強い力で逆に生まれた村を滅ぼして生き残った。


 ベルヌとの出会いは幾百年も前であり、その前の出来事などとうに忘れてしまった。

 強力な魔道具に囚われ、見世物小屋で晒されていた。

 見目麗しいエルフとヴァンパイアの合いの子。

 エルフやバンパイアの誇りとはかけ離れた、安い掘っ立て小屋のような掃き溜め。

 夜になれば何人もの人間に慰みものにされ、自由を奪われ。

 長すぎる寿命により死ねず、考えることすらやめれず。

 人間を恨み。

 奴隷主を殺すことだけを望み。

 牢獄のような、狭い狭いもてなし小屋の中で、朽ちもせず長々と生きていく。

 この状況で美しさをとどめることがどれだけ残酷か、この世でリリィにしかわからない地獄。

 そしてある日、ある一人の人間に出会う。


「俺を殺してくれないか?」


 一体、こいつは何を言っているのだろうとリリィは考えた。

 私が殺したい人間は山ほどいる。なのにこいつはわざわざ殺されにきてくれるというのだろうか。

 金色の不思議な瞳をした少年だとリリィは思った。


「私様がひと噛みすれば、人間など簡単に食人鬼になってしまうのじゃ」


 出来もしないことをリリィは言った。

 牙を抜かれ、爪を折られ、魔道具によって回復を阻害され。

 ただの都合のいい肉と化した自分に、人間を傷つけることなどできはしない。

 

「わかった」


 そう一言残すと、少年はその場から消えた。

 すこし時間を置いて、施設からはおぞましい悲鳴が聞こえた。

 肉を切り裂くような音、骨を断ち切る音、すりつぶされ断末魔をあげる悲鳴。

 奴隷主の命乞いと、長々と響く豚のような叫び声。

 そして滝のように血を浴びた少年が戻ってきた。


「関わっていたやつは全てやった。もう、これしか思いつかないんだ。こんな世界変わらないんだ。君はこれで俺だけ殺せば充分になった」 


 何がここまでこの少年を狂わせてしまったのだろうか。

 リリィは思わず、その少年を抱き締めてしまった。どうしてそうしたかはわからない。

 少年は不思議な能力で拘束を解いてくれ、リリィは自由になった。


 約束通り、リリィは優しく少年を噛んだ。

 甘く、切なく。深く深く。

 ――夜通し少年を噛み続けた。


「ぎゃぁあああ!? リリィちゃんどうして何もしてないのに目潰し!?」


「す、すまんのじゃフランツよ。ちょっと昔のことを思い出して……ひゃああぁ」


「いででで!? めりコンドル。リリィちゃんのおてて、めりコンドル!!」


 結局、少年は死ななかった。

 魔力を持たぬ体質だった故、食人鬼に変質しなかったのだ。

 たとえ食人鬼に変質して命を落としたとて、少年の望んでいた【死】は決して迎えることはできないだろう。

 リリィは気付いた。この少年はある意味自分と同じなのだ。

 長い時を旅する、美しき運命を背負った生き物。

 それからリリィは、彼のことをずっと見ている。

 おそらく寿命が尽きるまで見続けるだろう。

 新たに生れ落ちればその場所まで向かえにいき、すこし離れた場所から、彼のやる事をじっと見ている。

 四天王に参加したのも、彼を近くで見たいが為。

 優しくあろうと足掻く一人の人間のありようを見届けたい。

 リリィは悲しい表情で空を見る。

 曇った空だ、まあまあじゃの。


「はやくベルヌ様の血を吸いたいのじゃ」


「リリィちゃん、ベルヌ様の血しか吸わないもんな」


「だって嫌じゃもん」


「かわゆすなぁ。偏食吸血エルフたん」


「そういえば聞いてなかったのじゃ。フランツ、お主はどういう経緯でベルヌ様に出会ったのじゃ?」


「俺ちゃんめちゃ単純だよ」

 


