第19話 クッキーの味
嫌な話を聞いてしまったな。
アリスは教室にもどり、机に向かいながらそう考えていた。
ティアラの兄……分家の三男、ミストは魔法学校ダンダリウスの生徒で、卒業間近の優秀な成績だったらしい。
卒業を控えた冬、ずっと届いていた手紙が途絶えた。
心配して方々手を回した結果、行方知れずになっていることを知ったティアラはあろうことか自分でこの学校へと乗り込むことにした。
ミストの他にも、何人か行方不明になっている生徒がいるらしい。
その多くは未解決だが、ティアラはきっとダンダリウスの中にいるに違いないという女の勘に近いもので行動を起こしたのだ。
ティアラには元よりずばぬけた魔法の才能があったが、自分の役目は貴族の令嬢。
どうせ地方貴族との婚約で権力の交換、それも大した威力のない役目として一生を終えるだろうと覚悟を決めていたらしい。
ティアラの幼少期は、地獄の
本家には疎まれ、送り込まれた分家には腫れ物あつかい。
しまいには使用人にすら捨てられた子だと囁かれて育ってきた。
ティアラをたった一人だけ、家族として接してくれた義兄ミストをどうしても探したい。
その気持ちひとつで通常なら数年かかる受験を半年で突破し、上手くアデウス本家へ話を通しダンダリウスへと入学したらしい。
そしてそれから半年間。たった一人で兄を追っていたというのだ。
父からしても、腫れ物を処分する意味があったのかもしれない。
学校で市井の男とねんごろになればなにかと邪魔な奴隷の子供を家から追い出せる。
そう思っているに違いないとティアラは話した。
ティアラの話を聞いて、アリスは自分には父親がいなくてよかったと思ってしまった。
それともマイツェンという男だけなのだろうか?
アリスにはマイツェンの思考が理解できなかった。
とにかく、ティアラの話ではもう探していない場所はマーリーンの資格で入れる開かずの間と呼ばれる研究室ぐらいだということだ。
もしかしたら、ミストはその部屋にいるかもしれない。
お兄ちゃんは優秀だったから、捕まって何か特別な研究をさせられているかもしれない。
これがティアラの言う、協力してほしい理由だった。
(無理ね)
どうしてはっきり伝えなかったんだろう?
アリスはもやもやする気持ちで胸が一杯だった。
(一年近くも前の話なのです。きっともう……それに私はマイアーを追わなければ)
隣に座るティアラは、相変わらずすました様子で椅子に座っている。
こうやって、この教室で孤独に半年も耐えてきたのだろうか?
マリーや他の生徒たちが彼女を必要以上に攻撃するのは、彼女が優秀だから。
アリスにはわかる。
魔素の量や質……魔法の才能はどう見ても彼女がこの教室で一番だもの。
どうしてマリーからマーリーンを奪えないのかしら?
アリスは純粋に疑問に感じた。
ふと気がつくと、考え事をしていたアリスの目の前に誰かが立っていた。
「あら、アリスさん。そういえば私、クッキーをつくってきましたの。食べてくれますよね?」
……マリーね。相変わらずふわふわした髪と服、あまったるい目。
背後にはぞろぞろと同じような格好をしたクラスメイトを引き連れている。
なにやらバスケットに入った包みをもって、伯爵令嬢マリー=キュスターヴがアリスの前に佇んでいた。
クッキーの包み紙には、大仰な刻印が印されている。
「この刻印はキュスターヴ家からの正式な友好の証です。是非、この場で食べていただきたいですねぇ」
「どういう意味?」
「食べなかったら、平民であるあなたはキュスターヴ家に反逆の意思があるという意味。ですかね?」
「……気にしなくてよろしくてよ。そんな混ぜ物クッキー、アリスさんのお口に合うわけがありませんの」
隣のティアラがさっとバスケットを手で遮る。
マリーはガシリとティアラの手を掴むと、タカが獲物を睨みつけるようにして凄む。
ゆるふわな見た目の割りに、マリーの力は強いらしい。
「埃がつくではありませんか。わが家の紋章に!」
「くっ……触らないでくださる?」
「マーリーンである私に逆らうのはあなただけよ? 捨て子のティアラさん?」
「…………っ」
その場が凍りつくような女の闘い。
男子生徒は震え上がり、女子生徒は身体の芯が燃え上がるような心地を味わっている最中。
マリーの持っていたバスケットが、ガサガサと音を立てていた。
「あむあむ……まあまあですね。めずらしい材料を使われています」
「………………はぁ?」
アリスが、マリーのクッキーをリスのように食べていた。
それはあってはならないこと。
何故なら、魔法素材で味付けされたそのクッキーの味は【超激辛】。
食べたら舌が腫れ一週間はのたうち回る程の危険物だ。
まともに食べて平気なわけがない。
というか、一枚まるまる食べたら致死量のはずである。
次々と口に運びつつ、アリスは冷静に指摘した。
「マリーさんですか、料理の腕はまだまだですね」
「は……なんで……」
「勉強したほうがいいです。特に好きな人がいるなら、これじゃダメですね」
