25話 真実の仮面を被ったプレイヤー
柔らかな光がリビングに注がれている。
真っ白なレースカーテンが陽射しを濾過していた。
薄型の液晶テレビは点きっぱなしで、若者に人気のアプリがランキング形式で紹介されている。
ランキング1位には「全身を写したユーザーの写真に、別のユーザーたちが似合う服を画像で加工し合うアプリ」が選ばれており、実際にアプリを試したタレントたちは自分の衣装がコーディネートされていく様子を楽しんでいる。
ビニール製のクロスが敷かれたダイニングテーブルには、明日の誕生日の飾りつけとして、折り紙で花に似せたペーパーボールが積み上げられていた。
円盤型のロボット掃除機は、何も落ちていないフローリングの床を巡回している。
「なんで? なんで口が勝手に動くの? 『プレイヤー』って何のこと、お兄ちゃん!? 怖いし、もうわけわかんない」
妹の美桜は包丁を持った手を震わせて、俺たちを縋るような目で見ていた。
ギアで操作された彼女の口は、笑みを無理やり浮かべさせられていた。
円盤型のロボット掃除機が近寄ったとき、「やだ、やだ」と言いながら、美桜は言葉とは裏腹に足を上げていく。
そして、足裏を思いきり叩きつけて、円盤型のロボット掃除機を壊した。
包丁で刺された父親の司は、壁に寄りかかるように倒れていた。
まだ息は辛うじてあったが、虚ろな目は閉じそうになっていた。
母親の紀子は頭を抱えて、リップを塗った唇をわなわなと震わせている。
操られた美桜が包丁についた血を舌で舐めると、母親は言葉にならない声を漏らして、電源ブレーカーが落ちたように失神した。
──両親がスマートフォンを使って、美桜を操作している素振りはない。
──敵がどこにいるかわからない以上、まず目の前の危険を排除しておいたほうがいい。
俺は両手で対プレイヤー用レーザーを構える。
光り輝くイヤホンジャックを斜め下に向けて、泣き笑っている美桜の足に照準点を定めた。
親指をホームボタンから離して、対プレイヤー用レーザーを発射する。
ライトグリーン色のレーザー光線が駆け抜けていく。
だが、俺の撃ったレーザー光線は、優斗に対プレイヤー用ナイフで叩き斬られた。
ライトグリーン色の光の残滓が宙に消えていく。
優斗は妹の美桜に目を向けたまま、背後にいる俺を制するように、手を横に伸ばした。
「……プレイヤーさん、やめてくれ。美桜は操られてるだけなんだ」
「操られてることが問題なんですよ、優斗さん。本人にその気がなくても、目の前のアバターは俺たちを包丁で襲いかかってきます。
ただでさえ俺たちはお互いにダメージを負って、アバターを動かしにくい状態なんです。無駄な体力を消費すべきでないことくらい、あなたもわかってるでしょう?」
「……そんなことはわかってる。けど、美桜はまだ中学生の女の子なんだ。痛い思いはさせたくないし、体に傷を残すことはしたくない。
……頼むから、妹を撃たないでほしい」
後ろへ手を伸ばした優斗は、俺に背を向けたままだった。
どんな表情をしているのかはわからない。
静かに語る彼の声は切実さが滲み出ていた。
どことなく殺気に似た、人を寄せつけない雰囲気を漂わせている。
俺は人差し指を動かして、赤色のスマートフォンの電源ボタンを長押しした。
端末上部のイヤホンジャックの輝きは弱まっていき、ライトグリーン色の照準点は薄くなっていく。
最後にプツンと途切れる音が鳴り、細く揺れていた光の線はイヤホンジャックの中に吸い込まれた。
「……ありがとう。後は1人でなんとかするよ」
微かな声で礼を言った優斗は、横に伸ばした手を戻した。
そして、対プレイヤー用レーザーで撃たれた脇に手を当てて、肺の中の空気を出し切るように、息をゆっくりと長く吐いた。
「あ……ああ! やだ、やだ、やだよ。――お兄ちゃん、助けて!」
美桜は泣き叫んで、優斗に包丁で襲いかかった。
細い首を横に振りながら、軽やかなステップを踏んで、振り上げた包丁を頭上から勢いよく下ろした。
優斗は体勢を半身にして、鋭く迫る包丁を避けた。
美桜の頭をポンと叩いて、彼女の目尻から流れている涙を指先で拭った。
足音1つ響かせない、最小限の体捌き。
