第5話 再構築

 ああ、喉が渇いたな。


 あれから一ヶ月は経過しただろうか。



 人間の身体の便利なところは、涙と共に激情は洗い流されるということだ。

 しかし涙が流れ出た分、心にはぽっかりと穴が空くらしく。

 俺は宿屋に引き篭もる毎日を繰り返していた。


 あの丘で告げられた言葉の衝撃は、何百年も生きたところで精神は鍛えられない証明のようにのしかかってきた。

 むしろ威力が倍増して俺の心を蝕んできた。

 純粋な乙女だと信じていたミカエラの口からあのような言葉を聞かされるなど、人間を信じて転生を繰り返した俺に対する一番の地獄の業火だ。




 信じた。




 信じることに慎重にならざるおえない俺が、ミカエラとクロードだけは掛け値なしに信じていた。

 一緒に育ったからだ。

 転生して生まれてくる……生きること自体が隠し事の俺だが、ミカエラの笑顔は……。

 いや、もうよそう。

 答えは出たのだ。

 俺は勇者じゃなかった。

 勇者は別にいたのだ。なら、俺がわざわざ演出する必要などなかったのだ。

 なんと滑稽な話か。


 乾いた笑いが出る。

 やせ細った俺の肢体。

 食物をとれと身体が言っている。

 そうまでして生きたいか?

 また裏切られたいのか?


 ――コンコン。


 部屋がノックされた。

 この場所は誰にも告げていない。

 おそらく物乞いか酔った冒険者だろう。

 俺に用事などないだろう?

 裏切られ、勇者でもないこの俺はこの世界で何もなせやしない。

 ただの転生を繰り返す呪われた運命保持者だ。

 

 ――コンコン。


 しつこい。


 ――コンコン。


 やめろ。

 うるさい。

 俺にかまうな。

 

 

 もう目標を見失ったんだ。

 婚約者すら奪われた。

 そんな人生に何の意味が?

 エマやヨランダまでに馬鹿にされ。

 場末の宿で樹木のように動かず過ごすこの俺に。

 神だとて用事などないだろう?


「んーいないんですかね?」

「たぶん寝てるのじゃ」

「み、みなさんここは宿屋ですから静かに……」

「あれしようぜ、ドッキリ!」


 聞き覚えのある声がする……。

 そうか、彼らは。



「すみませんベルヌ様。お部屋に入らせていただいてもよろしいですか?」


「……それは扉を壊す前に言ってくれ」



 魔王の部下である四天王。

 つまり、俺の滑稽な一人芝居の、被害者たちであった。

 彼らはローブで正体を隠しここまでやってきたらしい。

 せまい部屋にずかずか入ってくる四人。

 一列に並ぶと、俺に対して深く頭を下げた。

 もうそんなのはいいんだよ。

 俺は皆を前に頭を下げる。


「すまなかった。俺の茶番につきあってくれてありがとう。謝っても謝りきれないが、俺は失敗したみたいだ。本当にすまない」


 俺の目の前に顔をそろえた四天王。

 つまりは魔王の幹部としての役割を与えられた、偽りの存在たち。

 民衆を喜ばせるため勇者に倒される運命を持っていた演者だ。

 彼らにはこの身体に転生する前から協力してもらっている。

 長らく時間をかけた準備も全て灰燼に帰してしまったが。


「四天王は解散してくれ……どうやら本物の勇者がいたらしい。クロードの【聖剣】の力は俺の力を超えていた。俺は恥ずかしげもなく逃げ帰ってきた。はは、笑ってくれ。死ぬのが怖かった……婚約までした相手を取られ、剣を向けられ、それでも戦うことなく言われるがまま逃げてきた。どうか馬鹿にしてくれ」


 一ヶ月間、黙りこくっていた分が流れて出るように情けない言葉が口から紡ぎだされる。

 彼らには理想を語り、ついてこいと無茶を言い、実際に無茶をさせていた。

 嫌われ役など誰もやりたがらないはずなのに、魔王の幹部など存在しない役を買って出てくれた稀有な仲間たち。

 彼らが動いてくれたから勇者と魔王の神話が成り立ち、ここまでこれた。

 俺が転生を繰り返す人間だと知っている唯一の四人でもある。


 アリス。

 シャティア。

 リリィ。

 フランツ。

 

 彼らには申し訳ない気分でいっぱいだ。

 どうか俺のことなどほうっておいて、クロードたちの手の届かないところで静かに暮らしてほしい。


「嫌ですけど?」


 開口一番。

 アリスは鈴のような口調で拒否を表明した。

 すこし酔っているのかローブから見える顔が赤い。


「じゃ、やっちまおうか?」

「のじゃ」

「ベルヌ様ごめんなさいぃ」



 お、おい一体なにを……?

