24話 日常のために

「──《対プレイヤー用レーザー》起動」


 俺は両手でスマートフォンを構えて、優斗の胸にイヤホンジャックを向けた。

 左手で持ったスマートフォンを右手で下から支えて、親指でホームボタンを長押しする。

 端末の上部にあるイヤホンジャックが輝きはじめた。

 ライトグリーン色の照準点が優斗の胸に浮かんだ。

 手のひらはスマートフォンが発熱するのを感じる。


 この世界で生き残っているプレイヤーは、全員が「自分なりのプレイスタイル」を持っている。

 紫藤はクイックネスを活かして、対プレイヤー用ナイフによる接近戦を得意としていた。

 教団服を着用したギルドのプレイヤーたちは人数を活かして、サポート役とアタッカー役に役割分担した連携プレイを用いていた。


 誰もが自分の強みを理解したプレイスタイルで戦っていた。

 戦闘中に使えそうなアイテムを慌てて探すようなプレイヤーは1人もいなかった。


 これまでのプレイヤーとの戦いは、機転でなんとか切り抜けることができた。

 手持ちのアイテムを組み合わせたり、NPCの警察官を利用したりして、ゲームオーバーにならずに済んだ。


 けれども、機転に頼るのは、あまりにも運の要素が大きい。


 毎回アイテムに恵まれるとは限らない。

 戦いはNPCに邪魔されない場所で行われる可能性もある。


 を習得しておく必要がある。


 俺は自宅で一晩考えて、《対プレイヤー用レーザー》をメインに戦うことに決めた。

 ナイフと比べて距離を置いて戦うレーザーのほうが、目の力を最大限に利用できるからだ。

 ギルドみたいな集団が相手でも、離れたところにいるプレイヤーを攻撃できる。

 複数のプレイヤーをレーザー光線で貫通させて倒すこともできる。


 何より、凛子と一緒に積み重ねたゲームの経験値を活かすことができる。



──ギュビィン!!



 俺は親指をホームボタンから離して、対プレイヤー用レーザーを撃った。

 光り輝いたイヤホンジャックから、ライトグリーン色のレーザー光線が放たれる。

 コントローラーの形が違っても、狙ったところに撃つ要領はガンシューティングゲームと変わらない。


──目線と銃口の高さを揃えること。

──目で見るように、銃口の向きを変えること。


「視線」を「射線」に変えるイメージで撃てば、照準点に頼らなくても、思いどおりに当てることができる。


 部屋の中をレーザー光線は駆け抜けていった。

 シアン色の血だまりを越えた。

 ピンク色の球体を通過する。


 だが、優斗は低く屈んで、対プレイヤー用レーザーを回避した。

 機敏ながらも余裕を残した躱し方。

 ライトグリーン色のレーザー光線は壁に当たり、電気ドリルで貫いたような穴が開いた。

 穴の周りの壁紙クロスはわずかに焦げていた。


《小さな番犬》の吠える声は大きくなる。

 赤色のスマートフォンの振動は強くなる。


 優斗はアバターを前に傾けて、鋭い角度で床を強く蹴った。

 勢いある飛び出し。

 真正面から俺に突っ込んでくる。

 優斗を中心に半径1メートルに広がった、ピンク色の球体も急速に迫ってきた。


 逃げ道はない。

 入口のドアから出て行っても、傷ついた足では逃げ切れない。

 残り5秒で優斗の足を止めなければ、ピンク色の球体に押し潰されるのは間違いなかった。


──1発で決めようとするから負けるんだよ、頼助くん。FPSは狙ったところに早く撃てれば勝てるゲームじゃない。


 凛子とゲームセンターで遊んだときの記憶が蘇ってくる。

 シューティングゲームが上達してきた頃、FPSの筐体でオンライン対戦に挑戦したら、見ず知らずの相手に何度もやられた夏休みの思い出──。


──何言ってるんだ、凛子? プレイヤーは急所に当てれば1発で倒せるんだから、2発より1発で倒したほうがいいじゃないか。


──当てることができればね。けど、実際は当たらないでしょう。どんな対戦相手も撃たれないようにプレイしてるの。攻撃が来ることをわかっていて、何もしないプレイヤーはいない。


──だから2発以上撃てってこと? 警戒されているなら、何発撃っても結果は同じじゃないか。


──撃つ目的を変えるんだよ。最初は対戦相手を「倒す」じゃなくて「崩す」って感じかな。足を狙ったり、罠を仕掛けた場所に逃げるように誘導したりとかして、とにかく避けられない状況を作る。

 相手を何もできないようにすれば、次で仕留めようとしているのが読まれても、何の問題もないでしょう?