 ――【疾風】のフランツ。


 その昔、魔術より錬金術が勝る時代があった。

 太古の錬金工房では人工生命の研究に熱を上げられていて、その素材にあらゆるものが利用されていた。

 原料になるのは人間、エルフ、妖精……基本理論は機械龍と同じだが、新たな生命を生み出すということはずっと高度であり難しい。

 成功例はゼロ、眉唾ものの理論だと思われていた。


 108の魂を掛け合わせ、108の身体を繋ぎ合わせたモノ。


 それがフランツの答えだ。

 錬金術師にとっては、フランツは限りなく少ない正解例のひとつに過ぎなかった。

 自我や意思などの介在は認めてもらえなかった。




 貴重なサンプルであるフランツは、培養カプセルの中で考えていた。

 培養液の中にいるフランツの世界は真っ暗な思考の海が全て。

 外部から振動のように伝わってくる、かすかな音がわずかな外界との繋がりであった。

 それでもフランツは幸せだった。

 ある時までは。



 ――我、何者。


「成功例001、今日も調子いいですね」




 ――我、成功例001……?


「この例と同じのつくれないですかな?」

「難しいみたいです。材料も大量に必要ですし」

「んじゃ、ずっとこのままか」




 ――ズット、コノママ?


「資金が止められるそうだ。この研究所も終わりだな」



 ――オワリ?


「コイツどうします?」

「放置すればいい。どうせ簡単には殺せない。そう造ったんだから」




 ――放置? ドコイクノ。


「魔術師の時代か……」

「錬金術師は不必要ってことかよ」

「散々働かせやがって。クソ」




 ――エ?



 ――マッテ、マッテ!





 ――ミンナ……キカイガトマッタヨ?






 ――ハヤクナオサナイと我は僕は、栄養がキテナイヨ!?





 ――クルシイよ、クルシイよ。





 ――ナンデシナナイノ? コンナニクルシイノニ。






 ――ダッタラ、ドウシテツクッタノ?






 ――ドウシテ、タスケテ、ドウシテ……。







 ――クルシイ、クルシイ……。







 ――ダレカ、タスケテ!!







 ――クルシイヨ。ボクハ、ドウシテ、ウマレテシマッタノ?




 …………。

 ……………………。

 ………………………………。



「すまん。遅れた。【人】がいる気がした。助けに来た!!」


「ごほ、ごほ、げほ……!?」



 カプセルを割られ、外の世界を初めて体験したフランツは、こんなに息苦しいところがあるものかと感じていた。

 でも、いい気分だった。

 肉塊であったフランツはベルヌの能力によって辛うじて人間の姿に戻され、生まれて初めて呼吸をしたのだ。

 埃臭い研究室の空気が、やけに透明に光っているような気がしたのをフランツは忘れない。

 エリアFーrank2。

 研究室の名前がそのままフランツの名前になった。

 


「ということがあったのさ」


「あの頃のベル坊……いつのまにかお前さんを連れてると思ったら、そんなことがあったのかえ?」


「な、惚れるだろ?」


「本当じゃよ。ずるいのじゃ」


 そう言うとリリィは肩車されているフランツの頭にぎゅっと抱きついた。

 「おいおい、リリィちゃんのちっぱいが……」まで言おうとしてフランツはやめた。

 ここは、なんて言うべきなんだっけ?

 やっぱ、冗談を言うべきところだっけ?

 リリィからポタポタと熱い水滴が落ちてきていた。

 空は雨が降るほど曇ってねえってのに。

 俺のような造られた化け物のために泣いてくれる奴なんて、本当に。この人たちしか。

 「おいおい、リリィちゃんの神秘的なお水が……」いや。

 フランツはあれから学習したのだ。

 こういうときは、こういえばいい。


「ありがとうな。話、聞いてくれて。ベルヌ様やリリィちゃんたちに会えたから、俺ちゃん生まれてきて良かったよ」


「うっさいのじゃー!!」


 グサー!

 幼女のおててがフランツの目に突き刺さる。


「ぎゃあ、なんでー!?!?」


「微妙に可哀想な話をするでないアホ。これからお主をいじめられなくなるのじゃ!」


「び、微妙かい!? あはは。でも、俺のためなんかに泣いてくれてありがとな。リリィちゃん涙もろいな」


「うっさいのじゃ!」


「ぎゃー!?」



 親子のような、友達のような、兄妹のような二人は雑木林を歩いていく。

 ダンダリオスまで後すこし。

 誰かと共に歩むなら、険しく暗い道のりでも寂しくないのだ。

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