狐夢

猫神流兎

狐夢

 僕は昔、ご主人と一緒に一匹の狐を助けた。


 ご主人と散歩の帰り道にその狐は小さな神社の鳥居の側で倒れていた。初めは人馴れしている野生の狐だと思って僕は近づいた。しかし、よく見ると左眼が眼球深くまで傷つけられ、足に多くの擦り傷を追っていることが分かった。

 そのことをご主人に伝えるとご主人は即急に保護して手当をしてくれたのだ。

 狐は三日くらい家で休んだのち、森に帰っていったことを覚えている。


 その狐が今、燦々と太陽が煌く夏の昼頃。鳥居が連なる山の石階段で僕の行く手を阻むように階段の上段で座っているのだった。


 なぜこの狐が昔助けた狐だと分かったかというと、昔助けた狐は突然変異なのか二尾の尻尾を持っており、左目が怪我で失明して瞼を閉じていたのだ。そして何より、僕のご主人があげた手製の布のリストバンドを左前足に身に付けていたからである。これだけ酷似している特徴があれば間違いないだろう。

 

 取りあえず、あの狐が助けたあとも健康的で元気な生活を送っているということが分かって良かった。


 そんなことをニコニコしながら考えていると、狐は肯定するかのように元気良く「こーん」と一鳴き。


 ん? この狐は心が読めるのか。


 僕がふとそんなことを思うと、狐は首を縦に振って「こんっ」と元気良く鳴いて反応してくれた。どうやらこの狐は心を読める能力を持っているようだ。


 へー、僕もその能力欲しいな。僕にもその能力が使えるようになるのか?


 狐に向かって心の中でそう呟くと、狐は悲しげな表情と共に首を横に振って「こーん」と悲しげに鳴いた。


 なんだ、僕には出来ないのか。出来たらご主人ともっと気持ちが伝わって便利だと思ったのになぁ、残念だが諦めよう。

 それにしてもこの狐はいったいどうしてここにいて何がしたくて僕の前に現れたのだろうか。


 僕はまったく検討が付かず、ジーッと半ば閉じた目で狐を見ると耳をパタパタ、尻尾をゆらゆらと動かしてそちらのことなど知ったことかと言いたげな表情をして階段をゆっくりと上り始めた。


 あ、スルーですか。僕の心読めてますよねー? 狐さーん?


 僕は狐にスルーされたことが少し癪にさわり、優雅にゆっくりと上っている狐に気づかれないように音を殺して素早く上って近づく。


 どうやらこの狐は此方の姿を見ていないと心が読めないらしい。こちらがやろうとしていることにまったく気がついていない。

 

 僕は狐が上る度にゆらゆらと揺れている二尾の尻尾のうち、向かって左側の尻尾を両手で包み込むように抱きつき、顔をうずくめるように触ってやった。


 何これモフモフ天国だぁ~。


 すると狐は体を硬直させると全身の毛を逆立たせて右側の尻尾で思いっきり僕を殴り飛ばした。


 おっと、これは予想外。僕のせいはここまでかっ!


 小柄で体重が軽いため僕の体は思いっきりふっ飛んだ。宙に浮く感覚と自重で後ろに引っ張られる感覚を同時に感じる。

 このまま階段を転げ落ちるという最悪の事態が頭の中を横切った。


 しかし、そんなことにはならなかった。


 狐も僕がふっ飛ぶことは予想外だったらしく、落ちていく僕を見ながら驚いた表情をしていた。が、僕が瞬きをした一瞬に消えた。すると同時に僕の背中は極上の絨毯のような肌触りの毛並みに包み込まれた。

 何があったかは直ぐに理解できた。怖かったが落ちなかったことに安堵して僕は背中に当たっている毛を撫でるように触る。


 やばい、これは癖になる。


 頬を緩め夢中になってその毛並みを堪能していると、低めの声で「こん」と狐が鳴く。それと同時に石階段の踏み場に落とされた。


 ヒドい! もっと触らせてよ!


