第20話 裏側に潜む者

 ――魔法学校ダンダリオス。【開かずの部屋】とされる地下研究施設。





「うーん。ワインが切れてしまったね。ガリウス先生? そろそろ表に出たいんだけど、僕はずっとこんな辛気臭い地下にいなきゃいけないのですー?」


「うるさいぞ馬鹿者が! 貴様の持ち込んだ面倒ごとのお陰で、私は計画の大部分を前倒しにしなければならなくなったのだぞ?」


 おかっぱ頭で痩せぎみの中年男性……清潔な白の貫頭衣を着用し、ゆり椅子に座ったその男は退屈そうにワイングラスを揺らしてみせる。

 マイアー=ウィンテル=バルザック。ベルヌとアリスが追う、法国枢機卿のひとりだ。

 マイアーに背を向けて作業を進めているのは、学長代理のガリウス。

 黒のローブに長い髭は老練な魔術師の肖像を思わせる。

 中立機関であるダンダリオスの学長代理と法国の政治執行者であるマイアーが一緒にいる場面を見られたら大変なスキャンダルものだが、幸いにも彼ら以外『ヒト』はこの場所にはいない。


「つれないですねー。僕のおかげで先生の研究が数十年は早まったと考えてくれれば、それはそれで儲けものだと思うんですけどー?」


「まさか素体が貴様の追っ手にいたとは、その点は感謝する。だが、捕らえる方法までは流石の貴様も知らないであろう? 全く、私の我慢にも限界がある……あの可愛らしいうさぎ、まるで学内を裸体で歩くヴィーナスのようで、早く収穫したくて仕方がない」


「完成したんです? これ?」


「ああ丁度な。あとは核になる存在だけさ。これは歴史的な研究になるぞ……学長どころじゃない、世界すら手に入れられる力になるやもしれん」


「まるで魔王みたいな言い草ですー」


「魔王など目じゃないさ。もしかしたら勇者様よりも早く討伐してしまうかもしれないな!」


 手元を弄りながら子供のように笑うガリウスに、マイアーは冷めた視線を送る。

 それは皮肉なんですか、ガリウス先生?

 マイアーは最後の一口のワインを飲み干し、ガリウスに尋ねた。


「そいえば、編入しようとしていた輩って、何人でした?」


「二人だったが。もう一人は魔力の無いゴミだったな。すごすごと帰っていったぞ?」


「そうでしたか。では、僕もそろそろお暇《いとま》しませうー」


 ガリウスは眉をひそめる。

 マイアーから直々に願い出てきたのだ。この学校内に匿ってほしいと。

 法国の超法規的な力まで使って、古巣のダンダリオスに飛び込んできておいて今更なにを言っているのか?

 何か政治的なミスで暗殺者から逃げてきたわけではないのか?


「実は、迎えを頼んでいるのですー。お手間は取らせないので、実習エリアの塔をひとつ借りたいのですー。そこでワインを飲みながら待ちますですー」


「……貴様が卒業後、この学校に残っていたなら。すこしはまともな学生も増えたものを」


「買いかぶりですー。法国の官僚が僕には似合っているんですー。お金もまあまあもらえてますし、退職金も多いんですよー?」


「特Sを卒業した男の台詞とは思えないな。クズが!!」


 そういうあなたは、いつまでAクラス卒業の呪縛を引き摺るんですか?

 別に特Sクラスを卒業できなかったからって、成果を急がなくてもいいんじゃないですかねぇ。

 マイアーはかつての恩師にその台詞は告げなかった。

 おそらく無駄になる言葉だと、マイアーは知っていたからだ。

 マイアーは別れ際、懐から何かを取り出した。

 小さな水晶のような、紫色の物体であった。

 

