29話 ラストショット

──連携。パートナー『あそゆう』、学習完了。


 俺は目を見開き、スクエア型眼鏡を投げ捨てた。

 アバターの重心を前に移して、淀川に向かってまっすぐ走る。

 前傾姿勢で加速しながら、親指でホームボタンを長押しした。

 端末上部のイヤホンジャックが、ライトグリーン色に光り輝きはじめる。


 淀川は拳銃を構えた。

 銃口の縁に、硝煙の微粒子がついていた。


 眼鏡を外す前には、見えなかった物が見えている。


 真円の銃口の中に潜む弾丸がはっきりと見える。



──ツパァン!



 張りつめた空気を引き裂く銃声が、戦場のリビングに響きわたった。

 真円の銃口がピカッと光る。

 薄く白い硝煙が噴き出した。

 加速した流線形の弾丸が時計回りに回り、勢いよく銃口から飛び出していく。


 螺旋を描くような回転、音速を超えた速度。


 


 俺は銃口の向きから弾道を先読みして、真円の銃口が光ると同時に躱す動作に移っていた。

 微かな風が頬に当たり、空気を裂くような音が鼓膜を震わせた。

 淀川の手は撃った反動で後ろに跳ね上がる。


 俺は視線とスマートフォンの高さを揃えた。

 淀川の胸にライトグリーン色の照準点を定める。


 淀川は斜め後ろに下がって、俺の対プレイヤー用レーザーの射線を外す。


──連携戦術A「射手の演技アクト」。


 淀川は俺の対プレイヤー用レーザーの射線から、「背後で対プレイヤー用レーザーを構えている優斗の射線」へ誘導された。



──ヴィラァン!!



 桜色のレーザー光線が、淀川の背中を貫いた。

 背中から鳩尾みぞおちへ、優斗の対プレイヤー用レーザーは駆け抜ける。


 血塗れになった優斗は、息をゆっくりと吐いた。

 シアン色の血を流しすぎたせいなのか、淀川に向けたスマートフォンを持つ手は震えていた。

 親指でホームボタンをもう一度長押しするが、桜色の照準点は手ぶれでうまく定まらないようだった。


「……くっ、さすがに2人がかりは厳しいか」


 淀川は顔を歪めて、優斗のほうへ振り返る。

 撃たれた背中からは血が飛び散ったが、意を返さずに、拳銃の引き金を引こうとした。


──連携戦術B「武器破壊ブレイク」。


 俺は淀川の拳銃を狙って、対プレイヤー用レーザーを放った。

 ライトグリーン色のレーザー光線は、拳銃の銃身の側面を貫通した。

 細い銃身は左に曲がり、ねじ切れるように折れる。

 折れた銃身は宙を舞って、淀川の足元にカツンと落ちた。


「《対プレイヤー用ナイフ》起動」


 俺は親指でナイフのアイコンを軽く叩いた。

 螺旋状の光線がイヤホンジャックから飛び出し、刃渡り13センチのナイフの形へ変化した。


 俺は両足に力を入れて、大きく前へ飛び出した。

 淀川との間合いを一気に詰めて、ライトグリーン色の光の刃を振る。


「本当に、厄介だな」


 淀川はスマートフォンを縦に一回転させた。

 輝きを放ったイヤホンジャックから、スカーレット色の光の刃が現れた。


 2本のナイフがぶつかり合い、電磁ノイズが鳴り響く。


 淀川は後ろに目をやり、優斗の対プレイヤー用レーザーの射線から外れようとする。


──連携戦術C「誘導する鎖チェイン」!