「もう大丈夫」と穏やかに笑いかけた瞬間、足元から振り上げられた包丁も無駄なく回避した。
美桜は大粒の涙をこぼしたまま、包丁を振り回しつづける。
優斗は美桜のそばから離れず、包丁を躱しつづけた。
リビングの家具が傷つかないように、5人掛けのソファを手で押したり、真っ白なカーテンを引き寄せたりしながら、美桜の攻撃をやり過ごしていた。
倒れている父親に目をやり、青色のスマートフォンで「緊急SOS」を発信する。
フローリングの床に落ちたロボット掃除機の破片を、美桜が踏む前に蹴り飛ばす。
「……足元にある物に気づかない。お前は『操ってる相手が見える範囲しか見えない』ってことか。
──本体が近くにいないなら、こんな茶番、いい加減終わりにさせてもらうよ」
優斗は美桜から手の中の包丁へ目を移した。
親指でホームボタンを長押しして、対プレイヤー用ナイフを再起動する。
そして、包丁の刀身の柄元めがけて、桜色の光の刃を振った。
「いいのかな~? 可愛い妹ちゃんに刃物なんか近づけて!」
敵プレイヤーの言葉を喋らされた美桜は、小柄な体を前に倒していく。
優斗のナイフに向かって、自分から刺されにいく。
優斗は顔を強張らせて、手首を咄嗟に返した。
対プレイヤー用ナイフの軌道を変えて、美桜の眉間に刺さる直前で逸らす。
だが、アバターの手を無理やり動かしたせいで、優斗の体勢はわずかに崩れた。
──『Fake Earth』は現実を再現したゲーム。
──プレイヤーのアバターは人体と同じ構造で、全身のパーツは骨や筋肉でつながっている。
──手を急に方向転換すれば、肩は大きく開いて、腰も連動して回って、全身が同じ方向に流れてしまう。
「はい、チャンスとうらい」と美桜は優斗の胸に包丁を向けた。
青い目は涙目になっていたが、包丁を持った手が止まることはなかった。
「『妹を撃たないでくれ』か。──じゃあ、それ以外の方法なら、別に止めても構いませんよね」
俺はアバターの背に回していたスマートフォンを前に持ってきた。
優斗が美桜の攻撃をやり過ごしている間、親指でホームボタンをいつもより長く押していた。
光り輝いていたイヤホンジャックは、今まで撃ってきた中で一番眩しくなっている。
握りしめたスマートフォンがより一層熱くなっているのを感じた。
2階の自分の部屋での戦いで、優斗はホームボタンを連打して、レーザー光線より細く短い光弾を撃っていた。
威力は対プレイヤー用レーザーより劣っていたが、ホームボタンを長押しせずに撃てる分、連射性に優れた攻撃。
細く短い光弾の弾速は、レーザー光線と同じ速さだった。
──おそらく対プレイヤー用レーザーの威力は「ホームボタンを長押しした時間に比例する」。
──もしホームボタンを長押しする時間を延ばせば、「レーザー光線」は「大砲」に変わる。
俺は両手でスマートフォンを構えて、親指をホームボタンから離す。
光り輝くイヤホンジャックから電気が溢れていて、「サッカーボール級の光の球体」が完成していた。
──ディギュロン‼
ライトグリーン色の光の球体が、イヤホンジャックから放たれた。
放電しているかのような音をバチバチと鳴らしながら、照準点が浮かんだ場所へまっすぐ向かっていった。
レーザー砲を横目で見た優斗は視線を上に向けていく。
ライトグリーン色の光の球体は、優斗と美桜の頭上の天井に命中する。
内臓まで響く派手な衝突音!
レーザー砲は天井を貫通して、跡には直径50cm以上の風穴が開いた。
──「1階の天井を破壊した」ということは「2階の床を破壊した」ということ。
──床が抜ければ支えがなくなり、2階にあったものは1階に落ちてくる。
リビングの上に位置するのは、ゲームの拠点となる自分の部屋。
この世界での生き残りを賭けて、優斗と5分前まで戦っていたバトルフィールド。
悲鳴をあげた美桜がいるリビングへ急ぐため、部屋は散らかった状態のまま放置されている。
壁はレーザー光線で焦げた跡があり、丸めたカーディガンが投げ捨てられている。
優斗にナイフで斬られたときにできた、「シアン色の血だまり」も残ったままだった。
──ピシャァァアア!!