 彼らは布袋を俺の顔にむぐぅ!?

 な、なんだお前ら、俺を殺す気か?

 布袋を顔にかぶせられた俺は、視界を失い動揺した。

 まさかそんな原始的な……。

 ひょいと肩に担がれる感覚。これはフランツだ。

 一体どこへ連れて行くつもりだ。しかし一ヶ月も飲み食いしていなかったせいで抵抗する気力が。

 やがてゆっくりと俺は床に降ろされた。まるで大事なケーキでも取り扱ってるかのように。

 だったら顔の布袋外せ!

 どこだここは? 湿気のある部屋?

 あれ?

 おいおい俺の服脱がすな!

 駄目だ。駄目だぞ俺の服っ。

 どうして顔の布袋は取ってくれないんだ?

 ついに顔の袋以外が取り払われた。

 つまり全裸。

 ひゃっ!?

 手?

 誰だ俺に触ったやつ?

 ……もしかして、ここって風呂か?

 俺の身体を洗ってくれているのか?

 おいやめろ。

 石鹸をつけるんじゃない!

 いったい誰の手だ?

 俺はごしごしと身体中洗われる。繊細な手つきに変な気分になってくる。

 えっ、上手……違う違う。

 

「ちょっ、ひゃっ、やめっ。やめろ馬鹿!」


「四天王は解散しません。もう決めたので。だからベルヌ様も、魔王を続けてください」


「アリスか!? 何のつもりだ? 魔王なんて続けても意味ないぞ!」


「意味はあります! ベルヌ様は本当に【聖剣】が平和をもたらすと思っているのですか?」


「…………」


「ずっと引き篭もって……お風呂ぐらい入ってください! うりうり、ベルヌ様ここがいいんですかね?」

 

「ぎゃあ!? ちょっ……か、会話できなくなるからっ」


 アリスの手が俺の繊細な場所に。

 聖剣がもたらす平和? そんなものは……。


「魔物が活性化しています。それに法国のあやしい動き。お気づきなんでしょう?」


「あやしいっ……動き!?」


「【聖剣】は強い。でも平和をもたらす存在じゃない。気付いているなら最後までやり遂げましょう。勇者がいるのなら、魔王だって必要です」


「……お前ら、苦しい戦いになるぞ?」


 俺はその場にいるはずの皆に告げる。

 間髪いれずに返答は帰ってきた。


「シャティア。ずっとついていきますですぅ」

「このリリィも承知の上での行動なのじゃ」

「もちフランツ、俺ちゃんも最後までお供しますぜ!」



「お前ら……」



「アリス。いつまでもベルヌ様の元に」



 風呂場で一体どういう状況なんだよ。

 だが。

 嬉しくて思わず涙が溢れる。

 気付かれぬように、ぬぐってから布袋を取る。

 目の前には筋肉がいた。


「アリスちゃんだと思いましたー? ベルヌ様残念っしたね、俺ちゃんでしたー!」


 俺の身体を洗っていたのは、筋肉達磨の四天王【疾風】ことフランツだった。

 うん。

 アリスじゃなかったのか。

 別に残念じゃない。決して。

 俺は別にフランツの手を気持ちよく思ったわけじゃない。

 アリスは少し離れた場所で俺の身体を見て顔を赤らめていた。

 チラ見するシャティアに、まじまじ眺めるリリィ。

 お前ら。



「馬鹿たれがぁぁあああ!!」


 魔王を全裸に剥く部下がどこにいる、どこに。

 あれ、笑えてる。

 俺、笑えてるじゃん。

 二度と心から笑うことなんてできやしないとタカをくくっていたけど、四人は簡単に俺を笑わせる方法を知っているみたいだな。









「準備はいいか?」


 空気を大きく吸い込むと、森の空気で肺が満たされる。

 冒険者の朝は早い。依頼の内容にもよるが、基本的に明朝より行動を開始し日暮れにより活動を終える。

 【勇者】であった頃に身につけていた高級な装備とはかけ離れた、初級の冒険者が身につけるようなもの。

 黒のローブでそれらを隠すように覆い、立ち上がる。


「ええ。ベルヌ様」

「だいじょうぶですぅ」

「いくのじゃ」

「俺ちゃん絶好調だぜ」


 冒険者、銅等級パーティ【リベイク】は初依頼に挑戦だ。

 カヌの森に湧き出た魔物の調査。

 最近の魔物活性化騒動の渦中である森の一つだが、ギルドのある街にほど近い。

 危険はあるが銅級のパーティでも付き添いさえあればこういった依頼の許可が下りる。


「じゃ、行くとしますか」

 

 俺は新たな一歩を踏み出したのだ。

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