「ガリウス先生、ありがとうございました。がんばってくださいねー」


「気持ち悪いな。貴様がそんな台詞を吐くなど……これは?」


「法国でとれためずらしい魔鉱物ですよ。どうか先生に研究してもらいたいと思ってー」


「……ふん。貴様も、危ない橋ばかり渡るものではない」


 おたがい様ですよ。

 その言葉すらもマイアーはガリウスに伝えなかった。

 ひどく小さくなったように感じる老人の背中を、二度と振り返ることもなくマイアーはその場を後にした。



「ガリウス先生、どうか立会いをお願いします!!」


 ガリウスが開かずの部屋から出て来た所で。

 ちょうど、特Sクラスの生徒が【マーリーン】の称号を掛けて決闘を行うとの話が舞い込んだ。

 目をかけていた共和国の女子生徒に泣きつかれたガリウスは、いい機会だと考えその提案に乗ることにした。

 特Sクラスのマリーという生徒が、ティアラとアリスの決闘を受けて立つというのだ。

 ゴミクズのような貴族女だが、研究費用を提供してもらっている事情がありキュスターヴには借りがある。


 確かあのうさぎは帝国の捨て子と呼ばれる貴族女とよろしくやっていたはず。

 面倒ごとを運んでくる馬鹿生徒も、このときだけは天使のように思えたのであった。





 ――決闘デュエル


 魔術師最強の名を冠する、【マーリーン】の座をかけたダンダリオス内での魔法対決を指す。

 本来は明確で厳格なルールが設けられ、審査する教員を複数おいて行われるべき行為のはず。

 それは昔の話である。


 夕闇が落ちてくる。

 生徒たちはそれぞれ寮へと足早に戻り、学内に残るものはまばらになりつつあった。


 今は使われなくなった、教会施設だった建物の中。

 共和国の生徒10人に囲まれたティアラが、杖を中央のマリーに向け、毅然とした態度で睨みつける。

 人間が発動できる魔法は一度に一発。

 つまりどれだけティアラが優秀だろうと、10人の魔法使いにかこまれたこの状況下では敗北は必至である。

 立ち会うのは学長代理、ガリウス。


 明らかな八百長試合であった。

 マリーは勝ち誇ったように両手を広げ、教会の中を見回す。

 外を通る学生は少なく、時間帯も今は放課後。かなり人が少ない。

 

「捨て子様もこれまでですね。ここは誰も来ない、誰も知らない、誰も近寄らない三拍子揃った、とても都合のいい決闘場所なのです。あなたがどれだけ叫ぼうが、悲鳴をあげようが気付くものはいないのです」


「……そうくると思いましたですの。あなたの根性は本当に捻じ曲がっているですの」


「あのクソうさぎはどうしましたか? 二人で決闘を受けるように言いましたよね?」


「知らせるわけないですの。あなた達なんて私一人で余裕ですの!」



「…………チッ」


 マリーの背後で控えているガリウスは舌打ちした。

 本当に役に立たない貴族女だな。こいつじゃなくでもう一匹の方なんだよ。

 だが、この帝国の捨て子は利用できるかもしれないな。

 やたらとうさぎと仲良くしているという話であった。


「さっさと始めてくれ。私は忙しいんだ」


「すみませんガリウス先生。お時間はとらせません……ここであったことは他には」


「ああ。黙っておくよ。君の父に誓ってね」


 ニタリと嗤うマリーに吐き気を催しそうになるガリウスであったが、ふと考えてもみる。

 研究のためとはいえ、自分のしていることは一体なんだ?

 私は校長代理、生徒を導く立場の先生だったのに……。

 いや、こんなクズのような生徒がはびこるようになったのは、私のせいじゃない。

 全ては学問を怠けているこいつらの自業自得じゃないか。

 そうだ、何人使おうが問題ないじゃないか。

 ガリウスの心は深い絶望に飲み込まれていく。

 マイアーから貰った水晶が冷たく光った気がした。


 マリーは歪んだ嗤いで顔を一杯にして、ティアラに近づく。


「ティアラさん? お綺麗な顔のまま、お嫁に行きたかったのではないですか? 私は一度目をつけた獲物は絶対に逃しません。だって気に入らないんですもの……あなたという存在がこの学校にいるだけで、毎日が憂鬱で憂鬱で仕方ないんですもの!」


「生憎ですの。わたくしは貴方なんて最初から眼中にないですの。それにもっと言えば【マーリーン】もどうでもいい。ガリウス先生! どうか、この勝負が終わったら【開かずの部屋】の秘密を教えては下さりませんですの?」


 ほう。とガリウスはティアラの必死な顔を見据える。

 きっと失踪した者の関係者なのだろう。涙ぐましい努力でどうやら【開かずの部屋】が怪しいとまで嗅ぎつけたらしいな。

 美しい少女だな、そういえば似ている。

 骨格と、筋肉のつくり……皮膚の色に魔力の質。

 最後まであきらめない強い光の差す、瞳。




 あの【原料】にした男子生徒に、とても似ているとガリウスは思い返す。



「いいだろう。では始めろ。――決闘。正々堂々と戦いたまえ」 

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