 狐に文句を言ってやろうと僕は直ぐに起き上がり階段の下段の方を向く。しかしそこに狐はいなかった。


 あれ、どこにいったのだろう?


 キョロキョロと辺りを見渡すと狐は僕よりも上段の踏み場に座っていた。


 なんだ、この狐。転移も使えるのか、すげー。


 キラキラと目を輝かせながら狐を見ていると狐はプイッと僕から目を逸らした。


 あ、もしかして照れちゃったのかなぁ。


 そんなことを心の中で思っていたら狐はゆらゆらと尻尾を揺らしていた尻尾を石段をベシベシと叩くのに変わった。多分、図星なのが気に食わずふてくされているのだろうと推測。


 狐が不満げに、そうだよ、と言いたげな表情をしてプイッとそっぽを向き、階段を上りだした。なので僕も狐の後を追って上る。

 さてさて今しがたの図星を突かれたことが原因なのかそれとも先程の助けて貰った時にどさくさに紛れて毛を触ったことが原因なのかまたはその両方が原因なのか分からないが、仕返しとばかりに狐はチラチラと僕の方を見ながら嬉しそうに階段を上るスピードを早くした。


 この狐は良い性格してるなぁ……追いかけるのが大変だ。


 狐の尻尾の毛をまた触りたいが先程の二の舞にはなりたくないので触れられない。アレは軽くトラウマものだ。となると必然的に階段を足早に上る上機嫌な狐とその狐の後を追う僕というなんともつまらない構図を維持するしかやることがなくなった。


 淡々と鳥居をくぐって上ること数分、段々と上る行為に嫌気が差す。だが、僕はこの狐の目的を知りたいし、どうにかしてもう一回ぐらい狐の毛を堪能したい。


 好奇心で嫌気を潰し、『狐の後を追いかけることをやめる』という選択肢を頭の外に投げ捨てやった。


 そんなこと思って階段を上っていると階段が終わりを迎え、開けた場所に出た。

 その場所は、山の中にぽっかりと開いた空間に所狭しと生える芝生を丸く囲うように鳥居が連なっている。中央には小さなおやしろが立っている。


 狐はその社の戸を器用に鼻先で開け入って行く。すると中から僕に向かって物体が投げられた。その物体が僕の頭上を通る瞬間、僕は反射的にジャンプしてその物体を捕らえた。


 捕らえた物体を見るとそれはボールだった。しかし良く見るとそれは普通のボールではなかった。ボールはボールでも良くご主人が僕と遊ぶときに使ってくれる布でできたボール――まりと言うやつだった。


 社から狐が出てくると社は水のように融け、地面に吸い込まれて芝生のシミとなった。


 狐の口に巻物がくわえており、その巻物を僕の前に持ってくると芝生の上に置き、前足で蹴って広げた。

 巻物には墨でこう書かれていた。


 あの時は助けて頂きありがとうございます。

 私は貴方と貴方のご主人様である人間に助けられた燈姫とうきといいます。



 助けて貰いましたお礼にと思いまして貴方を私の世界にご招待しました。


 貴方のご主人様をご招待しなかったのは私の力不足だからです。ごめんなさい。


 さて、話を変えますが厚かましいお願いだと思いますが私と遊んでくれませんか?



 綺麗な現代語で書かれていた文を読み終えて狐――もといい燈姫へと視線を移すと燈姫は目を輝かせながら二尾の尻尾をブンブンと左右に振っている。


 僕が言うのも何だが、さながら今すぐにでも一緒に遊びたいという気持ちを我慢している子犬だ。


 僕は燈姫の方へと鞠をころころと転がすと燈姫はそれを尻尾で受けとめ、尻尾を巧みに使い流れるような曲芸じみた動きを始めた。

 その動きに興奮して魅入っていると燈姫は鞠をこちらに投げてきた。僕はヘディングで鞠を返すと燈姫もヘディングで返してくれた。返ってきた鞠を今度はジャンプして空中で一回転しながらアクロバティック蹴り返すと、燈姫は後足で地面を蹴り上げて逆立ちをしながら鞠を蹴った。


