第9話 ゲーム序盤のお約束
「ねえ、早くこっちにおいでよ。『Fake Earth』は病気も再現してるゲーム。そんなところに突っ立って、状態異常になってもいいの?」
強めの雨が降り続ける中、傘を差したパンツスーツ姿の女性はちょいちょいと手招きする。
切れ長の目を細めて笑う顔は、明るくさっぱりした人の印象を感じさせた。
駅前の広場を歩く男性アバターたちは、彼女を横目でちらっと見て通り過ぎていく。
華やかな顔立ちとヒールが映える立ち姿に目を惹かれているようだった。
「……あの、すみません。あなたは誰ですか?」
「さて、誰でしょう? まあ、おおよその見当はついてるよね。ゲームを始めたばかりのプレイヤーに話しかけるキャラクターなんて、お約束みたいなものなんだし」
得意げな顔をした女性は、スーツの
そして、手帳型のケース付きのスマートフォンをレキトの前で開く。
光っているスマホ画面には、控えめに笑っている彼女の顔写真入りの社員証──このゲームを運営する「アーカイブ社の社員証」の電子データが表示されていた。
「『Fake Earth』の世界にようこそ。私は
雨は弱まる気配はない。
レキトは頭を軽く下げて、水色の傘の中に入ることにした。
近づきすぎないように傘の下の端で立ち止まると、「もー遠慮しないの」と紫藤に学ランの袖を引っ張られる。
紫藤と肩が触れ合う距離まで縮まったとき、湿った空気の中から、
「はい、これ私からのチュートリアル記念のプレゼント。『状態異常を防ぐアイテム』だから大事に使ってね」
紫藤は弾んだ声で言って、レキトに水玉模様のギフト袋を手渡した。
手のひらと同じくらいのサイズのギフト袋。
「いい素材を使ったプレミアムアイテムだよ」と紫藤の楽しそうな声を聞きながら、レキトはギフト袋のリボンを解く。
水玉模様のギフト袋の中には「ギンガムチェックのハンカチ」が入っていた。
「……ありがとう」
レキトはお礼を言って、濡れた髪をプレゼントされたハンカチで拭いた。
柔らかい質感は現実世界と変わりない。
髪を拭いたハンカチが雨粒を吸水するところも、細かいチェック柄の色が濃くなるところも、完璧に再現されている。
試しに指でそこをつまんでみると、綿の繊維に染み込んだ雨水がじわりとにじみ出てきた。
「じゃあ、さっそくチュートリアルやろっか。最初はギアの話でいいかな? 使い方とか知りたいでしょ?」
「えっここでですか? 人目につきますし、場所を変えた方がいいと思うんですけど」
「ああ、それなら大丈夫! 私たち運営は、世界中どこでもチュートリアルできるように、便利なギアを持ってるから。今から使うとこ、よーく見ててね。これが君たちプレイヤーの可能性を広げるギアの力。
──No.116《
紫藤はスマートフォンのマイクに向かって、呪文みたいな言葉をつぶやく。
そして、いたずらっぽい笑みを浮かべて、細長い指で足元を指差した。
視線を下に向けると、濡れた路面にレキトと紫藤の映る影が、傘の影より明らかに薄くなっている。
目の錯覚でもなければ、光の加減の差でもない。
傘の下にいる2人の影が透き通っている。
そして、紫藤がギアを起動した後で変わったのは、「レキトたちの影の濃さ」だけではなかった。
赤レンガ駅舎前の広場を行き交う人たちの反応。
さっきまで誰もが雨で濡れたレキトや紫藤を通りざまにちらっと見ていたのに、今は一人も見向きもせずに歩いていく。
近くを通る人たちがレキトと紫藤を避けていくあたり、彼らから存在自体が見えなくなっているわけではない。
紫藤を横目で見ると、隣にいる彼女は満足げな顔でレキトを見つめていた。
「どう? 面白いでしょ? これ、起動してから30分間、
「……色々と活用できそうなギアですね。ちなみに、ギアはプレイヤーが名前を言えば、それを音声認識で使える仕組みなんですか?」
「おっ察しがいいね。あとはホーム画面でアイコンを叩けば使えるけど、あんまりそうする人はいないかな。戦いながらだと操作ミスがあるし、必殺技っぽく叫んだ方が指を動かすより早いし」
紫藤は手帳型のスマートフォンのロックを解除する。
彼女のホーム画面はアプリがぎっしり詰まっていた。
各アプリの間隔はわずか5mmくらいしかない。
親指がほんの少しズレるだけで、違ったものを起動してしまうことは目に見えて明らかだった。
「こんな感じで改めてギアの説明するね! 今見てくれたとおり、『ギア』は『魔法みたいなことができるアプリ』。だいたいのプレイヤーは戦うときに使ってるかな。もちろん包丁や拳銃とかで攻撃してもいいんだけど、最初から使える《対プレイヤー用ナイフ》と《対プレイヤー用レーザー》の方が便利だしね」
「なるほど。たしかに『支給されたスマートフォンは電池切れしないシステム』ですから、刃こぼれや弾切れの心配もしなくていいですもんね」
「そういうこと! いや~〜話が早くて助かるよ。君は優秀な脳を持ってそうだし、今日は特別に色んなことを教えてあげようかな」