 俺は一息ついて、肩の力を抜いた。

 心臓の鼓動は不思議なくらい落ち着いている。

《小さな番犬》の吠える声もいつもより遠く感じた。

 振動で対プレイヤー用レーザーがブレないように、赤色のスマートフォンを握る力を少しだけ強める。


 優斗は全速力で俺に向かってくる。

 距離を詰めれば、レーザー光線は避けにくくなる。にもかかわらず、真正面から前に突き進んでいた。

 シアン色の血だまりにも躊躇いなく足を踏み入れた。

 部屋の壁やベッドに血が飛び散った。


 そして、優斗は血で濡れた足で、目の前の床に落ちた羽毛布団を踏もうとした、その瞬間……。



──ギュビィン!!



 俺はスマートフォンを斜め下に傾けて、2発目の対プレイヤー用レーザーを放った。

 定規で長い線を素早く引くように、ライトグリーン色のレーザー光線は速く飛んでいく。

 優斗が左足を踏み下ろした瞬間に、足首の真ん中を貫くビジョンが見えた。


「その作戦、俺がカーディガンで足を滑らせたときの再現だろう? ──悪いけど、同じ手は二度も通用しないよ、プレイヤーさん」


 優斗は軸足となっている右足をぐっと曲げた。

 そして、羽毛布団を左足が踏む前に、右側に置かれたベッドに向かって横に跳んだ。

 加速したまま急な方向転換、対プレイヤー用レーザーは当たる直前で躱される。


 横に跳んだ優斗は肩と背を丸めた。

 壁にぶつけて受け身を取り、ストライプ柄のシーツに着地した。

 そのままベッドを斜めに走って、入口の扉の前に立つ俺との距離を詰めてくる。


 俺は優斗にイヤホンジャックを向けた。

 両目に力を入れて瞬きを止める。

 口の中に溜まった唾を飲み込む。


 負ければ人生の記憶が奪われる戦いの中、心臓が高鳴るのを感じる。


 ここは「自分の部屋」。

 プレイ時間20時間のうち、半分以上の時間を過ごしたゲーム攻略の拠点。

 今朝、優斗が入ってくるまで、NPCの家族は誰も立ち入らなかったバトルフィールド。


 疲れたアバターを休める時間はあった。

 今後のプレイスタイルを見直す時間もあった。


 、「



──ズシュッ!