 左足を伸ばした俺は、淀川の足を思いきり踏んだ。

 すかさず体勢を低くして、左足に体重を乗せた。

 淀川が逃げられないように押さえつける。


 淀川が俺にナイフを振った瞬間、俺は淀川の足を踏みつけた左足を浮かせた。

 俺が淀川から飛び退いたと同時に、優斗は対プレイヤー用レーザーを撃った。


 桜色のレーザー光線は、ナイフを空振りした淀川の耳に当たった。


「があっ!」


 淀川は撃たれた耳を押さえて、俺と優斗の両方から距離を取った。

 押さえた手の隙間から、シアン色の血がポタポタと零れ落ちていた。



 リミッターの眼鏡を外したときの目は、視界に映るすべてが鮮明に見えるようになる。

 この力は『Fake Earth』の戦闘で大いに役立っている。

 敵プレイヤーの目や関節の動きから、次に何の行動を選択するのかを先読みすることができる。

 どうやって相手の攻撃を回避して、自分の攻撃を当てるのか、瞬時に判断することができる。


 優斗とともに戦う今も、それは変わらない。

 俺に当たらない位置に狙いを定めて、対プレイヤー用レーザーを撃つのを待ち構えているのがわかった。


 敵にどう動いてほしいのか、そのために俺はどうすべきなのか。


 優斗の瞬きや指の動きから読み取ることができた。



──この目の力の真価は「協力プレイ」で発揮される。



 俺は優斗に目配せを送った。

 優斗も俺に目を向けた。


 視線と視線がピタリと合う。

 2人でホームボタンを同時に長押しした。


 俺と優斗のスマートフォンは共鳴したかのように、端末上部のイヤホンジャックが同時に輝きはじめる。

 握った手の中でスマートフォンが発熱するのを感じた。

 桜色の照準点とライトグリーン色の照準点が浮かび上がる。


 2つの照準点は引き寄せられるように近づき、淀川の胸に差しかかったところで重なった。


 銃弾からかばってくれた母親を思い出す。

 瀕死の体で立ち向かった父親を思い出す。

 自分を責めて泣いていた美桜を思い出す。


 桜色とライトグリーン色の光は、透明感のあるオレンジ色の光へ変化する。



 目の力のタイムリミットまで、残り30秒。



 俺たちは親指をホームボタンから離した。

 赤色のスマートフォンと青色のスマートフォン、お互いのイヤホンジャックの輝きは一際強くなった。


 2発の対プレイヤー用レーザーが同時に放たれた。


 淀川に命中したときに交差するように、斜めの位置から猛スピードで向かっていく。



「このタイミングを待ってたよ。ありがとう。

──《資源を再生する立方体リゾン・デルキューブ》」



 淀川はギア名をつぶやき、業務無線を模したスマートフォンを前に出した。

 同時に放ったレーザー光線を見つめながら、安堵したような笑みを浮かべた。


 淀川のスマホ画面が暗くなった瞬間、2発の対プレイヤー用レーザーは曲がった。

 緩やかなカーブを描いて、淀川に向かった軌道から横に逸れていく。

 それぞれのレーザー光線は、淀川のスマートフォンに引き寄せられた。

 暗くなった画面の中心に同時に当たった。


 しかし、淀川のスマートフォンは壊れなかった。

 貫通した穴が開くどころか、スマホ画面がひび割れすることもない。


 


 凪いだ水面に宝石を落としたかのように、小さな波紋が画面に広がって消えた。


 淀川の足がフローリングの床から浮く。

 その頭上と足元に、オレンジ色のビー玉が4つずつ現れる。


 3本の矢印で循環した三角形の模様が、ビー玉の中に描かれていた。



──ジヴィヴィヴィヴィヴィヴィ!



 8つのビー玉が一斉に光った瞬間、オレンジ色の電流がビー玉をつないだ。

 ビー玉をつないだ直後、電流は平行した位置にある電流に向かって伸びていった。


 点と点が結びついて「線」となる。

 線と線が結びついて「面」となる。

 面と面は組み合わさり「立体」となる。


 一辺2メートル近くある、が完成した。

 周囲へ微弱に放電しながら、宙にふわりと浮遊している。

 淀川を中に囲っており、強烈な電流がすべての面に走っていた。

 放電した電気が天井に当たると、小さく焦げた跡がついた。


──相手の攻撃を利用する、カウンター系のギア!


 俺は対プレイヤー用レーザーを撃った。

 ライトグリーン色のレーザー光線は、今度は途中で曲がることなく駆け抜けた。


 しかし、淀川にレーザー光線は届かなかった。

 オレンジ色の立方体に衝突したとき、先端から分解されていき吸収された。

 ライトグリーン色の電流が、オレンジ色の電流に混ざる。

 すべての面に走っている電流の速度は、レーザー光線を吸収する前よりも速くなっていた。


 俺は短い助走をつけて、近くに落ちたロボット掃除機の残骸を蹴り飛ばす。

 尖った部品が散らばるように飛んだが、どれも立方体に流れる電気に阻まれる。


 電撃系の攻撃は無効化されて、飛び道具の物理攻撃は通用しない。


 手の血管が浮き出てくる。

 両目が充血していくのを感じる。

 後頭部がズキズキと痛みはじめる。 



 目の力のタイムリミットまで、残り20秒。



 優斗はオレンジ色の立方体へ走った。

 血塗れになったアバターとは思えないくらいに速かった。


 そして、辿



──ビギッ、ミシィイ!



