第18話 理由

 ――カンカンカンカン……。




 遠くから聞こえる、危険を報せる半鐘の音によりアリスはパチリと目をあけた。

 それきり聞こえなくなる……。

 学校の外かしら?

 どちらにしても、寮からではかなり遠かった。

 アリスは再び目を閉じた。




 翌朝。

 特Sクラス、教室内。

 アリスは一応授業を受けるため、特に興味はないがクラスへと顔を出す。

 講義がある時間に学内をフラフラしていては目立つからだ。

 まだベルヌ様からは連絡が来ない。

 もどかしいが、仕方がない。


「なんだか昨日、魔物の襲撃があったみたいだぜ?」

「門の外だろ? 最近おかしいよな」

「Aクラスの魔物だったらしいけど、ソッコーで討伐されたらしいよ?」

「マジ? ありえんでしょ。外を守ってるのって雑魚の守衛部隊だろ」

「先生がたが動いたのかな? 魔物の凶暴化は怖いですね」


 なにやら噂でもちきりのようだ。

 なーんか気になる話だけど。しかしアリスは黙って席についた。

 アリスには能力をなるべく使うなと言った、ベなんとか様の仕業の気がしますが?

 決め付けはよくありませんねと思いつつも、頬を膨らませて教科書を準備する。


「おはようございますアリスさん。ごきげんはいかがかしら? 昨日のお話ですけれど……」


「なんだドリルですか。誰かに話しかけられたかと思ってびっくりしました」


「なんですのーっ!? どりるではなく縦に巻いた髪ですの!! 毎朝、日の出からセットしているですのーっ! それに話しかけたのは私で、髪の毛ではないですのー!」


「うるさいですね」


 朝から騒がしい女が隣にいて不幸です。

 アリスはうんざりした様子で頬づえをつく。

 深窓の令嬢という言葉がある。

 世俗に染まっていなさそうな、純粋極まりない娘。

 クラスの男子からすればアリスがまさにそれであろう。

 手の届かないほどの美少女が、まさか自分のクラスに飛び込んでくるなんて。

 あまりに美しく絵になるため、誰も声をかけられずにいる。

 その雰囲気が女生徒たちにはひどく気に入らないらしい。

 男には気付けないピリピリした空気が流れていた。


「ふぅ」


 授業というものはアリスにとって退屈だった。

 知識として関心するものはあるものの、基本的にアリスに役立つようなものはない。

 まるで子供に言葉を教わっている気分だわ。とアリスは溜息をつく。

 人間にとっては最高の教育でも、私にとっては……。

 ベルヌ様の事を考えているうちに休憩時間となった。


「アリスさん、お近づきのしるしといったら何ですが……ちょっとした焼き菓子をつくってまいりましたのです。こちらでご一緒しませんか?」


 ひとりの女性徒が近寄ってきた。

 甘い香りを漂わせる、ふわふわした雰囲気の女だとアリスは思った。


「あなたは誰?」


「マリーと申します。共和国領から参りました、父はキュスターヴ領伯爵です」


「ふうん」


 どうしてそこで父の紹介が入るのだろう?

 疑問に思ったアリスであったが、そういう自己紹介なのだろうと納得した。


「私の父はいないわ。母もいない。それで?」


「……あなたは、貴族の生まれではないのですか?」


「そうですけど。それで?」


「ならば何故この特Sクラスへ? 魔法具も、教育も高価な時代ですのに、どうやってここまで御一人様でいらしたのかしら?」


 嫌味を込めた質問だった。

 大きな声で、できるだけクラス中に響くように。

 伯爵令嬢というマリーの立場からすれば、父と母のいないアリスは孤児で卑しい身分。

 金も身分もないのに、どうやってこの学校に入学できたのか?

 マリーは遠まわしにそう告げたつもりであった。


「歩いてですけど?」


「……あ、あるいて?」


「歩いてここまでやってきましたが? 何か問題でも?」


「い、いえ……ずいぶんと足腰が達者なのですね? もしかして父も母もあなたを置いて身罷るほどお貧乏な平民育ちだから、荷物引きのロバのように歩くのは慣れてらっしゃるのかしら?」


