15話 ゲームオーバー

【ルール】

①プレイヤーはゲームオーバーになった場合、生まれてからゲームオーバーになるまでの記憶を消される。

②そして、運営のアーカイブ社に作られた記憶を組み込まれて、『Fake Earth』のキャラクターとして、寿命が尽きるまでゲームの世界で生きつづける。



 大音量のスマートフォンの警報が鳴り響く中、雨はありとあらゆるものへ平等に降りそそいでいる。

 強風で裏返った一方通行の標識にも、横転してコンビニに突っ込んだタクシーにも、レーザー光線に撃たれたサラリーマンの死体にも。

 雨雲の影に覆い被さったすべてを濡らしていた。


 勢いの弱まった雨、落ちた雨粒は音を立てずに砕け散る。

 落ちて砕け散る、落ちて砕け散る。

 砕け散る、砕け散る、砕け散る……。


「急いでタクシーから降りるよ、レキトくん! さっきは運良く当たらなかったけど、このまま残り数分間、逃げ切れる攻撃じゃない!」


 俺たちを乗せたタクシーは減速して、地下鉄の出入り口そばの路肩に停まった。

 後部座席のドアが開いた瞬間、紫藤は1万円札を座席に置いて、俺の腕を引っ張って外に出た。

 焦げた臭いが鼻を突く。

 湿った空気の中に熱気を感じる。


 50人のプレイヤーがいる方向を振り返ると、色とりどりのレーザー光線が1キロ先から打ち上げられていた。

 透き通った雨粒とすれ違って、分厚い雨雲を突き破っていく。

 いつどこで放物線を描いて上から落ちてくるのか、レーザー光線の束は雨雲に隠れて見えなくなった。


「紫藤さん、地下鉄の通路で逃げましょう! 《対プレイヤー用レーザー》は地面まで貫通しませんし、このスマホ画面の地図は2Dですから、警報音が鳴り終わるまでは相手の目を欺けるはずです」


「素敵な提案ありがとう。けど、その作戦はダメだと思う。地上にレーザー光線の雨を降らした後、地下に逃げてきたプレイヤーを事前に仕掛けた爆弾で仕留める。『ゲーム専用のギア』と『現実世界の兵器』の合わせ技が、の手口だからね」


「……なるほど。『地図に表示されていない罠がある』ってことですか。じゃあ、今からどこへ逃げましょう? 上から攻撃が来るなら、どこかの高架下でやり過ごしますか?」


「いいえ、『東京駅』に戻りましょう。なんでかわからないけど、あいつらは世界遺産や重要文化財には攻撃してこないからね。――ただ、いま警戒しなきゃいけないのは、ギルドの連中だけじゃないよ、レキトくん」


 紫藤はホームボタンを長押しする。

 そして、光り輝いたイヤホンジャックから形作られた、バイオレット色の光の刃を素早く振り抜いた。


 電磁ノイズが走る音と同時に、「マゼンタ色のレーザー光線」が弾かれる。

 そのまま濡れた地面に衝突し、光の残滓となって消えていった。

 紫藤の側頭部にめがけたレーザー光線は、空から落ちてきたものではない。

 対向車線の向こう側から横一直線に飛んできていた。


 俺はスマホ画面の地図を見て、追いかけてきたプレイヤーのコインが亀裂の入ったまま残っていることに気づく。

 横転してコンビニに突っ込んだタクシーのほうを見る。


 頭から血を流したアバターが、バンカーリング付きのスマートフォンを構えている。

 青年らしき面影のある顔はシアン色に塗りたくられていた。

 事故で右足が折れているのか、エンジンルームから煙を上げているタクシーに寄りかからないと立てない状態らしい。

 アバターの腹部には《対プレイヤー用レーザー》で撃たれた風穴が開いている。

 シアン色の血だまりが足元に広がっている。


 深爪の親指は震えており、スマートフォンの操作もままならない様子だった。


「……同じ攻撃を受けたのに、結果はこうも違うのか」


 俺は自分のスマートフォンを握りしめる。《対プレイヤー用レーザー》の雨が空から降ってきたときのことを思い出す。

 後ろのタクシーが車体を壊されたのに対して、俺たちのタクシーの被害はサイドミラーを撃ち落されたのみ。

 レーザー光線の位置が少しでもズレていれば、撃たれた運転手がアクセルを踏んだまま死ぬ可能性は十分にあった。

 俺と紫藤のどちらかが致命傷を負っていてもおかしくなかった。


――目の前で死にかけているプレイヤーに、血まみれになった自分の姿が重なる。

――凛子を助けられなかったことを悔やみながら、失血死でゲームオーバーになって倒れるシーンが脳裏をよぎる。


「ねえ、レキトくん。君が何を悩んでるかわからないけど、あんまり考えすぎないほうがいいよ。いつか精神がもたなくなるし、今はそんな余裕はないでしょ?」


「……そうですね、紫藤さん。たしかに気を取られてる場合じゃありませんでした。あなたの言うとおり、もうすぐ『アレ』が来る時間です」


 俺はスクエア型眼鏡をかけ直す。

 紫藤はバイオレット色の光の刃をイヤホンジャックから消す。


――ザァァァァァァァ!!