 握り拳1つ分の穴がオレンジ色の立方体に開いた。

 青色のスマートフォンを持った手が、立方体の中に入った。


 強烈な電流を浴びながら、優斗は前に少しずつ進み、開けた穴をさらにこじ開けていく。


「そんな、馬鹿な」


 淀川は息を呑み、後ろに下がろうとした。


 すかさず左手を伸ばした優斗は、淀川の腕をガシッとつかんだ。


「……何を……驚いてるんだ? ……電流が……攻撃を……防ぐなら……電流の……内側に……入るに……決まってるだろう」


 苦痛に顔を引き攣らせた優斗は、無理やり笑みを浮かべた。

 淀川にイヤホンジャックを向けて、親指でホームボタンを長押しした。

 強烈な電流を浴びて、優斗のシャツは焦げた。

 肌色の皮膚は破けた。


 目の力のタイムリミットまで、残り10秒。


 淀川は顔をしかめて、優斗に対プレイヤー用レーザーを撃った。

 スカーレット色のレーザー光線が、優斗の眉間に向かう。



 目の力のタイムリミットまで、残り5秒。



 

 ライトグリーン色のレーザー光線は、スカーレット色のレーザー光線を命中した。


 真正面から衝突したレーザー光線は相殺する。


 オレンジ色の立方体の中に、光の残滓が漂った。



「協力プレイで、1人だけに任せることはさせませんよ」



 俺は微笑み、青色のスマートフォンを持つ優斗の手に右手を添えた。

 優斗の手をそっと押して、桜色の照準点を淀川の胸に定める。


 照準がブレないように、右手で優斗の手を握る。



 目の力のタイムリミットまで、残り2秒。



 優斗は「……ありがとう。……助かった」とつぶやいた。

 あまりにも小さく、風が吹けば飛んで消えてしまいそうな声だった。


 親指をホームボタンから上げて、光り輝くイヤホンジャックから、桜色のレーザー光線を放った。




──ギュビィン!




 桜色のレーザー光線は淀川の胸に命中した。

 瞬く間に背中から勢いよく飛び出し、キッチンの調味料棚に当たった。


 岩塩のガラス瓶が割れて、ピンク色の岩塩の粒が中から零れた。

 キッチンの壁には数ミリの焦げた穴が開いた。



 目の力のタイムリミットまで、残りコンマ1秒。


 俺は目を閉じた。



 後頭部の痛みが和らぐのを感じた。

 オーバーヒートした機械を冷却したような心地よさだった。


 視界が真っ暗になった中、俺はオレンジ色の立方体から手を引っ込めた。

 眼鏡を投げ捨てた場所へ、目を閉じたまま歩く。

 アバターの膝を屈めて、手探りで探して眼鏡をかけ直した。



 淀川は瞬きせず、目を開いたまま硬直した。

 撃たれた胸から流れる血を見ていなかった。


 シアン色の血が口の端から漏れていく。

 彼のスマートフォンの画面は粉々に割れる。


 オレンジ色の立方体を作った電流は止まった。


 8つのビー玉はフローリングの床に落ちて割れた。



「ゲーム…オーバーか。……金さえあれば……あの絵を取り戻せたのに」



 淀川は独り言をつぶやき、前にゆっくりと倒れた。

 シアン色の血だまりが静かに広がった。


 割れたスマホ画面の中から、金色のコインが転がった。



「……プレイヤー『淀川』、攻略完了」



 俺は一息ついて、淀川のコインを拾った。

 赤色のスマートフォンの画面を見る。


《小さな番犬》はホーム画面で口を開けて、喉スプレーを前足で噴射していた。

 スパイク首輪は赤色から青色に戻っている。

 朝食を食べ終わってから始まった「危険」はもう迫っていないようだった。



 救急車とパトカーのサイレンが、遠くから聞こえてくる。

 甲高い音は大きくなっていき、家のほうに近づいていた。

 近隣の住民が通報したのか、美桜が誰かにお願いしてくれたらしい。


 優斗は俺を振り返った。

 ふらついた足取りで歩み寄り、無言で震えた手を上げた。


 俺はスマホ画面を暗くして、チノパンのポケットにしまった。

 歩み寄る優斗に近づき、右手を同じように上げる。


──ふと凛子と遊んだときと違った、ゲームの楽しさを感じた。

──友情とは言い難いけれど、優斗に温かい感情が湧き上がってくる。


 もしも本当の兄弟が一緒にゲームして、2人の力でボスを倒したら、こんな雰囲気になるのだろうか。

 賑やかに騒ぐことなく、お互いの健闘を静かに称え合う。

 そんな不思議な信頼関係が生まれるのだろうか。



 だが俺たちがハイタッチを交わすことはなかった。

 お互いの手は触れ合わなかった。


 俺の振った手は空を切った。


 優斗の手が急に下がって、指先から力が抜けていくのが目に見えてわかった。


「ダメです! 勝ったんですよ、俺たちは! しっかりしてください……優斗さん!」


 俺は優斗の名前を叫んだ。

 思わず「兄さん」と言いそうになった。


 しかし、俺はNPCの「遊津暦斗」ではない。

 優斗が大切に思う家族ではない。


 本物の弟のように、そう呼ぶことはできなかった。



「さすがに……無理しすぎたか」



 優斗は目を閉じて、力尽きたように倒れた。


 青色のスマートフォンの画面がピキッと割れはじめた。

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