 優斗がベッドを走っている途中、彼の右足がベッドの中へ沈んだ。

 アバターの足首が見えなくなり、膝下まで一気に沈んでいった。

 マットレスを支えるボトムより深く落ちる。

 ストライプ柄のシーツが沈んだ右足とともに引っ張られる。

 体勢を崩した優斗は部屋の壁に側頭部をぶつけた。

 ピンク色の球体も俺を押し潰す1メートル前で止まった。


 めくれたシーツの下には、「」がいくつも隠されていた。



「……避けたと思わせて、誘導したのか!」


「いえ、本気で当てるつもりでしたよ。ただ、外した場合の作戦を用意していただけです。プレイ時間が少ない分、どうしても戦闘は『経験』の差が不利になりますからね。

 だから、格上の相手に勝つための『準備』をしておいたんですよ」


 俺は優斗の胸に目を向けて、ライトグリーン色の照準点を定めた。

 そして、親指をホームボタンから離して、3発目の対プレイヤー用レーザーを撃った。

 対戦相手を仕留めるための一撃。

 急所の心臓を狙っていることは相手に読まれているだろう。


 だが、片足が落とし穴にはまった優斗は避けようとしても間に合わない。

 落とし穴からすぐ抜け出せても、対プレイヤー用レーザーに当たるより早く、避ける行動には移れない。

 ピンク色の球体をレーザー光線は貫いた。

 俺は両手で構えていたスマートフォンを下げた。



「──《愛を証明するために》、解除!」



 優斗が叫んだ瞬間、彼を囲んでいたピンク色の球体が崩れた。

 ドロドロしたゼリー状になって床に落ちて、炭酸が抜けるような音を立てて蒸発する。


 迫りくるレーザー光線。

 優斗は必死の形相でホームボタンを連打した。

 青色のスマートフォンのイヤホンジャックが一瞬だけ輝いた。


 微かに光ったイヤホンジャックから、「レーザー光線より細く短い光弾」が放たれた。

 高速に親指が上下に動いた分だけ、同じサイズの光弾が次々と発射された。


 ライトグリーン色のレーザー光線に、桜色の光弾が連続で命中する。

 正面で衝突するのではなく、側面に集中して当たっていた。

 細く短い光弾に対プレイヤー用レーザーを撃ち消す力はなかった。

 レーザー光線が突き進むスピードは変わらない。


 だが、対・プ・レ・イ・ヤ・ー・用・レ・ー・ザ・ー・は・わ・ず・か・に・右・に・逸・れ・た・。

 心臓に向かっていた軌道を変えられた。


 優斗はレーザー光線が当たる直前、アバターの上半身を傾けた。

 シアン色の血が飛び散った。

 アバターの皮膚に突き破る音がした。


 3発目の対プレイヤー用レーザーは、優斗の心臓から離れた脇を通った。


 優斗は対プレイヤー用ナイフを再起動して、すかさず俺が撃ったレーザー光線を叩き斬る。

 ベッドの落とし穴から抜け出して、ふたたび俺をめがけて駆けだした。


《小さな番犬》の吠える声の大きさが跳ねあがった。

 赤色のスマートフォンは激しく振動した。


 俺は親指でホームボタンを連打してみたが、細く短い光弾には優斗を止められる威力はなかった。


「万策尽きたみたいだな。お前の人生はここまでだ。

──恨みはないが、弟を返してもらうぞ」


「いいえ、作戦はまだ終わってませんよ。対プレイヤー用レーザーを止めるために、あなたは俺に近づいてしまいましたからね。俺を倒すために、自分の意思で、ここに誘導された。

── 使、優斗さん」



──カチッ。



 俺は微笑み、入口のドア近くの照明スイッチを押した。

 部屋の明かりをオンからオフに切り替えた。

 ゲーム画面がロード状態に入ったように、真っ暗になった部屋に置かれたオブジェクトが見えなくなる。

 シアン色の血だまりも、観葉植物の鉢も、サンバースト塗装のエレキギターも暗闇の中に消えた。


 俺は親指を滑らせて、ホーム画面をスワイプした。

「カメラ」のアプリを起動して、雷のマークを叩く。

 優斗の目に端末のカメラレンズを向ける。


 そして、真っ白な撮影ボタンを押して、至近距離から「フラッシュ」を焚いた。



 小気味のいいシャッター音と同時に、優斗の瞳に映った閃光が爆発した。

 カメラレンズを見てない俺でも、目を閉じてしまいそうになる眩しさだった。

 優斗は目をくらませて、低い声を漏らしながら閉じた瞼に手を当てた。

 振り抜いた対プレイヤー用ナイフは俺から大きく外れて、入口のドアに根元まで突き刺さる。


 俺はホームボタンを長押ししながら、優斗の後ろに足音を殺して回り込んだ。

《小さな番犬》は吠えておらず、赤色のスマートフォンの振動も止まっていた。

 端末の上部にあるイヤホンジャックが光り輝く。

 俺は両手でスマートフォンを構えて、優斗の後頭部に狙いを定めた。


「遊津暦斗」VS「遊津優斗」。


 お互いの生活を賭けた兄弟対決は、決着がついたも同然だった。


「……ああ、くそ、俺の人生もここまでか。負けた相手にお願いしたくないけど、1つだけ頼みたいことがある。

……明日の誕生日は精一杯喜んでやってくれよ。みんな、準備やサプライズを頑張ってるんだからさ」


 優斗はため息をついて、青色のスマートフォンから手を離した。

 両目を手で抑えたまま、反対の手の親指をぐっと立てる。


 しかし、親指を立てた手はわずかに震えていた。



 俺はスマートフォンを握りしめた。

 ライトグリーン色の照準点がブレないように固定した。


 目の前のプレイヤーは絶対に倒さなければいけない相手だ。

 NPCの家族との暮らしに価値を置いて、弟のアバターに憑依した俺をゲームオーバーにしようとしている。

 ここから家出できたとしても、優斗はNPCの弟を取り戻すために、どこまでも追いかけつづけてくるだろう。

 NPCの両親にしたって、高校生の息子がいなくなったら、行方不明者として警察に捜索願いを出すはずだ。


 今後ゲームをプレイしつづけるためには、優斗をゲームオーバーにして、プレイヤーからNPCの兄に変えるしか方法はない。

 いますぐ対プレイヤー用レーザーを撃たなければ、優斗は目が見えるようになって、逆に俺がゲームオーバーにさせられる。


──現実世界へ凛子を連れ戻すために、こんなところで負けるわけにはいかない。

──『Fake Earth』を終わらせることができれば、NPCになったプレイヤーも現実世界へ全員解放できるのだから、ゲームオーバーにすることに良心を痛める必要はない。