 《対プレイヤー用レーザー》の雨が空から降りそそぐ。

 色とりどりの光線が一斉に向かってくる様子は、大きな虹が地上に足を下ろしてくるように見えた。

 NPCたちの悲鳴があちこちから聞こえてくる。

 俺は紫藤と目配せを交わして、後ろへできるだけ遠く跳ぶ。


 数十発のレーザー光線は、地上をふたたび無差別に蹂躙した。

 デジタルサイネージ型の自動販売機は、黄金色の炭酸飲料を中から噴き出した。

 逃げ惑っていたNPCの手が腕から吹っ飛ばされた。

 コンビニへ突っ込んだタクシーは集中砲火を浴びていた。


 目の前のプレイヤーは右足を引きずりながら、必死の形相でトラックから離れようとしていた。

 しかし、ピンク色のレーザー光線がアバターの「左腿」を撃ち抜いた。

 アバターが倒れて地面に顎をぶつけた瞬間、オレンジ色のレーザー光線が「右腕」を貫く。


▼カーキ色のレーザー光線が「背中」に命中した。

▼ブロンド色のレーザー光線が「肩」に命中した。

▼アイボリー色のレーザー光線が「右足」に命中した。

▼ローズ色のレーザー光線が「額」に命中した。


▼風穴の開いたアバターは動かなくなった。



 スマホ画面の地図から、亀裂の入ったコインが粉々に砕ける。

 深爪の手からスマートフォンが離れて、ガラスの破片がひび割れた画面から落ちていった。

 次の瞬間、レーザー光線でガソリンに点火したタクシーが爆発する。

 死体となったアバターは爆風を直撃して、炎が燃え移った状態で道路の真ん中まで転がっていった。


 遠くから消防車とパトカーのサイレンが混ざった音が聞こえてくる。

 総務省から届いた「テロ警戒の緊急速報」のポップアップがスマホ画面に表示される。

 いつの間にか5分間経ったらしく、スマートフォンの警報音は鳴り止んでいた。



――カチッ。



 そのときがした。

 ゲームで遊ぶとき、ハード機の電源を点ける音によく似ていた。

 その音は道路の方から聞こえてきた。

 死体となったアバターしかいない場所で、「カチッ」とたしかに鳴った。


 次に気づいた異変は、コンビニ前にある「シアン色の血だまり」だった。

 初めは雨水に血が流されているのかと思いきや、路面の溝に落ちる直前でカーブを描いて、アバターの倒れている道路へ流れていった。

 シアン色の血はアバターにぶつかるや否や、燃えている中指の爪先から逆流するように上っていく。

 アバターの肩まで辿りついた後、3つの支流に分かれて、対プレイヤー用レーザーで貫かれた風穴の中へ入っていった。


 全身の傷口が塞がり、焦げた服が修復されていく。

 アバターを包みこんだ炎が収まっていく。

 顔についた血が光の粒子となって消えていく。


――『Fake Earth』は死なないデスゲーム。

――ゲームオーバーになったプレイヤーは、生まれてからゲームオーバーになるまでの記憶を消されて、「ゲームのキャラクター」として寿命が尽きるまで生かされつづける。


 俺はプレイ前の質疑応答を思い出す。

 プレイヤーだったアバターを見つめる。


 道路から起き上がった青年はジーパンのポケットを叩いて、スマートフォンか財布を探している。

 そして、辺りをきょろきょろと見回して、ここがどこだかを把握しようとしている様子だった。

 さっきまで動かせなかったはずの足で立ち上がる。

 俺たちのほうを見ると、青年は半笑いの顔で近づいてきた。


「あの、すみません。このテロみたいな感じ、何が起きたんすか? ほら、! ?」


 NPCとして復活した青年は、立ち止まっている俺たちに親しげに話しかける。

 血まみれになった顔を歪めて、《対プレイヤー用レーザー》を撃ってきたプレイヤーとはまるきり別人だった。


 あのタクシーに自分が乗っていたことを覚えていない。

 横転事故で片足が折れたことも、レーザー光線に撃たれて反対の足が使えなくなったことも、それでも地面を這いつくばって生き延びようとしたことも、何もかも忘れている。


 


 俺はなんて言葉を返せばいいかわからなかった。

 愛想笑いを浮かべることすらできなかった。

 紫藤も何も言わず、数十発のレーザー光線が打ち上げられた方向に目を向けていた。

 周囲がテロで騒がしくなっている中、気まずい沈黙が流れる。


「……ちっ、ロボットかよ。なんか言えよ」


 青年は舌打ちして、俺たちの横を通り過ぎた。

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