紫藤は切れ長の目でウィンクした。
「じゃあ説明を続けるね。ギアが実質アプリと同じだから、電波がないところで使えるかどうかなんだけど──」
「実は『使える』ですよね? この世界はゲームですから、どこでも電波があるようなものですし」
「こらこら、チュートリアルより先に答えを言わない。私の仕事がなくなるでしょ?」
「すみません。……それでちなみになんですが、電波なしで使えるなら、速度制限の心配もいらないですよね?」
「ちょっとちょっと! 勝手に自分で補足もしない! 私の存在意義がなくなるから、ね?」
紫藤はレキトを睨みつけて、念を押すように指差す。
有無を言わせないような顔をしていた。
あまりの剣幕に気圧されて、レキトは無言でこくりとうなずく。
正直こちらの質問にだけ答えてほしかったが、それを言うと怒られそうなので、黙っていることにした。
それから紫藤はを身振り手振りを交えて、「使わないギアを整理する方法」や「他プレイヤーのコインの保管方法」などを教えてくれた。
手帳型のスマートフォンを使って、時々身振り手振りが大きくなって、手に持っていた傘がつい揺れて。
先輩が後輩に手本を見せるように、ゲーム専用のスマートフォンの操作方法を実演していく。
昔からゲームのチュートリアルが苦手だった。
長い時間をとられるし、言われなくてもわかっていることを聞かなければいけない。
「プレイヤーが感覚的にシステムを理解できるように、制作者はゲームデザインしてほしい」と思ったことは何度もある。
けれども、隣で一生懸命説明している紫藤のチュートリアルは、聞いていて不思議と心地良かった。
「じゃあ、最後に、君のスマホにインストールされてるゲーム開始から使えるギアの1つ、《対プレイヤー用ナイフ》を使ってみよっか。実はこのギアは初心者がより簡単に使えるように、『ホームボタンの長押し』で起動できるんだよ。あとナイフを起動した後にも長押ししつづけたら、刀身を長くすることができるし、切れ味もコンクリートブロックを斬れるくらい鋭くなるから覚えててね」
「ということは、もう1つの《対プレイヤー用レーザー》にもショートカット機能があるってことですか?
」
「うん、同じくホームボタンの長押しだよ。両方使えるお試し期間中は消音モードをオンにしたら、《対プレイヤー用レーザー》に切り替わる仕組みだけど、プレイ時間が12時間経ったら片方しか使えなくなるから、『ナイフ』と『レ―ザー』のどっちにするのかは考えてといてね。……とりあえず私に持ってるスマホを貸してもらっていいかな? ショートカット機能が使えるように、スマホの設定を変えるからさ」
相合傘の中、紫藤は微笑んで、手帳型のスマートフォンを軽くスイングする。
女子大生がテニスラケットを遊びで素振りする姿によく似ていた。
色白の手首に香水をつけているのか、柑橘系の匂いが鼻をふわりとくすぐる。
「そうですね。これからプレイヤーと戦うときに、《対プレイヤー用ナイフ》や《対プレイヤー用レーザー》をすぐ起動できなかったら、戦いは不利になりますからね。ぜひお願いしたいと思います。──ただ、その前に質問を1つだけいいですか?」
「なーに、改まった言い方をしちゃって。プレイヤーは何でもチュートリアルに質問していいのよ。私は、君にこの世界の仕組みを理解してもらうために存在してるんだから」
水色の傘を差す紫藤は、切れ長の目を細めた。透き通った笑顔は
歯並びもきれいに整っていた。
暗めのブルージュの髪に、細身のダークカラーのスーツも、華奢な体に似合っている。
もしも恋愛シミュレーションゲームに登場していたら、魅力のあるキャラクターとして、かなり人気が出ていただろう。
SNSで話題となり、たくさんのファンアートが投稿されて、多くのプレイヤーから愛されていたに違いない。
「紫藤さん、あなたはプレイヤーですよね?」
声のトーンを落として、レキトは質問した。
冷えた指先に息を吹きかけて、握っては開いて手を温める。
突然フリーズしたゲームように、雨の音がザーッと響いていた。
【遊津暦斗(初心者)】
対戦戦績 0勝0敗(逃亡回数:0回)
〈所持ギア〉
・《対プレイヤー用ナイフ》
(お試し期間終了まで、残り11時間30分)
・《対プレイヤー用レーザー》
(お試し期間終了まで、残り11時間30分)
〈ギルド・仲間〉
ソロプレイ
〈装備アイテム〉
・学ラン
・スクエア型眼鏡
・スマートフォン
・VANSのスニーカー
・星印のついたエナメルバッグ
〈所持金〉
・電子マネー100万円(ゲーム開始時に支給)
・現金2万7000円(財布)
〈プレイ時間〉
30分
〈コイン獲得数〉
0枚
〈クリア回数〉
0回
〈称号〉
かけだしのプレイヤー
〈ゲーム進捗率〉
0%
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