 だが、俺は親指をホームボタンから離せなかった。

 対プレイヤー用レーザーを撃つことができなかった。


 NPCの家族との日常を大事にする優斗が、凛子とゲームセンターで遊ぶ日常を大事にしていた俺自身と重なっていた。




「きゃあああああああああ!!」




 そのとき妹の美桜の悲鳴がリビングから聞こえた。

 家中に響きわたる、恐怖に震えた叫び声だった。


《小さな番犬》が吠えはじめる。

 赤色のスマートフォンが振動した。

 優斗は不審な素振りを一切見せてないのに、「Danger」のポップアップがスマホ画面で点滅していた。


 妹の美桜が悲鳴をあげて、《小さな番犬》が危険を察知している。


 


「美桜っ!」


 優斗は叫んで、部屋のドアを蹴破った。

 そして、薄目を開けながら、ドアに刺さった対プレイヤー用ナイフを抜いて、俺を振り返らずに部屋から飛び出した。

 廊下を走る音が遠ざかり、2階から1階へ飛び降りた衝撃が床に伝わる。

 リビングの扉が勢いよく開き、壁にガチャンとぶつかる音がした。


 俺は電源ボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを解除した。

 光り輝いていたイヤホンジャックは暗くなり、ライトグリーン色の残滓が宙に漂った。

 落とし穴のあるベッドの下に手を突っ込み、紫藤と別れてから買っておいた救急箱を引っ張りだす。

 急いで傷口を止血して、消毒液を浸したコットンを当てて、包帯を巻いて応急処置を済ます。


 スマートフォンの音量をゼロにすると、《小さな番犬》の吠える声は聞こえなくなった。

 赤色のスマートフォンの振動だけが危険を伝えていた。

 部屋から音を立てずに出て、階段を1段ずつ慎重に下りる。

 リビングの扉は壁に跳ね返って、半開きの状態で室内の様子は見えない。


──《小さな番犬》が吠えた理由は1つしかない。


 俺はホームボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを撃つ準備を整える。

 アバターの胸に手を当てて、コバルトブルーのスクエア型眼鏡を外す。

 そして、リビングの扉を開けると同時に、片手でスマートフォンを構えた。

 新手のプレイヤーに向けて、出会い頭に先制の攻撃を放とうとした。


 だが、プレイヤーらしきアバターはリビングにいなかった。

 先に向かった優斗を除いて、NPCの家族3人しかないなかった。


 優斗は何も言わず、青色のスマートフォンを握りしめていた。

 母親の紀子は父親の司の手を取って、華奢な体を震わせている。

 父親の司は壁に寄りかかるように倒れて、刃物で刺された跡のある傷口から血をドクドクと流していた。


 妹の美桜は涙を浮かべながら、「違う、違うの」と小声でつぶやいていた。

 彼女の手には、父親の血がべったりとついた包丁を持っていた。


「……違うの、お兄ちゃん。これは私がやったんじゃないんだよ。……お願い、助けて。助けて、助けて。──私の体、さっきから言うことをきかないの!」



 怯えた顔をした美桜が叫んだ瞬間、彼女の唇が左右に動きはじめた。

 小顔になる体操をするように、左へ大きく歪み、右にも大きく歪んだ。

 美桜は首を必死に横に振ったが、彼女の口角は上がっていく。

 両目から涙はボロボロと零れているのに、心から楽しそうな笑顔に変わっていく。


 そして、美桜は口をパクパクと開けて閉めることを繰り返した。

 腹話術で人形が喋るときを彷彿とさせる光景だった。



「グッドモーニング~! プレイヤーの優斗くん、そして暦斗くん! 気持ちのいい休日の朝、可愛い妹さんがお父さんを刺した光景を見た気分はいかがですか~!?」



 悪趣味な挨拶が美桜の口から聞こえてきた。

 それは紛れもない美桜の声だった。

 だが、彼女の目を見れば、本人の意思で言葉を発しているわけではないのは明らかだった。


 俺はスクエア型眼鏡をかけ直す。

 リビングにプレイヤーが隠れていないことを目で確認し、スマートフォンの音量を最大限に調整する。

 

 NPCにしか効果が及ばないものなのか、何らかの条件を満たせばプレイヤーも操れるものなのかはわからない。



 見えないプレイヤーによる攻撃がすでに始まっていた。

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