「はい」


 マリーは驚いた。かなり踏み込んだのに。

 淡々と受け答えするアリスに、マリーはたじろいでしまう。

 まだだ、このうさぎはまだ逃さない。

 マリーはアリスの隣に座るティアラに対し、鷹のような鋭い視線を送る。


「ずいぶんと仲がよろしくなったみたいですね、帝国の捨て子様と、期待の貧乏育ちのアリスさんは?」


「余計なお世話ですわ。あなた達は男漁りにでも精を出していらっしゃいな。私は、共和国だ帝国だ、貴族だ平民だなど興味ないですの」


「あら、お友達がいないティアラさんにはお似合いでしたかしら? 卑しいお子ですものね?」


「あなたのお化粧ほど、下品で卑しくはないですの」


 すました顔で受け答えるティアラ。

 全く状況がわからないアリスは、ぽかんとした顔でティアラに尋ねる。


「このマリーという女はやたら絡んできますが、もしかしてドリルのことが好きなのですか?」


「どりるじゃありませんわっ!! ティアラですっ。もうっ! アリスさん、行きましょう? すこし長めにお花をつみにでも行ってきましょうか?」


「花なんて興味ないです」


「いいですからついてくるですのっ!」


 ティアラに手を引かれたアリスは、強引に教室から連れ出される。

 クスクスと嗤うような女子生徒の視線が気になったが、ティアラに従い中庭へとやって来た。

 ティアラが顔を真っ赤にし、ドリルが舞う。


「なんなんですの!?」


「こっちの台詞ですが? どうしてもうすぐ授業が始まるのにこんな所に?」


「どうして怒らないんですの!? あなたのお亡くなりになったお父様とお母様を馬鹿にされていましてよ!? あんのクソマリー……やっぱり矛先をアリスさんに向けるなんて、最悪ですの」


「いないので大丈夫です」


「アリスさん……あなた」


「私の両親は元からいないので、怒る理由がありません。でも、私のために怒ってくれたなら礼を言っておきましょう」


 アリスは事実を述べた。

 すると、突然ティアラはうるうると瞳を潤ませたではないか。


「アリスさん。やっぱりあなたは私の見込んだ人間ですの……」


「え? なんですか?」


「お辛い経験をされたのに、一切顔に出さず……それにあの猛禽類どもの攻撃にも、全くたじろいでいなかったようにみえました。どうか、わたくしの心の友達になってくださいまし!!」


 なんなんですか、このドリル!?

 また手を取られてしまったアリスは、うるうると迫るティアラの剣幕に負けそうになる。

 アリスの心に伝わってくる、ティアラの感情は。

 ――悲しみ。

 思わずアリスは、ティアラに対しこう伝えてしまったのだ。


「わかったから! 離してください……」


「ホントですの!? うれしいですの!!」



 喜ぶティアラは心から笑っている表情に見えたのに、繋がる手から伝わる深い悲しみの感情にアリスは驚く。

 あなたこそ、一体どんな経験をしてきたというのだろう。

 人間の感情の複雑さに、アリスは改めて関心したのであった。

 まるで、ベルヌ様みたいな……。

 

 ティアラは、堰を切ったように自分のことを話し始めた。

 まるで誰かに聞いてもらいたくてしかたなかったかのように饒舌に。


「私は当主の……父マイツェンの実子ですが母親が奴隷でしたの。だから、私は幼いころに分家に養子となってその後晴れて15番目のアデウス公女となったいきさつがあるのです。だから、皆は【捨て子】だとか言うのでしょうね。それにこの学校ではずっと共和国勢力がマーリーンを獲得してきましたの。帝国貴族の肩身は狭いのです。公爵であるアデウス家でも、15番目となるとこんなものですの」


「え、どん引きです……」


「……アリスさんも、私を汚い捨て子だと思うですの?」


「何人子供つくるんですか……」


「そこですのー!? お父様の節操のなさは否定しませんけど、他貴族の養子もいるですのよー!」


 15人は流石に壊れてしまうかしらとアリスは無意味な妄想をしてみる。

 いや、ベルヌ様と私ならいける気がしないでもない。

 むしろ何人でもどんとこい。

 話が変わっていることに気がつき、アリスはやっと我に帰る。


「わたくしがマーリーンを獲得したいのは、【開かずの部屋】に入りたいためですわ」


「【開かずの部屋】?」


「そうなのですの。この学校には、謎の研究が続けられている【開かずの部屋】という場所があるらしいですの。どうもその場所には、生徒や一般の教師に知らされていない秘術や未知の素材が盛りだくさんらしいですわ」


「へえ……」


「魔術師最強と言われるマーリーンの資格で入れる研究室がいくつかありましてよ。恐らくその資格があれば見つけることができますわ。憎たらしいことに、現在そのマーリーンはあのマリーと取り巻きに取られているですの」


 アリスはすこし興味深いと思った。

 隠匿性の高い場所なら、マイアーが隠れている場合がある。

 それに魔術の最高峰なら、紫水晶に関連する研究も密かに行われている可能性も否めない。

 あれは魔法とは似て非なるものだが、研究できるとしたらここぐらいしか思いつかない。


「それで、開かずの部屋に入ったとして。あなたは何をするつもりなの?」


「それは…………」


 ティアラは口ごもる。

 饒舌に話していたこれまでと明らかに様子が違いうつむいて口をつむぐ。

 言いづらいことならば、別に聞かなくてもいいかとアリスは思ったのだが。

 しかし、意を決したようにティアラは言葉を発したのであった。




「いなくなった兄を……探していますの」

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