リビングの天井に開けた風穴から、固まり切っていないシアン色の血が降ってきた。
レーザー砲で血だまりから散り散りになって、ゲリラ豪雨のように落ちてきた。
青く染まった血の滴は、美桜のフリル袖のブラウスを汚した。
天使の羽のヘアピンでサイドを留めた髪を濡らした。
青い目の中にも、目薬を差すように入っていく。
美桜は目をぎゅっと閉じた。
泣き腫らした顔を背けて、「いや!」と震えた声で叫んだ。
右手で包丁を振ったが、空を切る音だけが響く。
体勢を立て直した優斗が、距離を取ったことに気づいていないらしい。
俺は美桜の背後に回り込んで、包丁を持った右手の手首をつかんだ。
後ろに手を引っ張って、美桜の腕を急いで締め上げる。
血塗れになった包丁が手から落ちた。
俺は包丁の柄を踏み、できるだけ遠くへ滑らせた。
「えー! いいところで邪魔するなよ! お兄ちゃんが妹をかばって殺される、素敵な家族愛が見れるチャンスだったのにさ!」
美桜の口から放たれる、敵プレイヤーの言葉。
声のトーンはどことなく楽しそうだ。
「おいおい、なんか返事してくれよ。それともアレかな? 暦斗くんも家族を傷つけられて、怒ってる感じなのかな?
だとしたら、君は全然わかっていない!
こういうリアルなゲームの醍醐味と言えば、『NPCを罪悪感なく殺せるところ』じゃないか! 現実じゃできないことを思いきりやって、ゲームを楽しむべきでしょ!」
操られた美桜はケラケラと笑い始めた。
にやついた顔で上を向いて、腹を震わせながら、屋根を突き抜けそうなくらいの声で笑っていた。
優斗は対プレイヤー用ナイフを起動したまま、美桜の顔をじっと見つづけていた。
「プレイヤーの数だけ、ゲームの楽しみ方がある。ストレスを発散するために、好き勝手にやりたいプレイヤーもいるでしょう。俺は1人のゲーマーとして、あなたの考えを否定するつもりはありません。
──ただ、今の言葉、全部『フェイク』ですよね?」
俺は美桜の肩を押して、フローリングの床へうつ伏せに倒した。
赤色のスマートフォンを手に取り、《小さな番犬》を再起動した。
犬小屋のアイコンの扉が開き、柴犬風にカットされたポメラニアンが飛び出す。
ホーム画面に登場した瞬間、《小さな番犬》は三角形の耳を前に傾けて、何かを警戒しているサインを見せた。
操られた美桜は顔を横に向けて、肩越しに俺を振り返る。
にやついた笑みは消えていて、真顔で俺を見つめていた。
「やることが中途半端なんですよ。あなたは美桜を操って、父親に包丁を刺しただけで、致命傷を与え切れていない。母親にいたっては、傷一つつけていないんです。
本当にNPC殺しを好むプレイヤーなら、もっと残虐な手口を選びます。ゲームの醍醐味と言ってるのに、1人も殺してないのは明らかにおかしいでしょう?」
俺は美桜の腕を締め上げる力を強めた。
相手は確実に動けない体勢なのに、念押しでやらずにはいられなかった。
心臓の鼓動が速まっていくのを感じる。
何度も見回したリビングに異変がないか、もう一度確認する。
人が何かを演じるとき、そこには何らかの「思惑」が存在する。
「学校の風紀を乱さないため」に、「怒るとめちゃくちゃ怖い先生」のふりをしたり、「初心者プレイヤーからアイテムを奪うため」に、「優しいお姉さん系のチュートリアル」のふりをしたりする。
どうして敵プレイヤーはNPC殺しを楽しむプレイヤーを演じたのか。
操られた美桜から武器を取り上げても、演技をすることを止めなかったのか。
──ピーンポーン。
玄関のインターホンが鳴った。
よく聞き慣れた音だった。
誰がドアの外にいるのかはわからない。
配達人やセールスみたいに、家の中へ呼びかけてくることもない。
インターホンはもう一度鳴った。
間延びした音の余韻が耳に残る。
俺は優斗と目を合わせて、居留守を使うことに決めた。
「きゃああああああああああああ!」
だが、次の瞬間、美桜は大声で悲鳴をあげた。
命の危険が目の前に迫っているかのような激しい叫び方。
玄関を強引に開けようと、鍵のかかったドアノブガチャガチャと揺らす音が聞こえてきた。
《小さな番犬》が吠え始め、赤色のスマートフォンは振動する。
失神していた母親は目を覚まし、ぼんやりした表情のまま玄関の方へ顔を向けた。
吠える声が一際大きくなった瞬間、玄関のドアが倒れる音が聞こえた。