「あなた……なんで平気なのモゴッ!?!?」
「味見してみるべきですね」
アリスは、クッキーを一枚マリーの口へと押し込んだ。
教室を沈黙が支配する。
マリーの顔が赤くなり、白くなり、そして最後は緑になった。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁあああ!? 辛いぃいぃぃぃいいいいいいいいい!?」
「うわっ! いきなりなんですか。吐き出すなんて汚いですよ?」
周囲に構わず水飲み場へと走り出したマリーを、アリスは首をかしげて見送った。
ティアラはアリスの顔をまじまじと見つめる。汗ひとつかいていない。
「アリスさん、あなた大丈夫ですの?」
「何がですか?」
「あのクッキー……見ての通りものすごい威力でしたの」
「ちょっとした刺激があって、美味しかったですよ。今度、意中の方につくってみようかと」
「それはやめてさしあげたほうがよろしいですの。……うふふ。マリー、面白い顔でしたの」
「そうみたいですね……ふふっ」
満面の笑みのティアラに、微笑むアリス。
感のいい女子生徒は気付く。
ああ、アリスさんはうさぎなんかじゃなかったわと。
彼女は猫なのね……それもとびきりやんちゃで、可憐な黒猫なんだと。
そして隣に座るティアラはみにくいあひるの子じゃないみたいだ。
きっと彼女は誇り高く美しい白鳥だったのだ。
半年間、マリーに同調してティアラをいじめていた女生徒たちの意識にすこしのゆらぎが生まれ始める。
花をつみにいっている最中であるマリーにはわからない変化であった。
小競り合い。
そう表現するのが一番しっくりする、くだらない戦いが続いた。
アリスにとっては攻撃されているとも思えないしょうもない行動であったが、特Sクラス内の雰囲気は少しずつアリスとティアラに傾き始める。
(……教科書がないわ)
「先生、アリスさんが教科書を忘れたみたいでーす。ちなみにティアラさんも教科書ないみたいでーす」
マリーの取り巻きが、何故か声をあげる。
女教師が困った顔をする。しかしアリスは涼しい顔で、
「全て暗記しているので大丈夫です。授業を続けてください」
ティアラも不敵に笑い、
「わたくしも同じく。覚えるだけなら簡単ですわよ?」
完全に内容を暗唱してみせるアリスとティアラに、マリーは持っていたペンを震わせる。
次にあてられたマリーは問題を間違え、顔を真っ赤にして椅子に座りなおした。
クスリと笑った女性徒がひとりいたが、その生徒は次の授業には出てこなかった。
「――光雷(ライトニングボルト)」
「すごいですマリー様!」
「Aランクの魔法を軽々と使えるなんて、とてもまねできません」
「たくさんのギルドや研究機関から引く手数多ですよ!」
実技の授業では、マリーの元に取り巻きが集まり囃し立てていた。
特SクラスではAランクの魔法などめずらしくもないのだが、マリーの魔法はやや発動が早いということで毎回自慢するのが通例で授業が止まる。
マリーを気にしないアリスとティアラはすこし離れた場所で魔法を発現させる。
アリスはティアラの才能に興味があった。かなり筋がいい。
「――
「え、Sランクの魔法ですか。まだ入学して半年ですよね? ティアラさん……」
「マジか……いったいこの世で何人使えるんだ?」
「勇者パーティに入れるんじゃ……」
「ものすごい威力だし、美しいな」
ターゲットにされた人形は絶対零度に近い冷気に包まれ破裂した。
恐らく威力を抑えてこの攻撃力なのだろう。
半年でこの実力なら、きっとかなりの魔法使いになるだろうな。
アリスはティアラには魔法使いとして進んで欲しいと感じていた。
それより、目の前の木の人形に魔法を飛ばすのが授業?
アリスは適当に流そうと、人間が最初級とする魔法をいくつか発動した。
「――
「…………ええっ!?」
「いま、アリスちゃん魔法を同時に三つ発動したよね?」
「まさか……だって魔法は一度にひとつしか発動できないのが原則でしょ?」
「ばか。何か魔法道具を使ったんだろ?」
「どうみても持ってないじゃん?」
なにやらアリスに視線が集まっている。ティアラも驚いた様子でこちらを見つめている。
ざわついてます。緊張します。
見間違いということにしておきましょう。
「気のせいですよ?」
「んなわけないですの! アリスさん、あなた一体何者ですの!?」
「ぎゃあ、辛いー」
「今さらですの!? ごまかさないでくださいまし。どうやって三つも魔法を発動したんですの? 非常に興味深いですの!!」
わいわいとアリスとティアラの元で盛り上がる特Sクラスの姿を、離れた場所から睨みつけるマリーとその取り巻きたち。
マリーの瞳には鷹が獲物を狙う視線から、獲物を奪われたハイエナのごとき執念の炎がちらついていた。
「…………ガリウス先生に連絡をお願いします。
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