第9話 ゲーム序盤のお約束
「ほら、早くこっちにおいでよ。『Fake Earth』は病気も再現してるゲーム。そんなところに突っ立って、いきなり風邪を引いてもいいの?」
切れ長の目を細めた女は手招きした。
彼女が手に持つ水色の傘は、空から降る雨粒をとめどなく弾いていた。
「……あの、すみません。あなたは誰ですか?」
「さて、誰でしょう? まあ、おおよその見当はついてるよね。ゲームを始めたばかりのプレイヤーに話しかけるキャラクターは、お約束みたいなものなんだからさ」
女は得意げに咳払いして、ダークカラーのスーツからストラップ付きのケースを取りだした。
無地のケースの中には、フェイク・アースを運営する「アーカイブ社の社員証」が入っていた。
「『Fake Earth』の世界にようこそ。私はチュートリアルの
雨は弱まる気配はない。
俺は頭を軽く下げて、水色の傘の中に入ることにした。
紫藤との距離が縮まったとき、湿った空気の中から、柑橘系の香水の匂いがした。
「さて、チュートリアルを始めましょう。これだけ雨が降っていれば、誰にも会話を聞かれることはないし、まさか東京駅の真ん前でチュートリアルをしてるなんて、他プレイヤーは思いもしないだろうからね。――ねえ君、名前は?」
「『
「了解。まずは私があれこれと説明するから、その後に気になったことを訊いて。あと、君にこれをあげる! チュートリアル記念のプレゼント、ステータス異常を防ぐアイテムをどうぞ」
紫藤は俺に水玉模様のギフト袋を渡した。
手のひらと同じくらいのサイズのギフト袋。
俺は巾着結びのリボンを解く。
ギフト袋の中には「ギンガムチェックのハンカチ」が入っていた。
濡れた髪をプレゼントされたハンカチで拭く。
柔らかい質感は現実世界と変わりなかった。
髪についた水滴はハンカチに吸収され、細かいチェックの柄の色が濃くなる。
指でそこをつまんでみると、綿の繊維に染み込んだ雨水がじわりとにじみ出てきた。
「じゃあ、基本的な戦い方から教えよっか。『Fake Earth』では、ゲーム専用アプリの『ギア』を使って、プレイヤー同士が戦うことになっています。
もちろん包丁や拳銃とかで攻撃してもいいけど、だいたいのプレイヤーはギアを使ってるかな。ゲーム専用のスマホが1台あれば、初期ギアの《対プレイヤー用ナイフ》と《対プレイヤー用レーザー》を自由に使い分けれるからね」
「なるほど。たしかに『支給されたスマートフォンは電池切れしないシステム』ですから、刃こぼれや弾切れの心配もしなくていいですもんね」
「おっ理解が早いね、レキトくん! 優秀な脳を持ってそうだし、今日は特別に色んなことを教えてあげようかな」
紫藤は切れ長の目でウィンクした。
そして、懐から手帳型のスマートフォンを取りだした。
「チュートリアルを続けるね。まずギアは基本的にアプリと仕組みが同じです。……って説明すると、電波や速度制限を心配するプレイヤーがいるけど、オフラインでも使えるから安心してね。
もし使いたいときは『ホーム画面からギアをタップ』して、『選択したギアの名前を声にする』。それだけ!
そしたら、プレイヤーは自分の周りにバリアを張ったり、アバターの身体能力を向上させたりできるようになるよ!」
「なるほど。ギアでの戦い方は『呪文を唱えて、魔法を使う』っていうイメージですね。――ちなみにプレイヤーは、ギアはいくつインストールできるんですか?」
「アプリと同じで100個は余裕で入るよ! でも、ギアをいっぱい持ちすぎると、戦闘中に操作ミスが起きやすくなるから、7個くらいに抑えるプレイヤーが多いかな~。全力で動き回りながらスマホをいじるのって大変でしょ?」
紫藤は手帳型のスマートフォンのロックを解除した。
彼女のホーム画面はアプリがぎっしり詰まっていた。
各アプリの間隔は1センチあるかどうかもわからない。
親指がほんの少しズレるだけで、違ったものを起動してしまうことは目に見えて明らかだった。
「ギアの数は制限したほうが良さそうですね。でも、ギアって『プレイ中に一定の条件を満たすと手に入れられる』、でしたよね? 削除したい場合はどうすればいいんですか? これもアプリと同じ方法でしょうか?」
「こらこらチュートリアルより答えを先に言わない。私の存在意義がなくなるでしょう?