 徐々に僕と燈姫は楽しくなっていき、鞠を遠くに飛ばして取りに行くのが大変だったり、僕が鞠とともに燈姫の尻尾でお手玉のようにされたりして楽しい時間が足早に駆け抜けた。


 ふと、空を見上げるといつの間にか太陽が西に傾き、空が赤く染まっていることに気がついた。燈姫もそのことに気がつき、少し寂しそうな表情をしている。


 楽しいとこんなにも時間が過ぎるのが早いと感じてしまうのだろうか。


 もっと遊びたいがご主人を心配させる訳には行かないので帰るということを燈姫に伝えると燈姫は「こーん」と鳴きこの場所全体に響かせた。


 すると、大きな黄色の鳥居が空からゆっくりと降りてきた。その鳥居は色々な装飾がされ光り輝いて、柱には大きく煌びやかなネオンサインで『帰りの出口』と書かれている。


 なんじゃこりゃ、眩しい。目が痛い。


 燈姫を見ると急にボクの視界を尻尾で隠し慌てて「こ……こーん!!」と鳴く。そして僕から尻尾をどかすと輝いていた鳥居は赤色に変わり、煌びやかな装飾とネオンサインの文字は墨で書かれた力士文字に変わっていた。


 何があったか聞きたかったが燈姫の汗だくになるほどの必死な顔だったので聞くことをやめた。燈姫にも色々と苦労する事情があるのだろう。


 その後、鳥居は何事も無かったように静かに着地すると巻物がどこからともなく出現した。燈姫はその巻物を鼻先で転がして広げるとそこに文字が浮き上がった。



 今日は楽しかったですか? 私は楽しかったです。また遊びましょう。


追記)

 先程ら鳥居が光っていたのは同胞の悪戯です。スミマセン。



 と書かれていた。


 同胞と言うことは燈姫みたいな狐が他にも沢山いるんだね。会ってみたい気もするけど今はいっか。今日一日、楽しかったし、また遊べるならその時で良いや。


 僕は最後に燈姫に抱き付くと燈姫は僕の顔を別れ惜しむように舐めた。また次、遊べるとは言えいつ遊べるか分からないからね。


 燈姫に見送られながら僕は鳥居を通ると僕の体は光に包まれた。


 ☆★☆


 眼が覚めると見慣れた縁側で僕は横たわっていた。太陽は西に傾き、今日はもうすぐ終わりだ。


 どうやら僕は夏の炎天下の中、縁側で寝ていたようだ。先ほどまでの出来事は全て夢なのだろうか? それとも……


 炎天下の中で寝ていたせいで頭痛が酷い。

 洗面所にあるご主人が用意してくれた氷でも食べに行こうと思い体を起こしたそのときだった。


「こん」


 縁側から見えるご主人が丹精込めて育て綺麗に咲き誇る向日葵畑からそんな鳴き声が聞こえた。鳴き声がした方を見ると向日葵畑の小道に一匹の狐がいることに僕は気が付いた。

 その狐はさっきまで夢の中で散々一緒に遊んでいた燈姫だ。


 僕はまた一緒に遊ぼうという気持ちを込めて……


「わんっ」


 元気良く鳴くと、燈姫の姿が一瞬、ぼやけた。


 見間違いかな?


 頭を振ってまた見るとそこには狐耳と二尾の尻尾生やし、手首にリストバンド、眼に眼帯をした巫女の少女が立っていた。


「次、お主と会うときはこの姿かもしれぬ。じゃからこの姿のわしも覚えて貰えると嬉しいのじゃ♪」


「――わんっ!?、わん!わんっ!」


「なんじゃ、お主が驚くと思ったのじゃが……ほう、むしろ人化をやりたいのか。そうか、そうか。次、会ったときに教えてあげるのじゃ。それまで我慢しておれ。」


「わん♪」


 燈姫は満足げな表情をしながら夕日で赤く彩る向日葵畑の中へと消えていった。


 次は僕のご主人と一緒に三人で遊びたいな。

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