誰かが廊下を全力で走る足音が近づいてくる。
「失礼します! 『警察』です! 近隣の住民より通報を受けました!」
2人組の警察官がリビングに入ってきた。
どちらも体格のいい、若い男と中年の男。
お互いに顔写真の載った警察手帳を掲げている。
若い警察官は息を呑んで、倒れている父親と血のついた包丁を交互に見た。
中年の警察官は業務無線らしきものをつかみ、眉をひそめながら口元に近づけた。
操作系のギアを使うプレイヤーと戦っている最中に、「拳銃を持ったNPC」がリビングに入ってきた。
──美桜が操られてから10分も経っていない。警察が来るのは早すぎる。
──敵プレイヤーがギアを使う前に通報したとしか考えられない。
俺は顔をしかめて、操られていた美桜の腕を急いで離した。
──ギィィィィィィィ。
錆びついた歯車を動かしたような音が、リビングの扉の方から聞こえてきた。
天井から吊られた糸が、若い警察官の頭から手足につながっているのが一瞬だけ見えた。
若い警察官の体が硬直する。
瞬き一つしなくなる。
そして、右手の感覚を確かめるように握って開くと、拳銃に手を伸ばし始めた。
「
「ち、違うんです、
若い警察官は必死に叫ぶが、彼の右手は落ち着いた手つきで拳銃の安全装置を外した。
銃口を優斗に向けて、引き金に人差し指をかけた。
「おい、人の家でなに物騒なものを手にしてんだ」
優斗は警察官との間合いを一瞬で詰めると、青色のスマートフォンを振って、若い警察官の顎をケースの角で殴打した。
そして、制服の胸ぐらをつかみ、後頭部をリビングの壁に叩きつけた。
──ギュビィン!!
若い警察官の体から力が抜けたように見えたときだった。
「スカーレット色のレーザー光線」が優斗の背中を撃ち抜いた。
リビングから至近距離で放たれた一撃。
「優斗!」と母親の紀子は目を見開いて、鋭い声で叫んだ。
優斗はフローリングの床に膝をつき、シアン色の血を吐き出しながら、対プレイヤー用レーザーが来た方向を振り返った。
「ふう、なんとかシナリオどおりだ」
中年の警察官は制帽を脱ぎ捨てる。
「業務無線を模したケース」を外すと、地球のロゴが彫られたスマートフォンが中から現れた。
──『Fake Earth』のアバターは、運営がランダムで決める。
──高校生や老人のアバターを引くプレイヤーもいれば、「警察官のアバター」を引くプレイヤーもいる。
俺はスクエア型眼鏡に触れて、親指でホームボタンを長押しした。
片手でスマートフォンを構えて、警察官の淀川にイヤホンジャックを向けようとした。
しかし、淀川は拳銃を手に取って、すかさず引き金を引いた。
俺のイヤホンジャックが光り輝く前に、チャージ時間なしの銃弾を放った。
大音量の銃声が響くと同時に、撃たれた俺の腕からシアン色の血が噴き出す。
左手に力が入らなくなり、赤色のスマートフォンが手から滑り落ちた。
「……NPC殺しを楽しむ演技をしてたのは、二重に演技しているのを隠すためか?」
「悪いけど、考える時間はあげないよ。君が厄介な相手なのは、重々承知してるからね。
──ゲームオーバーだ、遊津暦斗くん。人殺しは好きじゃないけど、賞金1億円のために、犠牲になってくれ」
淀川は俺に銃を向けて、引き金を3回引いた。
真円の銃口から飛び出す3発の銃弾。
シアン色の血が3回舞い上がった。
アバターの肉片が転がった。
美桜の泣き叫ぶ声がリビングに響いた。
《小さな番犬》は激しく吠えた。
赤色のスマートフォンの振動が強まる。
「DANGER」のポップアップが画面に点滅した。
「……どうして?」
俺は自分のアバターに触れた。
銃弾は3発とも当たっていなかった。
心臓がガリガリと引っ掻かれるような感覚を覚える。
淀川が撃った瞬間、俺を突き飛ばしたアバターを見上げる。
「……良かった。怪我はないみたいね」
母親は微笑んで、撃たれた胸を苦しそうに手で押さえる。
唇は震えていて、シアン色の血が手にぐっしょりとついていた。
反対の手を俺と美桜の方に伸ばしたが、届く前にゆっくりと下がっていく。
両目が閉じられていく。
唇の震えが弱くなっていく。
「みんな……逃げて」
母親はかすれた声でつぶやくと、静かにフローリングの床へ倒れた。
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