――君の考えてるとおり、ギアはアプリと同じやり方でアンインストールできます。ホーム画面のアイコンを長押しして、後はちょいちょいっと消してください。
ちなみに削除したギアはもちろん再インストールできるよ。スマートフォンのマイクに向かって、再インストールしたいギアの名前を言えば、1分くらいで使えるようになるから覚えておいて」
紫藤のアドバイスにうなずき、俺はスマートフォンを手に持った。
ホーム画面を右にスワイプすると、「ナイフ」と「レーザー銃」のアイコンが並んでいた。
「レーザー銃」のアイコンを長押しすると、×ボタンがアイコンの頭に出てくる。
削除されることを怯えるかのように、アイコンがぶるぶる震えるところまで、現実世界で使っていたアプリと同じだった。
「さて、次は《対プレイヤー用ナイフ》を使ってみよっか。ゲーム開始時から使えるギアの1つ。そして、このギアにはなんと、初心者がより簡単に使えるように、『ホームボタンの長押しで起動できる』ショートカット機能があります!」
「ということは、同じ初期ギアの《対プレイヤー用レーザー》にもショートカット機能があるってことですか?」
「うん、そういうこと! けど、ここだと対プレイヤー用レーザーは目立つから、その説明は場所を変えてからするよ!
……というわけで、今から対プレイヤー用ナイフを実際に使ってみよっか。君のスマートフォンを出してみて。私と一緒に練習しよう」
相合傘の中、紫藤は微笑んで、手帳型のスマートフォンを軽くスイングする。
女子大生がテニスラケットを遊びで素振りする姿によく似ていた。
色白の手首に香水をつけているのか、柑橘系の匂いが鼻をふわりとくすぐる。
「そうですね。これから他プレイヤーと戦うことになったとき、《対プレイヤー用ナイフ》をすぐ起動できなかったら、戦いが不利になる可能性が高いですからね。ぜひお願いしたいと思います。
――ただ、その前に質問を1つだけいいですか?」
「なーに、改まった言い方をしちゃって。プレイヤーは何でもチュートリアルに質問していいのよ。私は、君がこの世界の仕組みを理解してもらうために存在してるんだから」
水色の傘を差す紫藤は、切れ長の目を細めた。
透き通った笑顔は眩しい。
歯並びもきれいに整っていた。
暗めのブルージュの髪に、細身のダークカラーのスーツも、華奢な体に似合っている。
もしも恋愛シミュレーションゲームに登場していたら、魅力のあるキャラクターとして、かなり人気が出ていただろう。
SNSで話題となり、たくさんのファンアートが投稿されて、多くのプレイヤーから愛されていたに違いない。
「紫藤さん、あなたはプレイヤーですよね?」
俺は片手をポケットに突っ込んで、ライムミント味のフリスクケースを揺らす。
土砂降りの雨は激しさを増していく。
水色の傘の下では、雨粒を弾く音が響いていた。
【
対戦戦績 0勝0敗(逃亡回数:0回)
〈構成ギア〉
・《対プレイヤー用ナイフ》
・《対プレイヤー用レーザー》
〈ギルド・仲間〉
ソロプレイ
〈装備アイテム〉
・学ラン
・スクエア型眼鏡
・スマートフォン
・VANSのスニーカー
・星印のついたエナメルバッグ
〈所持金〉
・電子マネー100万円(ゲーム開始時に支給)
・現金2万5573円(財布)
〈プレイ時間〉
10分
〈コイン獲得数〉
0枚
〈クリア回数〉
0回
〈称号〉
かけだしのプレイヤー
〈ゲーム進捗率〉
0%
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